行ってきます


ここは新世界――数多の海賊たちを海に沈めてきたまるで怪物のような海。嵐のような日もあれば痛いくらいに陽が射し込むかんかん照りの日もある。
そんな海に、“四皇”の〈赤髪海賊団〉は今日も陽気に海路の赴くまま進んでいた。

「シャンクス」
「お、どうした? 今日はやけに素直だな」
「……なにそれ。いつもは意地っ張りみたいな言い方するのやめてくれる?」
「あ、バレた?」
「最低!」

ハッと口元に手を当てる仕草が嘘っぽい。そんな彼の頭をバシッと叩くと、二人はどちらからともなく笑い出した。すると二人の笑い声を聞きつけて、楽しいことが大好きな船員達は一斉に何だ何だと集まり始める。一人の男がさっきの出来事を説明すると今度はみんなも笑い出した。

「……シャンクス」
「だからどうした?」
「………私…、」

――この船から降りるよ。
そう言い切ってからシャンクスの顔を見上げると、彼は悲しそうな、けれどどこか待ちくたびれたような表情をしていた。
シャンクスはシアンを片腕でギュッと抱きしめる。その腕は微かに震えていて、我慢していた涙がぽろりと頬を伝った。

「相変わらず泣き虫だなァ? シアンは」
「…うるさい」
「そんなんで大丈夫かァ?」
「大丈夫に決まってるでしょ! もう!」

泣き虫とシアンを馬鹿にするシャンクスのお陰というべきか、涙はすぐに引っ込んだ。
先ほどまでの笑いはいつの間にか収まっていて、みんなシアンとシャンクスに視線を向けている。どうやら聞いてたみたいだ。流石は何年も共にしてきたクルー達。伊達に過ごしてきてはいない。

「…もうそろそろ言うんじゃないかと思ってた」
「え……」
「寂しくなるな」
「ああ、全くだ。このむさ苦しい所帯で女はお前だけだったと言うのになァ…」
「っ、ぅ……」

せっかく止まった涙がまた流れ、我慢できずに嗚咽が零れる。ポタポタとシアンの頬を濡らす涙をシャンクスが自分の服で優しく拭い取る。
――この船を離れるには、あまりにも沢山の思い出が出来すぎた。夜中にルゥとご飯を盗み食いしてこっぴどく叱られたこと、街にヤソップと出かけたのにいつの間にかはぐれてしまって、船に帰ったと同時に無事で良かったと泣かれたこと。
そして、シアンとシャンクス、否…〈赤髪海賊団〉にとって忘れられない人、ルフィが、エニエスロビーで大暴れしたせいで賞金首が跳ね上がり、本人も居ないのにみんなで宴をしたこと。
――そうだ、この時に決心したんだ。風化することなくしっかりと刻まれた約束を、果たさないとって。

「わたし……っ、ちゃんと、役に立てた…?」
「はァ……その言い方はやめろといつも言ってるだろう」
「う゛っ」

ペシン、とシャンクスはシアンの顔を軽く手のひらで叩く。慌てて「ごめんなさい」と謝るが、彼に向かって謝ったのは果たして何回だろう。どれくらい謝ったか分からないくらい、シアンはシャンクスに謝っている。

「シアン、ここにいて楽しかったか?」
「うん。……すっごく楽しかったよ。まるで本当の家族みたいで…」
「フッ…。いいか、シアン。例えシアンがどこへ行こうと、誰の元へ行こうと、また会ったときは俺が奪ってやる!」

ああもう、どれだけ私を泣かす気なんだ、この人は。
また溢れそうになる涙をグッと堪え、うん、と小さく頷くと、シアンは歩き出した。広い甲板を歩き海の側まで歩いて下を覗くと、兄・エースとお揃いのストライカーが既に準備されていた。
軽く確認したら、シアンはくるりと振り返り仲間の方を向く。それが合図だったかのようにヒュンッと飛んできたのは銀に輝く二丁銃。ベックマンから貰ったシアンの武器の一つだ。傷一つないそれを大事そうに一撫でしてから腰に差す。
すると今度は刀が飛んできた。ガシャン!と音を立てながら受け取ったこれは、シャンクスから貰ったシアンの愛刀“桜桃ゆすらうめ”。だが、刀は貰っても使い方などさっぱり皆無なシアンに修行をつけてくれたのは、かの有名な七武海の一人、ミホークだ。シャンクスのライバルであったミホークは、友からの頼みを無下にせず、かといって簡単には諾かなかった。

「お前は、何故刀を取る」

シンプルなその質問に、当時は答えを詰まらせて半殺しに遭った。慌ててシャンクス達が止めに来たが、それでもミホークは止まらない。そのうちレッドフォース号が海の藻屑になってしまうんじゃないか、そんな不安げな声が上がる中、シアンは己の答えを言って見せたのだ。
そうしてミホークのお眼鏡に叶ったシアンは、今やその名は世界に知れ渡っている。
だが――その道のりも決して楽ではなかった。修行の途中でシャンクス達の船から降り、コルボ山で生活していた数年間、シアンなりに自主練はしていたが人の目もあったためみっちりとは出来ていない。またレッドフォース号に帰ってきたシアンを待ち構えていたのはシャンクスの抱擁、クルー達の歓迎の宴、それから――ミホークの厳しい厳しい修行だった。
刀一つでこんなに沢山の思い出がある。手入れされた刀を暫し眺めた後、いつもの定位置である腰に差した。

「…………」

眼前に集うクルー達を見つめ、シアンはスゥ…と息を吸い込んだ。

「――今までお世話になりました! ロイナール・D・シアン、本日をもって〈赤髪海賊団〉を抜けさせていただきます!」

涙は流さない。

「お頭!」
「!」

普段、シアンから「お頭」と呼ばれた事など数えるくらいしかないそれに、シャンクスは驚く。赤い髪を揺らし、コートをはためかせてシアンを見やった。

「ここまで私を育ててくれて、海に連れて行ってくれて――ありがとうございました!」

バッと礼をして、シアンは船から飛び降りた。タンッと無事ストライカーに着地して上を見上げると、そこにはやっぱりシャンクスが此方を見下ろしていた。

「……行ってきます!」

咄嗟に出た言葉だった。

「ああ…行ってこい、シアン!!」

ニッといつもの悪戯な笑みを浮かべてシアンの背中を言葉で押してくれたシャンクスに、シアンも笑い返した。
ストライカーのエンジンを作動させ、シアンはもう振り返ることなく大海原を突き進む。
――目指すは、シャボンディ諸島。





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