文豪小説2黒の時代の要素を含みます。
黒の時代のネタバレはないです。
1巻表紙裏漫画のネタを1部お借りしています。
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吾輩は猫又である。名前はサイと言う。誰かに名付けられたのかどうかは分からないが、いつの時からか自分がサイであるということは理解している。普段は猫の振りをして、人間からご飯を貰って生活している。この街ーヨコハマには猫に優しい人間が多い。特に白髪に着物を着た人間の元に行けば必ずご飯が貰え、飢える心配はない。猫にとっては最高の街である。
そして今日も今日とて、自由気ままに街をさ迷っているとしゃれたバーと呼ばれる場所を見つけ足を止める。こういったところは猫お断りということが多いので視線を前に戻し、再び歩きだそうとすると、俺の後からここに来たのか、てとてとと三毛猫が1匹店の前で止まりにゃーと一声鳴く。その声に動かそうとしていた足を止めくるりと視線をバーのドアに向ける。
三毛猫がひと鳴きし、程なくするとカランカランと乾いたベルが音を鳴らし、品の良いドアが開かれ、老齢の男が顔を出す。
「いらっしゃい。先生。
おや、今日はお友達も一緒かい?」
その言葉に首を傾げると先生と呼ばれた猫が『お前の事だよ』と言ってくる。なんだ俺のことか。ちょうどお腹が空いていた事だし今日はここでご飯にありつくとしよう。ひらりと足を動かし、暖かみのある灯りの漏れる店内へと入り込んだ。
−*−
店内の天井から吊るされた灯りの光を受けキラキラと輝く円筒の物何個も上下にが並んだ場所に平行に並び、他の
見た目に反して、柔らかい物が敷かれた座面を数度踏み居心地のよい場所を探る。あーでもないこうでもないと探し、やっとこさ見つけた良い場所に腰を下ろし顔を老齢の男に向ける。俺の視線に気が付いたのか男は、俺の目の前に猫缶から出したであろう餌を置く。俺は一度鼻をひくつかせて臭いを嗅ぎ視線を再び男に戻す。男は顔に笑みを乗せただ一言「お食べ」と言う。
俺はその言葉を合図に、餌に口をつける。うーむ、煮干しも美味だがこういった味のものも上手いな。猫の好む味をよくわかっている。一緒にやってきた、先生は餌を食べないのか、俺の隣の椅子に丸まり静かに目を閉じていた。時折先生の耳と尻尾が揺れるので起きているのだろうと推測できる。
しばらく一心不乱に餌を味わっていると隣に水皿も置かれる。こやつなかなか猫の扱いを心得ているな。ありがとうの意を込め一鳴きすれば、男は何も言わずに微笑みを返し、透明でキラキラと光る円筒の物を白い布で撫でていた。
再び、餌を食べようと皿に顔を近づけると、カランカランと乾いたベルの音が響く。その音はこの店に入る時にも聞いた音で、俺は視線を音のした方に視線を向ける。
木製のドアを背にして立っていてのは、クシャッとした黒髪の隙間から白を覗かせている子供と、赤銅色の髪と砂色の上着を着た男、少しくたびれた印象と丸い眼鏡が印象的な男−一見すると共通点の見られない男3人組が店内へと入ってきた。
彼等はまず先生に目を向けてからその隣に座っていた俺に目を向けおやっと一瞬目を見開く。3人組の中で1番年若い子供が笑みを貼り付け、コツコツと音を立てて近付いてくる。俺は腰を高くあげ警戒するが、子供はそんなこと無意味だと言わんばかりに遠慮なく俺の身体を抱き上げる。
子供は猫を抱き慣れていないのか俺の前足の下に両手を通しただけで後ろ足と尻尾が空を切る。
「ねぇマスター、この子新しい子?」
「ええ、先生の友達のようですよ。」
「へぇ、先生の…」
別に先生とは友達でもなんでもないし、なんなら今日初めてあった猫だ。しかし、人間にとっては猫が複数いればそれは友か、同じ縄張りを共有するものにしか見えないのだろう。意外と奥深い猫社会をわざわざ彼等に説明する気もないので適当に一鳴きしておく。
「却説、先生の友達の君に名前はあるのかな?」
子供がそう訪ねならが、椅子に座ったためプラプラと揺れる足と尻尾が、ある程度固定される。名前、名前ならあるぞ。サイだ。誰が呼んだかは忘れてしまったが俺の名前はサイだ。そう伝えたいのだが、人語を操る猫など奇異でしかない。
良くて店を追い出されるだけだが、最悪怪しげな研究をしてる施設に連れて行かれるのは困る。うんうん考えていると、子供は名案を思いついたかのような、新しい玩具を与えられた子供のように喜色満面の笑みを浮かべる。あぁ嫌な予感がする。
「どうやら無いみたいだねぇ…
どうだろう?ここはひとつ君に私達が名前をつけてあげよう!」
「?私達…?俺や安吾も考えるのか?」
「僕はそんなことやりませんよ…」
今まで沈黙を保っていた赤銅色の髪の男がキョトンとしたように声を出す隣で丸眼鏡の男−赤銅色の髪男の言葉から安吾という名前なのだろう−が嫌そうな声を出す。
「うーん、君にはどんな名前がいいか…」
子供は二人の男の疑問と不満を封殺し、俺の身体をくるりと反転させ自身と向き合う形に変える。子供の顔は片方の目を白い布で覆い、その反対側の頬には白い物が貼り付けられていた。唯一見える黒い瞳が上から下へ、下から上へと俺を舐めまわすように見つめる。俺は若干の居心地の悪さを感じながら身を捩る。
「白い毛並み、耳の先だけ黒い毛…ホワイト…ブラック…イヤー」
子供は訳の分からないことをぶつぶつと呟きながら、俺の目をその黒く底の知れない瞳で覗き込んでくる。
「いや」や「それよりも」や「むしろ」など、一通り逡巡してから、なにか閃いたかのように顔と俺を連れの2人組の方に向ける。
「織田作!安吾!決まったよ!この子の名前!
