愛しいばかりが募るのです

「ちょっとギン!」
「何ぃ〜〜? ボク忙しいねんから後にしてくれる?」
「甘味持ちながらどこに行くつもりよ」
「ちょっとそこまで」
「さっさと仕事片付けなさい! この莫迦!」
「ウワッ、イタッ! 耳引っ張らんといてェな!」
「ったく、アンタも平子隊長も。目を離すとすーぐどっかに行っちゃうんだから」

遠くから朱音の怒った声とギンの痛がる声が聴こえてくる。ちらりと目を向ければそのあまりの距離の近さに胸にずくりとした痛みが走ったが、気づかないフリをしてその場から立ち去る。霊圧の残滓すら残さないように注意をして。

やって来たのはいつもの見渡しの良い高台、ではなく、数日前に見つけた尸魂界の外れにある花畑。どうやらあまり人が来ないらしく、花々は綺麗にたくましく咲き誇っていた。
その中心に寝転び、鼻孔をくすぐる花の香りを吸い込むと胸の痛みも少し治まった気がした。そよそよと頬を撫でる柔らかな風を感じながら、私はそれはそれは長い溜め息を零した。

「……こんな筈じゃなかったんだけどなぁ」

片腕を目の上に乗せて、情けない声色で呟く。
ユーハバッハとの戦いも終わり、平穏な日々が戻ってきた尸魂界。真子達も護廷に戻ってきて少しずつ元の生活が戻ってきた。

――一緒に居られへんかった分、俺と一緒に生きていこう。
真子はそう言ってくれた。私も迷いなくその手を取る筈だった。だってそれだけがこの長い時間で求めていたものだったのだ。躊躇いも迷いも必要ない。けれど気がつけば、私の首は横に振っていた。
ずっと真子に会う為に生きてきたのに。真子が居なくなって空っぽになったままずっと生きてきたのに。生きていると知って心の底から安堵したはずなのに。

隊舎に戻った私を出迎えたギンを見て、『ああ、そうか』とすぐに納得してしまった。まさか――。

「(まさか、ギンのことを好きになってたなんて……)」

以前からギンに対して、執着にも似たかんじょうを持っていたのは自覚していた。していたが、よりによって“恋情これ”だとは思いもしなかった!

「う〜〜っ…。むり、絶対むり、最初から負け戦じゃん…」

ガバッと勢いよく起き上がって雑に頭を掻き乱す。真っ白な髪が乱れるが構うものか。
だって、ギンの好きな相手なんてずっと昔から知っていた。そもそも彼が護廷に入隊したのだって松本副隊長のためだ。そして護廷を、尸魂界を裏切って躊躇いなく惣右介くんと共に虚圏へ行ったのも彼女のため。惣右介くんとの決戦で命を賭けたのも、全て彼女のためだ。

年季が違う。勝ち目なんて誰から見てもない。そんな相手に『好き』だなんて言えるわけがないし、この想いを伝えることでギンに迷惑をかけたくもなかった。
市丸ギンは、とても優しい人だ。少なくとも私にはとても優しかった。真子達が居なくなって空っぽだった私に、居場所を与えてくれた。意味を与えてくれた。温もりを与えてくれた。……ずっと傍に居てくれた。
百年だ。百年もの間、私は彼を縛り続けてしまった。彼は死ぬ覚悟で護廷ここに来ていたというのに、彼から松本副隊長との時間を私が奪ってしまった。危うく一命を取り留めることはできたが、運が悪ければ彼は死んでしまっていた。――松本副隊長と和解することもできないまま。

だからもう、ギンは私から自由になるべきだ。何もかも与えてくれた彼の時間を、返さなくては。
この想いは決して伝えてはいけないし、悟られてもいけない。それが私にできる精一杯。

「でも、顔を合わせたらギンのことだからすぐに気づいちゃうと思って、避けちゃってるんだよねぇ。…いっそのこと、現世への長期滞在任務に着任こうかな……。時間も経てばそれなりに気持ちも整理できるだろうし」

ポンと頭に浮かんだ計画だが、いい気がしてきた。このまま避け続けるのも限界が来るだろうし、それなら思い切って尸魂界から出ればいい。最悪喜助達もいるから、宿も食べ物も困ることはないだろう。

