ドレスローザの忘れ物


「メラメラの実……、」
「今回のコロシアムは世界から屈強な戦士達が集まってる。生半可な覚悟じゃあ優勝は出来ないぞ?」

男はそれだけ言うと、騒がしい観衆の中へと入っていく。その場に残ったシアンは後悔からか、ぎゅっと拳を握り締めてモニターを眺めた。

「…せめて、もう少し早く知る事が出来てれば……」

メラメラの実を誰かに渡したくない。誰かに渡すくらいなら、私が――。
そんな想いを抱えながらモニターを見続けると、どことなく知っている男が映った。真っ白なひげに、金色の兜、そして剣闘士のようなマントを身に付けた男は、屈強な猛者達を次々と撃退していく。

「……ん?」

じーっとその男を見つめる。すると解説者が興奮したように状況を説明してゆく。

《『Cブロック』に降り立った台風の目!!! ルーシーがまたやったァ〜〜!!!》
「“ルーシー”…? いや、違う……あれは――ルフィ!!」

倒れた闘牛を運ぼうと持ちあげるルフィ。どうやらこのコロシアムに変装して参加していたらしい。
まさかの展開にシアンは呆けてしまったが、見る見るうちにその顔を笑顔へと変えていく。

「なんだ…流石だね、ルフィ……」

ルフィなら安心だ。
シアンは肩の力を抜き、広場を後にしようと歩き出す。

「…私とルフィが欲しいものって、これの事だったのか」

アレは所謂“餌”。シアンとルフィをコロシアムという“檻”の中へ閉じ込める為の、至高の餌。

「この作戦…考え直す必要がある」

急いで誰かと合流しなければとシアンはモニターを背に歩く。すると、そこでとても奇妙な光景を目にした。

「待ってくれ! エミリア! 僕だ、君の幼馴染みだよ!!」
キャーー!! オモチャが壊れた!! 『人間病』よ!!
「違う!! 思い出してくれエミリア!! 頼む!!」
「やだ、離れて!! 私に幼馴染みなんていないわ!!」
「……なに、あれ……」

突然オモチャが女に向かって騒ぎ出した。内容はトンチンカンなもので、「僕は人間だ」とか「君の幼馴染みだ」とか全く意味がわからない。

「オモチャが、人間…?」

見たままの事を呟く。今にも何処かへ連れ去られようとしているそのオモチャを、シアンは止めようと衝動的に駆け出した。

「待って!!」
「な、何だお前は!!」
「そ…そのオモチャ、えっと…そう、私と演技の練習してたの!!」
「演技…?」

訝しげにジロジロと見てくる衛兵に、シアンはうんうんと頷いてオモチャを見下ろす。可愛らしいきつねのぬいぐるみの姿をしているオモチャは、目を見開いてシアンを見上げた。シアンはひょいとそのぬいぐるみを抱き上げ、自然な流れでその場を後にする。

「ふぃ〜、危なかった危なかった。このフードがなかったら今頃バレてたかも」
「き、君は……」
「ん? あーっと……ちょっとお茶しない?」

ピッとシアンが指さしたのは、広場に近いカフェテリア。オモチャは戸惑いながらもその誘いに乗り、店へと向かったのだった。

「何か飲みます?」
「え、あ、いや…食べられないから…」
「…そうですか」

メニュー表を広げたシアンはその返答を聞いて直ぐに直した。その行動を不思議そうに見つめてくるオモチャは、恐る恐る口を開いた。

「ど、どうして僕を助けたんだい?」
「…聞きたいことがあったからです」

このドレスローザという国で当たり前の光景となる“オモチャ”の存在。人間と仲良く共存していると思っていた矢先にあんな会話をされてしまえば、見て見ぬ振りなんて出来なかった。

「あの人間の女性と幼馴染みって言っていましたけど、女性は一度も頷かずに『オモチャが壊れた』って言ってた。『人間病』とも言ってたけれど…どういうことですか」

もしかすると、自分達が思っているよりもこの国の闇は深いんじゃないか。シアンは周りを警戒しながらオモチャに問いかける。

「あなた達は、一体何なんですか」

そう問いかけられたオモチャは暫く辺りを見渡して、ふぅ、と短く息を吐いた。目の前の女性を見た事はないけれど、ここまで聞いてくれる者も今までいなかった。それに何より、全てを思い出したのはついさっきだ。その思いの丈を誰でもいい、ただただぶちまけたかった。

「僕はさっきの女の人、エミリアの幼馴染みなんだ。名前は“ユリー”――人間だ」

真っ直ぐにシアンの瞳を見つめ、そう答えたオモチャ――ユリー。
しかし、すぐに目を閉じて悲しげにテーブルへと視線を移す。ぼんやりとした様子でユリーが語るのは、このドレスローザという国の最大の秘密だった。

