乗り越えろ、その壁を


血を流しすぎたシアンをこれ以上暴れさせないように、とシャンクスは手刀でシアンを気絶させた。
船内に戻り、先程と同じ部屋にシアンを寝かせたシャンクスはまた船から出て、エースと白ひげの墓場へと向かう。

「すまん、赤髪…。何と礼を言ったらいいか…」

マルコの言葉にシャンクスはつまらないことを言うなと、その礼を流した。
――ルフィの今を思うと、計り知れない悲しさが込み上げてくる。きっとシアンと同じ様にルフィも苦しんでいるだろう。だが、それでもいい。その悲しみを、乗り越えろ。
シャンクスはいつものお気楽な顔なんて欠片も見せず、〈白ひげ海賊団〉達の見送りを受けながら船へ戻った。

「お頭。出航はどうすんだ?」
「…まだだ。まだシアンがエース達に会えてねェだろ?」
「…そうだな」

シャンクスに聞きに来た男は、その言葉を聞いて下手くそな笑顔を浮かべた。
長い付き合いだからこそ、シアンの苦しみを自分の苦しみとして受け取っている奴らだ。きっと安静に、と言う注意もどこかへ追いやってコソコソとシアンの様子を見に行っているに違いない。
その時――。

「お頭! シアンが目を覚ましたぞ!」
「…わかった」

さて、シアンは一体どういう反応をするのか。シャンクスは重たい足を動かしてシアンの元へと歩き出した。





ぼうっと天井を見上げているシアンをわらわらと囲む男達。そこへシャンクスが来たことにより、男達は静かにシアンから離れた。

「調子はどうだ?」
「…ゆめ、みた」
「どんな夢だ?」
「……エースが、でてきた」

それは悲しい夢だったのか、それとも過去の夢だったのか。シアンの表情から察しようとするが、どうにもそのような負の感情は見受けられない。かと言って嬉しそうな表情でもない。
シャンクスがもう一度同じ事を尋ねようとするよりも早く、シアンがたどたどしく口を開いた。

「…ありがと、って…笑って言ってくれた」

つう、とシアンの目尻に零れ落ちる涙。その一言だけでわかる。エースが何を伝えようとしていたのか。

「……でも、もう前がまっくらですすめないの…」

ギャバンが死んだ時も、今と全く同じ事を言っていたのをシャンクスは思い出した。
あの時は、シアンの事やシアンの両親をよく知っていたガープに相談してフーシャ村に置いて行き、結果ルフィやエース、サボと言った“兄弟”が出来てシアンもギャバンの事を乗り越えられた。
だが、今回はそうはいかない。何せまずガープはこの度の戦争で敵として対峙したのだ。そしてギャバンの事を乗り越えるきっかけとなった“兄”の死。

「…もう、なんにもみえない」

その一言に、シャンクスは衝動的にシアンを抱きしめた。きつく、きつく、自身の存在をシアンに刻み込むように。
じんわりと伝わってくるシャンクスの温もりに、シアンは更に涙を流す。

「シアン、今は辛いだろう。だが、それに押し潰されるな」
「…っ……」
「もうエースは死んだ。それは変わらない事実だ。けど、何にも見えないなんて事はないだろ?」

ぐいっとシアンの両頬に手を当てて、彼女の瞳に映る自分を見るシャンクス。その行為に驚きで目を丸くするシアンに、シャンクスはニカっと笑った。

「ほら、シアンの目にはおれが映ってる。ちゃんと見えてるじゃないか」

シアンの茶色がかった瞳はみるみる内に涙でいっぱいになり、やがて真珠のような粒をぽろぽろと落としていく。
ヒック、としゃくり声が部屋に響く。シャンクスはぽんぽんとシアンの背を叩いた。

「失ったものばかり数えるな。シアンに残っているのは何だ?」

ぎゅううっとシャンクスの背中に精一杯腕を回して、涙で滲む視界の中思い浮かべる。
残っているもの、それは――。

「ッ…なかま、ッ仲間がいるよ……!!」

まだ知り合って経った数日だけど、それでも確かに仲間だ。

「しゃ、シャンクス達もっ……!!」

ごめん、ありがとう、と泣きながら言うシアンに、部屋は明るい笑いに包まれた。そして次々に掛けられる言葉に、シアンはやっと笑顔を見せたのだった。
次の日、シアンは船から降りてある場所へと赴いた。そこには既に先客がシアンに背を向けて立っていた。