「…随分と長い名前だな。覚えられるだろうか?」
「太宰くんのつけた名前にはツッコミどころが多々ありますが、織田くん気にするところはそこではありませんよ…」
全くその通りである。
丸眼鏡の男の言葉に静かに賛同する。
しかし子供は丸眼鏡の男の言葉に唇を尖らせ、ずいっと丸眼鏡の男の方に俺の体を近づける。
「じゃあ、安吾は私の付けた名前より善い名前、この子につけてあげられる理由?」
「そ、それは…」
「私のつけた名前に文句を付けるんだ。さぞ善い名前をつけてくれるのだろう?」
言葉を詰まらせる丸眼鏡の男を畳み込むように言葉を重ねる子供に薄ら寒い何かを感じながらもされるがままの俺。
猫と(おそらく20歳を超えた)男が静かに見つめ合い、何度か言葉を紡ごうと開いては閉じを繰り返した口が、やがて絞り出すように音を生み出す。
「しゃ、シャルロッテ…」
「シャルロッテか…覚えやすい名前だな…」
「ぷ、シャルロッテって!この子は男の子なのにそぉんな女の子みたいな名前可哀想じゃないか!
やっぱり私の考えた
おまえの名前が1番勘弁願いたいのだけれど。
僅かな不満を現すためにペしぺしと子供の腕を叩くが効果は無いようだ。
「確かに安吾の名前は覚えやすいんだが、噛みそうな名前だな…」
ぼんやりと球体の透明な塊と、琥珀色の液体が入った透明なものを揺らしながらじっとこちらを見ている赤銅色の髪の男。子供の黒い目とは違い、何処までも澄んだ碧い瞳が俺を捉える。
「じゃあ、織田作。織田作ならこの子にどんな名前をつける?」
子供の無邪気な問いに赤銅色の髪の男は黙り込み、考え込むように碧い瞳を目蓋の裏にしまいこむ。男が考え込んでいる間は誰も口を開かず、バーに流れる落ち着いた品のある音楽だけが辺に満ちていた。
不思議と居心地の悪くない空間の中で、永遠とも一瞬とも取れる時間のあとに赤銅色の髪の男は再び目を開き言葉を紡ぐ。
「……そうだな、たまなんてのはどうだろうか?」
酷く真面目に吐き出された言葉はなんてことは無い。子供のようにひねりに捻った難解な名前でも、丸眼鏡の男のようにどこか外つ国の猫の様な名前でもなく、ごくごく在り来りなそこら辺に居そうな猫の名前であった。
「たま、たまかぁ…」
子供は男の答えを聞き、噛み締めるように何度かその名を口の中で転がし、得心が得れたと言わんばかりに、笑みを浮かべ俺の身体を高く高く持ち上げる。
「よぉし、君の名前は今日からたまだ!!
うんうん、私の考えた
「明らかに太宰くんの名前より万倍マシな名前ですよ。」
「何か言ったかい?安吾。」
「いえ何も?」
子供の言葉に肩を竦める丸眼鏡の男。それを横目に自らが決めた名前を呟く赤銅色の髪の男。
子供は俺の名前が決まり興味が無くなったのか、俺を空いている席(本来ならば先生がいた席なのだが、いつの間にかズレていた)に置き、彼らの世界へと入っていった。
吾輩は猫又である。名前はサイと言う。誰かに名付けられたのかどうかは分からないが、いつの時からか自分がサイであるということは理解している。今日この時から、サイという名前だけでなくたまという名前も授かった。
この日を境にヨコハマで俺をサイと本名を呼ぶ人間はおらず、あの日授かったたまという名前で呼ばれるようになった。
俺は案外サイという名前もたまという名前も気に入っているのである。