「よし! そうと決まればさっそく行こう!」
「何処に?」
「どこって、現、世……に……」
「ふーん? 現世に何しに行くん?」

この、声、は。
サーっと一瞬にして血の気が無くなり、きっと青白くなった顔をぎこちなく後ろへ向ける。そこには予想通りの人がニコニコと口だけで笑ってしゃがみ込んでいた。

「ギ、ン………」
「なあ、現世に何しに行くん?」
「いや、えっと、ひっ…久しぶりに、キスケにでも会いに行こう…かな、と……」
「ふぅん?」

固まる私の言い訳に首を傾げたギンは一瞬で互いの距離を縮め、上から覆いかぶさってきた。膝立ちになって私を上から見下ろし、頬を両手で包まれて無理やり顔を上げさせられる。手の平から伝わるひやりとした冷たい温度に背筋がぞくりと粟立った。

「うそばっかり」

グッと顔と顔の距離が近くなり、ギンの吐息が自分の唇に触れる。どちらかがほんの少しでも動けば当たってしまうほど、その距離は近かった。

「長期滞在任務って何?」
「きっ聞いてたの!?」
「聞こえたんやん。てか話逸らさんといて。なあ、何?」
「っ、べ、つに、ギンには関係ない」

ついムキになって言い返してしまったが、途端にギンの雰囲気が悪くなったのは長年の付き合いからか、すぐに分かった。口だけの笑みも今やどこにもなく、うっすらと開いた瞳は剣呑な光を宿している。

「なあ、真白」

もうこれ以上縮まらないと思っていた距離が更に近くなる。額同士が合わさり、鼻と鼻が軽く触れ合う。たまらず目をぎゅっと閉じれば「目ェあけて」と唇を吐息がなぞり、そろ…っと瞳を開けると彼の双眸と重なった。

「何で平子サンのこと拒んだん?」
「な、んで知って……!」
「あないに落ち込んだ平子サン見たら、理由なんかすぐに分かるわぁ。ま、雛森チャンとかは気付かんやろうけど」

「ほんで、何でなん?」答えるまで逃がさないと言わんばかりの声色で訊いてくるギンだが、今この状況をもしも松本副隊長にでも見られてみろ。とても言い訳できるものじゃない。とりあえずこの近すぎる距離を何とかしようと彼の胸を押したが、そんな抵抗は彼には通用しない。むしろその行為に苛立ったのか、ついに後ろへ押し倒されて私は背中から花畑へダイブした。

「〜〜っギン!」
「はよ答えてェな。何で平子サンのこと振ったん?」
「だからっ、その話はしたくないの! 退いて!」
「…この百年間、真白はずっとあん人のこと求めとったやん。それが叶うのに、何で手放したん? 何で拒否したん?」
「それ、は……」
「……ボクが、どんな思いで……っ」
「……ギン…?」

ギリっと肩を痛いくらいに掴まれ、顔が歪む。彼らしくない力の込め方にそっと表情を窺えば、まるで迷子のように瞳を揺らしていた。思わず目を見開けば、その目の縁にじわじわと涙が溜まり、やがて雨のようにぽたりと落ちて私の頬を濡らす。
ギンが泣くところを見るなんて、いつぶりだろうか。痛々しい姿を何とかしてあげたくて、私は肩を掴まれていようがお構いなしに両手を伸ばしてギンの頭を掻き抱いた。

「真白……?」
「何でギンが泣くの。……私のことなんて、もう放っておいていいんだよ」

もう、充分だ。ギンからたくさんのものを貰ったのに、私は何一つ彼に返せていない。

「ほら、こんなところ松本副隊長に見られたら誤解されちゃうから」
「……なんで乱菊が出てくるん」
「なんでって……」

それを私に言わせるのか。つい言ってしまいそうになってしまったそれを寸前で飲み込み、「松本副隊長のことが好きなんでしょう?」と口にした。途端に胸が痛んで泣きそうになったが、今はまだダメだ。泣くのはギンがいなくなってからじゃないと、きっと彼のことだ。余計に心配をかけてしまう。

ほら、と体を起こすようにぽんぽんと背中を軽く叩くと、のそのそと肩口に埋まっていた顔を上げる。その目元に涙はないが、表情は完全に怒っている。あれ、私何か間違ったか。すぐに記憶の中を巻き戻そうとしたが、それよりも先にグイッと体を起こされて「ぅわっ!?」と情けない声が漏れる。あっという間に今度は私がギンを押し倒したかのような体勢へと入れ替わってしまった。