「…早起きだね」
「お前こそ早起きじゃねェかよい」
「起きちゃったんだよ…マルコこそ寝てるの?」

そう、そこに居たのは白ひげ1番隊隊長て不死鳥のマルコだった。意識を取り戻したあの日、伸ばされた手を振り払った事にシアンは謝るが、気にするなとマルコは言う。

「…じゃ、ゆっくり話していけよい」
「ありがとう…」

マルコはひらひらと手を振って去っていく。気を使わせてしまったなと、シアンは申し訳なさそうに心の中で謝った。
改めてエースと白ひげ、両方の墓場へと向き直る。目に焼き付けるように眺めれば、じわじわとまた涙が込み上げてくるがそれを流すまいと必死に目に力を入れる。

「…来るのが遅くなってごめんね。白ひげもお疲れ様、長い航路はどうだった? 沢山生きてきた白ひげは、きっと家族に出逢えた瞬間から毎日が楽しかったんでしょう?」

白ひげのあの独特な笑い声を思い出し、クスクスと笑う。最期まで自分の事を心配してくれていた、心も体も大きい人をシアンは一生忘れないだろう。
いや、シアンだけじゃない。きっと世界の誰もが、彼の事を覚えているに違いない。それ程エドワード・ニューゲートは何もかもが大きい男だった。

「…エース、」

そ、っとエースの墓に手を添える。沢山言いたい事があった筈なのに、なかなか出てこない。口を開けばエースの名前しか呟けない。
その理由が、シアンにはわかっていた。

「…エース、………えー、す…!」

泣かない、泣きたくない。
ここに来る前に誓った、その頑なな想いだけで涙を堰き止めているシアンだが、気を抜けば零れ落ちてしまいそうだ。

「…エースッ………っ…」

もう、止められない。
シアンは一瞬躊躇った後、脳裏によぎった記憶と共に言葉を投げた。

「ずっと、シアンの事を…女として好きだった……」
「わたしも、ずっとエースの事が好きだったよ……」

我慢していた言葉は、不意に思い出したエースの言葉で無惨にも口に出してしまった。
いつから、なんてそんなのわからない。ただ気づいたら好きだったのだ。けれどエースは兄、こんな想い持ってはいけない。そう思って心の奥底に封印していたのに。思いも寄らなかったエースからの告白に、また蘇ってしまった。

「…夢でも、言ってくれたね」

シャンクスに気絶させられ、そこで見た夢の内容。
エースが出てきた、としかシャンクスには伝えていないが、それは過去でも戦争での記憶でもなく、本当にエースが居たのだ。

「ちゃんと伝えれてよかった…。……ありがとう、お兄ちゃん」

どうか、サボと会えていますように――。祈るように額を冷たい石にあてて、そっと呟いた。
そして掛けてあるエースのテンガロンハットへと手を伸ばし、それをぎゅうっと抱きしめる。

「…本当に貰っていいんだね、エース?」

夢の中で言われた言葉通りテンガロンハットを被ろうとするが、再度エースに尋ねる。
すると、まるでエースが返事をしたかのように風がぶわっと吹き抜けた。

「…ありがとう、エース」

またお礼を言って今度こそテンガロンハットを被った。瞬間、まるでエースが側に居るような錯覚に陥るが、すぐに首を振って否定した。

「…さて、そろそろ戻ろう」

きっとシャンクスも心配してる。シアンは帽子が風に飛ばされないように片手で押さえながら、船へと戻っていった。

――それから2年間、ルフィから発せられたメッセージを受け取ったシアンは、シャンクス率いる赤髪海賊団の元で修行を積んだ。厳しく、時には甘く指導されたシアンは、昔とは桁違いに強くなっていた
そうして2年後。約束の地、シャボンディ諸島に集うため、シアンはエースとお揃いのストライカーで向かったのだった






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