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翌日から始まった授業は、必修科目や英語などの普通の授業でも葵にとってはどれもが新鮮なものだった。黒板に増えていく英語のスペルを板書する行為でさえ楽しく感じた。
昼食は節約のため、持参したお弁当。教室に残って同じく弁当を食べていたクラスメイトと話しながら、共におかずをつつき合う。

「午後の授業が一番楽しみだよな!」
「瀬呂くん、英語の授業で頭コクコクしてたもんね」
「昨日楽しみすぎて眠かったんだよ……」

あっという間に昼は過ぎ、瀬呂同様、クラス中で待っていた午後の授業が始まりを告げるチャイムが鳴る。準備万端で椅子に座って待っていると、バリアフリー使用のドアが開いた。

「わーたーしーが!! 普通にドアから来た!!!」

やって来たのはコスチューム姿のNo. 1ヒーロー・オールマイト。平和の象徴と謳われる彼が教卓に立つ日が来るなんてと、葵も興味津々で前を見る。

「ヒーロー基礎学! ヒーローの素地をつくる為、様々な訓練を行う課目だ!!」

早速だが、とオールマイトが手に取り出したのは“BATTLE”と書かれたカード。所謂『戦闘訓練』をするらしい。それに伴って戦闘服コスチュームを着て授業に参加するようだ。

自分のコスチュームを持って更衣室に行く。耳郎と隣同士のロッカーを確保した後、持ってきたコスチュームを広げてみた。紫色をベースにした上着に、白シャツを濃い緑色のネクタイで締め上げる。上着と同色の短パンに、それよりも少し薄い色のニーハイソックスを履いて、頭に帽子を被れば完成だ。
これは知る人ぞ知る、かの教会の一派が『最強の魔術師』を目指して試作した魔術礼装である。勿論効果は付帯されていないのだが、自分で思い描くコスチュームがこれしか無かったのだ。

「…あの似非神父からの情報だったっていうのが、一番腹立つけど」

髪を纏めて一つのお団子にし、戦闘の邪魔にならないようにする。視界がスッキリしたところでロッカーを閉めて、同じように着替え終わった耳郎と共に外へ出た。

「ジロちゃんかっこいい……」
「そんなしみじみと言わないでよ、恥ずいから。それに葵こそ、今まであんまり見たことないデザインで似合ってるよ」
「ふふ、ありがと」

互いに褒め合う言葉がこそばゆい。
生徒全員が集まったところで、オールマイトから授業の概要について説明が始まった。

「君らにはこれから『敵組』と『ヒーロー組』に分かれて、2対2の屋内戦を行ってもらう!!」
「基礎訓練もなしに?」
「その基礎を知る為の実践さ! ただし今度は、ブッ壊せばオッケーなロボじゃないのがミソだ」
「(ロボ……? あぁ、もしかして入試で出たのかな?)」

一般的な入試を受けていない葵には馴染みがなく、皆が盛り上がる中小首を傾げていた。

状況設定は『敵』がアジトに『核兵器』を隠していて、『ヒーロー』はそれを処理しようとしている、ということらしい。
『ヒーロー』は制限時間内に、『敵』を捕まえるか『核兵器』を回収すること。
『敵』は制限時間まで『核兵器』を守るか、『ヒーロー』を捕まえること。

「コンビ及び対戦相手はくじだ!」
「適当なのですか!?」

ワイワイと騒ぎながらくじを引き、葵は折り畳まれた紙をぺらりと広げた。書かれた文字は“I”。どうやら3人チームに当たったらしい。

「えっと、同じチーム…かな?」
「あぁ、うん。俺は尾白で……」
「私は葉隠透! よろしくね!」
「私は星月、星月葵。こちらこそよろしくね」

簡単な自己紹介を済ませると、早々に一戦目が始まった。Aコンビ対Dコンビの対決らしいが、何やら雲行きが怪しい。特にあの薄い金髪に赤い瞳の少年・爆豪は、フルフェイスマスクを着用している少年・緑谷に固執しているように見える。

「(ええっと、確か…爆豪くん、だったっけ。見た感じ悪役顔だし、言ってることも悪役っぽい……けど、)」

あの赤い瞳から目が離せない。
分かっている。あの目は彼の目ではないし、自分の瞳こそが彼の瞳だと言うことを。けれど心があれを求めている――あの赤い瞳が、自分を映してくれるその時を。

「……あぁ、ダメだ」
「星月…さん? ダメって何が……」
「怒りがダイレクトに伝わってくる。あんなに冷静さを失っちゃったら、歯止めが効かずに――自滅する」

訓練場が半壊にまで至った第一試合目。最後は爆豪の一方的な殴り合いにまで発展したが、勝ったのは『ヒーロー』の緑谷・麗日ペアだった。
モニタールームに帰ってきた両ペアを、後ろの方で眺める。負けた爆豪は俯いていて表情が見えないが、いい顔はしていないだろう。