「ぎっギギ、ギン!?」
「いつボクが乱菊のこと好きって言った?」
「いつって…護廷に入ったのも、惣右介くんについて行ったのも、全部松本副隊長のためなんでしょ? そんなの好きじゃなきゃできないよ」

ああもう、胸がいたい。泣きそうだ。何で自分でこんなことを言わなければならないんだ。
好きで、好きで、大好きなのに。それを伝えることだけはできない。優しいギンだからこそ、彼が本当に愛している人と幸せになってほしいから。だからどれだけ痛くても、つらくても、泣きたくても、今だけは我慢しろ。

「死神になったんは乱菊のためやけど、藍染サンについてったんはそれだけとちゃうで」
「…………?」
「その前に」

下からギンの瞳に捕まり、どくりと心臓が跳ねる。最近避けていた分、会えて嬉しいと厳禁な私の心が喜んでいるのが分かる。

「真白、ほんまに平子サンとはえェねんな?」
「……うん」
「ほんま?」
「ほんとだってば! もうっしつこ――」
「すきや」

私の言葉を遮った彼の科白に、ぴたりと声が止まった。その意味を理解しようと頭が働く前に、もう一度同じ音が囁かれる。

「すきや」

聞き間違いなんかじゃない。それは確かに、私に向けられていた。

「なん、え、え……?」
「すき」
「ちょ、まっ」
「だいすき」
「まって」
「すき、すき、だいすき」
「〜〜〜〜…っ! ま、まって…ギン!」
「もう待たれへん」

するりとまた彼の両手で頬を包まれる。最初よりも温もりを感じる手のひらによって、ギンから目が離せなくなった。――ああ、だからまってよ。そんな、そんな目で私を見ないで。
そんな、甘くとろけた目で、私を見ないで。

「やっと言える。もう我慢できひん」
「ぎ、ん」
「真白、真白。すき」
「ぁ、う……っ」
「真白」

愛しくて愛しくてたまらないみたいに、私の名前を呼ぶギン。その声と目を見てしまえば、疑うことなんてできなかった。かわりに私の瞳からは涙が溢れ、今度はそれがギンの頬に落ちていく。

「ごめんな。迷惑ってわかっとってんけど、真白が平子サンのモンにならへんって思ったらもう我慢できひん」
「ぎん、」
「ずっとずっとすきやった。他はなんでも諦められたけど、真白だけはあかん。諦められへん」
「ぎん…」
「すき」

壊れた機械みたいに『好き』だと繰り返すギンに応えるように、頬を包む手に触れた。ぴくりと反応する彼に笑い、わたしも、と口を開く。

「私も、ギンが好き」

言葉の意味を数秒かけて飲み込んだギンは、珍しく目を見開いて「………ほんま?」と確かめるように訊いてくる。「ほんま」それが可笑しくて笑いながら頷くと、頬にあったギンの手が片方だけ私の頭の後ろに回る。えっと思った瞬間、強く頭を押されてその勢いのまま彼との距離が縮まる。気がつけば彼と自分の唇が重なっていた。

「んっ……」
「ん……真白…」
「〜〜…、っ、ぎ、ん、ちょっ…ま、んんっ」
「んん…っ。は、ん……」

最初はただ唇同士のキスだったのに、ちろちろと彼の舌が唇をくすぐると、それに驚いて開けてしまった。その隙にするりと咥内へ入り込んだ舌は、奥で縮こまっていた私の舌を見つけるとぬるりと絡め取り、ちゅこちゅことしごくように動き回る。上顎を擦られ、歯列をぞろりとなぞられるとぞくぞくと快感が駆け上ってくる。
このままではだめだと頭を上げようとしたが、ギンはすぐにそれを悟って逃げられないように手で頭を固定する。そのせいでより深くなり、膝に力が入らずにガクガクと震えてしまう。

「ひ、ぁっ……も、むい、ん〜〜…っ…! ぎん、ぁ、ふぅ……っ」
「ん……真白、」

やがてちゅる、と卑猥な音を立てながら唇が離れる。私とギンを繋ぐ糸がぷつりと消える様をぼんやりと眺めていると、きっととろとろにとろけているであろう私の瞳を見ながら囁いた。

「もう好きだけやと足らんわ」
「ふ、へ……?」
「愛してる」

その言葉に反応を返す前に、また唇を喰まれる。けれど私はただただ嬉しくて、頬に涙が伝うのも構わずにギンのキスに酔いしれた。