今日は6月4日。
我が立海大附属中学校が誇る男子テニス部は常勝立海という言葉を掲げる超強豪チームである。
ダブルスからシングルスまでレギュラーメンバーは強者揃いで、特にその中でも立海三強と言われる部長の幸村、副部長の真田、参謀の柳はかなり強いと有名だ。
そして冒頭、6月4日……今日この日は参謀、柳蓮二が誕生した日である。

……朝から校内が騒がしい。
隣のクラスから色々な女子生徒が出たり入ったりと忙しそうにしている。勿論私のクラスも例外ではない。
隣の席に集まる男子たちは尊敬と嫉妬と呆れが混じったような顔で隣のクラスへと飛び出していく女子たちを見つめていた。
帰ってきた女子は顔を赤くしながら貰ってくれたよ〜!なんて可愛らしく飛び跳ねて喜んでいる。
「いいなぁ……可愛い」
ぼそりと呟いた言葉は教室の雑音に紛れて消えていった。

ここだけの話。私は数日前、柳蓮二に失恋した姿を見られ慰められたことがある。
ある日の放課後、空き教室で好きだった男子に告白したが見事玉砕。
“今は部活に集中したいから”なんて、今この時だけは部活動……特に運動部に力を入れているこの学校が憎らしく思えた。
その後何を話したかは記憶にないが、1人残された教室で阿呆みたいに涙を流していたことは覚えている。
その時後ろの方でカタンと物音がしてハッとしたが、もし人がいたとしてこの泣き腫らした顔を見られるのは恥ずかしい。どうしようとその場から動けずにいたら、横からそっとハンカチが差し出された。
白くて綺麗なハンカチだ。
「使うといい」
「あ……え?あ、ありがとう」
でもその、汚しちゃうから……と俯いたまま言うと横にいる男子は口を開く。
「こんな状況で何もせずに立ち去ることはできないな」
それに偶然とは言え立ち聞きしてしまったからお詫びとして良ければ使ってくれと優しい声で話すと差し出していたハンカチをまた少しだけ私の方に寄せた。
それでもやはり、涙と鼻水でぐしゃぐしゃな顔をこんな綺麗な……しかも全く知らない男子のハンカチで拭うのは気が引ける。
感謝と断りの意を込めて頭を下げると、彼は徐に私の手をとった。
大きくて骨ばった男の子らしい綺麗な手が優しく私の手をとるものだから、驚いた私は涙も鼻水も止まっていることにも気づかず狼狽えることしか出来ない。
「返さずとも構わない」
私の手にハンカチを握らせてそう言うと励ますように私の肩をぽんぽんと叩いて彼は去っていった。
私は綺麗なハンカチを握りしめて去っていく彼の背を見てまた驚く。
あ、あれって……あの有名な柳蓮二だ……!
失恋から有名人に励まされるという濃い経験を一気に体験した私は呆然と立ち尽くすことしか出来なかった。
結局あのハンカチを使うことは無かったが、洗濯をしていつもより丁寧にアイロンをかけておいた。
返さなくてもいいと言われてはいるが、やはり一方的に貰うのも気まずいしお礼もしなければということでハンカチと個人的に書き心地抜群だとよくリピートしている白い色のボールペンを付けて軽くラッピングする。
「明日渡そう」
そう言って眠ったはいいものの、翌日もそのまた翌日も彼は女子に囲まれているかテニス部と一緒にいるか姿が見えないかで渡す機会がなく今日までずれ込んでしまった。

そして今日……なんと彼は誕生日だったらしく、とにかく渡す隙がない。
半日様子を窺っていたがお昼休みまでも人の囲みは無くならず、これは今日も無理かなあと思い始める私の頭。
珍しく考え込むような私を見て不審に思ったのか友人がどうしたの?と声をかけてくれた。
「実はこの前柳君に物を借りたんだけど、それを返すタイミングがなくてね」
「……なぜそうなったかはあとで詳しく聞くとして、放課後ならいいんじゃない」
「放課後は部活行くでしょ」
「ちょっとした手紙書いて机か下駄箱に入れとくとかでいいんじゃん?」
あ〜!その手があったか!と手を叩いて納得する。
お礼も兼ねてるから一応直接渡した方がいいと思っていたけれど、あんなに囲まれてるようじゃ逆に手間取らせて迷惑になるかもしれない。お礼のメッセージを入れて皆が帰ったあと彼の机に入れておこう。
友人にお礼を告げるとジュースねと言われ項垂れつつ缶ジュースを奢った。