「さっき、エミリアが言っていただろう? 『私に幼馴染みはいない』って」
「そういえば……」
「エミリアは別に嘘を吐いた訳じゃない。本当に知らない…いや、忘れたんだ」
「忘れた?」

ドクン、心臓が嫌な音を立てて跳ねた。まさか、まさか、と悪い方にしか頭が働かない。そんな考えを肯定するように、ユリーはそこら中にいるオモチャをビー玉のようなぬいぐるみの瞳に映した。

「つまりこの国には、“忘れられた人達”と“忘れた人達”がいるんだ」

ガツン! と、鈍器で頭を殴られたような感覚がシアンを襲った。ぐわんぐわんと響く頭は、正常に働かない。

「僕達おもちゃは、もともとみんな人間だったんだ。けど、それも10年前に現国王――ドフラミンゴが連れて来た一人の能力者の手によって、僕達はオモチャの姿に変えられてしまった…」

次々と明らかにされていくドレスローザの“闇”。まさか、ドフラミンゴがそんな事をしていたなんて夢にも思わなかったシアンには衝撃的すぎたらしい。

「でも、本当に助けてくれてありがとう」
「あ、いや、ううん。たまたま聞きたい事があったから…」
「でも、僕はその“たまたま”に救われた。あのまま衛兵に連れて行かれてたら、僕はきっとスクラップ工場に落とされてたからね」
「スクラップ……“工場”!? それって、どんな…」
「それは僕にも分からない。ただ記憶を取り戻したオモチャ達、所謂『人間病』になってしまったオモチャが連れて行かれる場所だ」

思わぬところで出てきた“工場”に驚くが、それはフランキー達に任せようと椅子に座り直した。

「…ユリーはこれからどうするの?」
「そうだね…エミリアの元へは帰れないから、暫くは何処かで働いて時間を潰すよ。その方が何も考えずに済むからね」

笑ってそう言ったユリーを、シアンは両腕で抱き上げて至近距離で顔を合わせる。ユリーからしてみればこんな近距離で女性と顔を合わせることに抵抗があったのだが、生憎自分の今の姿はぬいぐるみ。抵抗なんてしたくても出来ない。

「ユリー、大事な幼馴染みなんでしょ?」
「そうだけど…向こうが覚えてないんじゃ、僕は妄言癖のあるただの可笑しなぬいぐるみさ。それこそまた『人間病』と言われるのがオチだよ」
「この国は、もうすぐ変わる」
「………え?」

とん、とテーブルの上にユリーを置き、シアンは立ち上がる。遠くから聞こえる仲間の声がだんだんと近づいて来るのが分かったからだ。
立てかけておいた刀を差し、フードをより深くかぶってユリーへと振り返る。

「ユリー達の悪夢は、きっと今日終わるよ。ユリー達をそんな姿にした能力者ってのは、ドフラミンゴの部下なんでしょ?」
「う、うん……」
「だったら安心して。絶対に倒すから」

そう言って立ち去ろうとしたシアンを、ユリーはたまらず呼び止める。どうしても聞きたい事があったから。

「待ってくれ!」
「…………」
「君は…どうしてそんなに僕達の事を…? 一体君は誰なんだ…?」

ただ、観光として立ち寄っただけじゃないのか。
そんなユリーに、シアンは顔だけ振り向く。眩い光を浴びながら此方を見て微笑むシアンに、ユリーは一瞬見惚れてしまった。

「私は、ただの海賊だよ」
「っか、海賊…!?」
「そう。それで、ユリー達に同情したからとか、そんな理由で今みたいな事を言ったつもりはないよ」

ふ、と表情を緩めたシアンは、ユリーにだけ聞こえるように囁いた。

「ただ、ユリーみたいな人が好きだから」
「……は!? え、す、すすす!?」
「大事な人なんでしょ? エミリア」
「……うん」
「だったら、自分の手でちゃんと守ってあげなよ。男でしょ、ユリー!」

語尾を強めてそう言うと、シアンは広場の方へと走り去った。
一人ぽつんと残されたユリーは暫くシアンの後ろ姿を見送っていたが、やがて自分のぬいぐるみの手のひらをぼんやりと見つめ、何かを決意したかのように走り出した。
大事な人を思い浮かべながら。

「サンジー!」
「シアンちゃん!? どうしてここに…というか今までどこに!!?」
「まあまあ、ちょっと観光?」
「怪我は無かったか!?」
「ん。それより――…」

漸く仲間と再会を果たしたシアンは、去っていくぬいぐるみの後ろ姿を眺め、口元を緩めたのだった。





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