「(二人の間に何があったのかは知らないけど、私怨……にしてはやり過ぎだった。あの大爆発で止めなかったオールマイトも凄いけどね)」

普通の教師ならあそこで止める。けれどオールマイトは止めなかった。モニターで爆豪と緑谷を見ていた彼の横顔を思い出しながら、葵は尾白と葉隠に続いてモニタールームから外へ向かう。

「まずはお互いの“個性”を簡単に把握しておこうか」
「そうだね、俺はこの尻尾。攻撃も移動もこれで出来るよ」
「私は見ての通り透明人間! 今回ちょっと本気出して手袋もブーツも脱ぐわ」
「(それって全裸……!?)ええっと、わたしは水を操る“個性”なんだけど……相手の“個性”が分からない以上、踏み込んだ作戦は作れないね」

『敵役』になった葵達Iチームは、核の前で顔を突き合わせて話し合う。顎に手を当てて作戦を考える葵は、ひとまず葉隠にブーツは履くように伝える。

「ええ!? 何で!?」
「相手の“個性”が何か分からない現状で、奥の手を使うのはまだ早いと思う。あと基本のフォーメーションは、尾白くんは攻撃メインで敵を迎撃、葉隠さんは奇襲を仕掛けつつ、隙を見て確保テープをお願い」
「りょーかいっ!」
「俺も分かったけど……星月さんは?」
「わたしは――」

さあ、始まりのゴングが鳴り響いた。


滴るしずく



開始してから1分も経たずに、強化しておいた葵の耳にパキパキと何かが凍る音が聞こえてきた。素早く無線で「跳んで!」と一言告げると、慌てたようにジャンプする二人の声。どうやら凍らずに済んだらしい。ホッと一息着くと、パキ…パキ…と随分と余裕そうな足音が徐々に近づいてくる。
開いた扉から姿を見せたのは、『ヒーロー役』の轟だった。どうやら氷の個性は彼のものらしい。彼は核の前で凍っている葵を見て「動いてもいいけど、足の皮剥がれちゃ満足に戦えねえぞ」と、これまた余裕綽々の科白を吐いた。

そのまま何も反応を示さない葵の隣をゆったりと歩き、核に手を伸ばそうとした轟だったが、くすりと小さな笑いが耳に届く。何だと振り返った直後、自分の横っ腹に強烈な蹴りが入った。

「――――!!?」
「ふふ、笑うつもりなんてなかったのに。あまりにも余裕そうだったから笑っちゃった」

深い緋色の瞳を細め、色づく唇が弧を描く。先程まで凍らされていた筈の少女は、何事もなくその場に立っていた。
蹴り飛ばされた轟は、瓦礫の山から何とか立ち上がって葵を睨む。数秒前とは正反対の表情に、少女は更に笑みを深めた。

「まるでレベルが違うって言いたげだったね、さっきは」
「……どうやって氷から抜け出したんだ」
「敵にそれを教えるとでも? ああ、そう言えば――お仲間は確保しちゃった」
「なっ!?」

無線から届く吉報に喜ぶ暇はない。葵は手のひらに水の球体を作ると、核に向かってそれを投げつけた。すると水の球体は核をマルッと飲み込んだ。

「こんなもん、凍らせちまえば……!」

轟の個性が核に迫る。けれど核を覆う水がそれを許さなかった。
氷が水に触れる直前に、氷は一瞬で溶けてブワッとした水蒸気を生み出した。まるで霧に包まれたような空間に変化したが、轟は驚いて上手く声が出ない。

「なんで氷が…」
「そりゃあ熱いもの、その水」
「熱い?」
「おまけにプニプニのゼリー状態。生身の人間じゃあ触ることもできないよ」

にっこりと笑ってそう言い放つと、ダッとコンクリートを蹴って轟の真後ろへ。その勢いのまま足を振り落とすが、あと少しのところで大きな氷壁がグワッと出現した。そんなものを足で蹴っては折れてしまう、とモニタールームでは心配の声が上がるが、強化魔術が施された足が折れることはない。さらにそれをカモフラージュする為に足に水を纏わせ、威力も上げる。
派手な音を立てながら氷を崩すと、油断していた轟に向かって渦巻状の竜巻をぶつけた。ドガガガガッと水と氷のぶつかり合いに、皆が固唾を飲んで見守る。霧と土煙が晴れた頃、立っていたのは――葵だった。

「はい、確保っと」

壁を背に座り込む轟にテープを巻くと、《敵チームWIN!》と戦闘終了の合図が告げられた。

ぴちゃん、ぴちゃん、と建物から水が滴り落ちる。頬に落ちてきたそれを拭いながら下へ降りると、両手を上げて喜ぶ葉隠に抱き着かれた。

「お疲れ様ー! 勝ったよ、勝ったー!」
「まさか勝てるとは思わなかった。星月さんのおかげだよ」
「みんなのおかげだよ。葉隠さんと尾白くんが確保してくれなかったら、一騎討ちまで持ち込めなかったし。ありがとう」

団子に纏めていた髪を下ろして、風に靡かせる。優しく笑んだ少女は、チームメイトと足並みを揃えてモニタールームへ帰還した。