ガラッと古びた音を立て扉を開けると教室は昨日と同じように騒々しく、その音に気づいた友人が窓際の席から名〜と声をかけてくれる。
軽く手を振ってそこへ向かう途中にも何人かに挨拶を返す。
「おはよう」
「おはよ……で、ここは私の席」
「名を待ってたの〜」
「そりゃどうもありがとう」
友人が私の前の席に移ったので私は自席に座り鞄を置く。
段々と夏が近づき暑くなり始めた今の時期に少し生温くなった椅子は気持ち悪いな……なんてことを呟くと友人はひで〜!とげらげら笑っていた。

朝のHRまでまだ時間がある。私は友人と談笑をしながら過ごしているとまた扉の開く音が聞こえた。
教室の入口を見ると乾が教室に足を踏み入れたところで、女子の声が少しだけ色づいた気がする。
彼は長い足をゆったり運ばせると私の隣の席に鞄を置き静かに座る。
それを合図に様子を見ていた女子が朝の挨拶やらなにやらで乾を囲む。
「乾君おはよう!」
「ああ、おはよう」
「乾君て、今日誕生日だよね?おめでとう!」
「ありがとう」
成程いつもよりざわめきが大きかったのは彼が誕生日だったからか。
彼の眼鏡はレンズが厚くて目を見ることができないが、それでも分かる精悍な顔立ちに女子達が周りを囲みたくなる気持ちもわかる。
女子達と会話をしている乾を横目に私と友人は凄いね〜モテるね〜なんて笑っていた。

「起立、礼」
「はい、じゃあ今日は教科書28ページから」
1限目からうっかり寝てしまっていた私は2限目は寝ないぞと意気込んでノートと教科書を開く。
といってもこの時期のこの時間帯は丁度良い気温で開いた窓から入ってくる優しい風が気持ちよくて思わず外を見て呆けてしまう。
この先生、ずっと一人で喋っててあまり生徒に当てないから楽だな。
太陽の光に照らされてきらきらと輝く新緑が美しくて目を細めて眺めていると、右肩をとんとんと小さく叩かれる。
横を見ると、乾がこちらを見ていた。
「ど、どうしたの?」
珍しいね、と小声で話しかけると彼は少し笑ってからノートの端に何かを書き始めた。
なんだろうか?文字を書き終えた彼はそのまま端を丁寧に切り取ってこちらに渡す。
“今日は何の日か知っているか”
綺麗だが少し癖のある字で綴られた文を見てからゆっくりと横を向くと乾は少し緩んだ口元で何言わずに小さく頷いた。
知ってるも何も、朝からお誕生日おめでとう!なんて大きな声で祝われていれば横の席にいる私には筒抜けだ。
……とは言っているが、朝の件がなくとも私は元々乾の誕生日を知っていた。
だけどそんなことを素直に言うには私はまだ幼く意地っ張りらしい。机に向き直るとインクペンでサラサラと返信を書く。
“わからないけど、なんの日なの?”
紙を軽く4つ折りにしてポンと投げて返すと彼はそれを長く細い指で丁寧に開く。
ふむ、と小さな声が聞こえた。
私は何となく乾が見れなくて窓に視線を戻す。
カリカリとペンが走る音が聞こえるとまたも紙が戻ってくる。
“本当に知らないのか”
“心当たりないけど”
“嘘をつくのは感心しないな”
“なんのこと?というかなんでそんなこと聞くの?”
彼のペンを走らす音が一瞬だけピタリと止まった……と思えばまた筆音は再開し、紙が目の前に置かれる。
“姓から直接聞きたいと思ったからだよ”
文を読んだ瞬間、顔に熱が集まった。それを隠すように右側の頬に手を置き肘をつく。
なんて返そう、まさかだって。
激しい思考の波に目が回りそうだ。
震えそうな手でペンを持つ。
手を外したら顔が赤いことが乾にバレてしまいそうで、いつもより深く俯いて文字を書く。
“そうなんだ、おめでとう”
素直になりきれず一言だけおめでとうと付け足し紙を投げようと手を横に出すと少し冷たいものが触れる。
つい勢いで手を見ると、乾の白い指先が私の指先と数センチ重なっていた。
触れたものが乾の手だと分かった瞬間指先に熱が籠る。心臓が破裂するんじゃないかと思うくらい激しく鼓動を打つ。
もう隠せないであろう程に赤くなった私の顔を見た乾は珍しくはにかんだように笑った。
紙を受け取った乾はそれを見てまた笑うと、私にだけ聞こえるくらいの小さな声で言う。
「後で、直接」
良いかい?と言うかのように首を少し傾げる乾に、私は降参せざるを得なかった。
認めよう、彼のことが好きなことを。
本当はこっそり彼に渡そうとプレゼントを用意していたことを。
まだこちらを見つめている乾に、小さく頷く。乾は、また綺麗に微笑んだ。

大分前から先生の声は聞こえていない。
彼に触れた指先が火傷をしたかのように熱く熱を帯びていることが今起きていることが現実なのだと実感させてくれる。
横目で彼を盗み見ると、余裕そうにノートをとっているものだから少しばかり憎らしく思えた。
ああ、どうやって渡そう。
喜んでくれるだろうか、またさっきみたいな笑顔を見せてくれるだろうか。
やわらかい風が体を包む。数分後の未来に思いを馳せて私は目を閉じた。


2023.6.3 乾誕
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