放課後、人がいなくなるまで自席で音楽を聴きながらぼんやりしていた。
いつの間にかうたた寝をしていたようで気付いた時にはクラスには誰もおらず、私の机には早く帰れ!やらまた明日!と何人かから書置きがされていた。
伸びをするとイヤホンを外し隣のクラスへと向かう。お礼の入った紙袋を忘れずに持って。
そろりと教室の中を見ると誰もおらずほっと胸を撫で下ろす。
さて、柳君の席は……って、そういえば私柳くんの机の場所知らない!
初歩的なミスを犯していた、どうしよう、下駄箱にしようか?と他クラスでウロウロしていると後ろから声をかけられた。
「……姓か?」
低い声に教師が来たのかと焦って振り向くと、そこに立っていたのは教師ではなく柳蓮二その人であった。
彼は不思議そうな顔でこちらを見つめている。ヤバいめちゃくちゃ不審がられてるかも……!そりゃそうだ、他クラスの女子が自クラスで意味もなさげにうろうろ動き回っていたら気持ち悪すぎる!変な汗が出てきた、ここは早めに渡して退散しよう……!と決意すると私は手に持った紙袋を思い切り突き出す。
「こ、これ!」
「これ、とは」
「柳君のハンカチです、この前の!……あの時はありがとう。返さなくてもいいって言われたけど、流石に貰うのは気が引けたから」
勿論ちゃんと洗濯もしたし!と一息で言い切ると、柳は驚いたような顔をしてから小さく笑った。
彼はそっと紙袋を受け取ると、中を見てもいいか?と言ったのでどうぞと返す。
「……ボールペン?」
「あ、それは一応お礼……になるかわからないけど良かったら使ってね」
「いや、丁度今使っているペンが終わるところだったから助かる」
ありがとう、そう言って彼は大事なものを扱うように丁寧に紙袋へと戻す。……なんだかあの時もこんな感じだったなと既視感を覚えてつい笑ってしまった私を見た柳くんは何も思ったのか無言のまま動かない。
変な奴だと思われたかも?恥ずかしくなった私は誤魔化すように笑いながらそれじゃあ、と手を挙げると彼も笑みを浮かべながら頷きああ、と言ったので私は小走りで教室を出た。
帰り道の途中で不意に、そういえば柳君テニス部のジャージだったけど部活中にどうしたんだろう?なにか忘れ物でもしたのだろうか。珍しいこともあるんだなあなんて思い返していたが、どこからか香ってくる夕飯の匂いに意識を持っていかれていつの間にかそんなことも忘れてしまっていた。


「あれ……柳、それは?」
部活中に忘れ物をしたから少し席を外すと言いどこかへ行ってしまった柳がしばらくして帰ってきた……片手にノートと小さな紙袋を持って。
忘れ物に加え、どことなく浮ついた雰囲気の柳が珍しくて幸村の興味が湧きあがる。
彼はにこりと笑うとお礼だ、と言った。
「ふぅん、まあ後で聞くからいいよ」
「お手柔らかに頼む」
そんな軽口を叩いて二人はコートに入っていった。

「で、お礼って?」
部活後、部室で明日のメニュー決めを終えた所で幸村が切り出した。
「む?」
真田はなんのことか分からず首を傾げている。
柳は少し間を置くと、これまでに至る経緯を語り出した。
話を聞き終えた幸村は花のように美しい笑みを浮かべている一方、真田はなかなか出来たやつだと何故か満足気だ。
幸村が柳をじっと見つめ、薄く形の整った唇を開く。
「柳、嬉しいんだね」
柳は少し顔を上げ幸村を見ると、視線を紙袋に戻す。
「ああ、前から思いを寄せていたからな」
いとも簡単にそう言い放った柳に幸村も真田も流石に驚き固まる。
彼はそんな2人を見てくつくつと喉を鳴らして笑うと、紙袋をつんとつついた。
「この柳蓮二の計算に狂いはない」
今のところ計画は上手くいっている……彼女を手にするまでもう止まる気は無い。
柳の脳裏には泣き腫らした目の彼女と、今日見た笑顔の彼女が浮かんでは消えていった。
明日、俺がこのペンを使っているのを見た姓の反応を早く見たくて仕方ない。
楽しみだと一人笑う柳を幸村と真田は最後まで不審な目で見続けていた。


2023.6.4 柳誕
1/4
prev  next