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ここはいつも寒い。というのも山の上であるからか、それとも単に彼が修業し過ぎで変温動物となったため部屋が寒くとも平気なのか、はたまた私が寒がりなだけであるからかいつもよくわからない。しかしこの部屋に足を運ぶたびにもうひとつの可能性を思い付いた、それはこのゾルディック家により葬り去られた怨念たちが毎年積もり積もっているからじゃないのかと。ゾル家仕事しすぎ。私もそのうち、誰一人手にかけたことなどないのに、この家に通いまくっているだけで怨念に呪われるんじゃなかろうか。私は死者の霊魂を信じるたちなのでクワバラクワバラだ。この部屋へくつろぎに来るのは早急にやめたほうがいいというのは頭では理解しつつも、そう易々と切れるものではない。というのも、このお家は幼馴染みのイルミの家。ゾルディック家。両親同士深交があるため小さい頃から通い通し。怨霊がいようともなぜか心安らぐお家なのだ。
昔から両親はあまり深く互いの親交について詳しく話そうとはしない。が、犬猿の仲であるにも切っても切れない縁がそこにはあるらしい。しかし父親はこの国の軍総統という国家公務員の親玉の肩書き。ゾル家と仲良くていいのだろうか?通い浸ってる私も私だけど。でも自宅よりも待遇がいいんだもん。イルパパもイルママもとっても優しくて優遇してくれて兄弟もいっぱいいるから、一人っ子より寂しくない。なによりセキュリティが半端ない、安全でいられる。安全第一。

イルミの部屋は当の本人のイメージ通り、やはり無機質な部屋が好みのようで、モダンであるがモノトーン調の簡素な部屋だ。たぶん部屋なんてどうでもいいんだと思う。
昔に、イルママ・キキョウさんの『そのうち気にしなくなるでしょうけど、女の子なんだからかわいらしい自分のお部屋も必要ねッ!』と進言があり、ありがたいことに私の部屋も別にあるがそちらはさほど使用していない。イルミの部屋でぐだぐだしながらお喋りするのが恒例となってしまっており、そのまま雑魚寝してしまうのも通例のためむしろ私のために用意された部屋へ向かうのが面倒だ。この家広すぎるし。
しかし、あー、それにしてもさむい。さむいなー。


「寒くないよ。着るもの増やしたらいいんじゃない」
「むー」
「イヴはもうすこし筋肉つけなよ。最近お腹でてるよ」
「いつ私の腹を見た」


部屋の主はやはりそう宣った。イルミの部屋に滞在する場合はこの空調の温度調整論議がいつもながらだが、かったるい。ちょっとは暖かくしてくれよ私女子だぞ。冷え性が年々悪化の一途なんだぞ。男の子はいいよなあ、とイルミへ抗議の視線を向けた。
白いシャツから除く腕は、小さい頃から同年代の一般人の男の子と比べるとたくましいと感じていたが、それも年々強くなっていった。特殊すぎるゾルディック家と違い、私の感覚も価値観も肉体も一般人のそれである。昔っから修行だの鍛練だのと自らの体へ過重をかける彼ら一族へは、理解に悩む時期もあったが、時をともに過ごすうちにまあ慣れた。よそはよそ、うちはうちなのだ。

イルミは「たまにチェックしないとね、」とさらっとセクハラ発言をしてまた鋲の手入れをしはじめた。いつチェックしたんだ、コラ。寝ている間か?それとも洋服のサイズをやや上げたのがバレていたのか?それとも盗撮?


「ちょっとなんでわかるの。怖いんだけど」
「まあわかるし」
「答えになってないし」


まあいいじゃない、と私を適当にはぐらかしイルミは鋲をとんとんと片付け、キッチンへ向かった。よくねーよ。寒いんだからお茶飲みたいでしょ、と好きなミルクティーをいつものように手慣れた様子で淹れはじめた。小鍋に牛乳をあたため、茶葉を浸し、はちみつと砂糖を少量ずつ。あたたかなミルクが少しずつ褐色に染まるとたちまち良い香りが立ち上る。私はこの手間のかかるお茶を好きだと、イルミはやはり知っている。2つのマグカップに2等分すると、ソファに寝転ぶ私のもとまで運んできてくれた。

「ほら起きてどいて飲んで俺も座る」
「ありがとう」

レディーの腹の肉をかいつまんだのは許せないがこのお茶で帳消しだ。まあ寝ている間にお腹を出してしまうなんてこともあるだろう、と都合よく解釈する。素直にお礼を言い、その茶葉の量と甘味と配分が整ったミルクティーを受けとった。あっつい!と私がハフハフしはじめたと同時にイルミも隣に座り、彼はというとお茶を飲みながら週刊を読みはじめた。


「『パドキアの大富豪、爆発死!謎の死に迫る!30歳年下若妻と愛人の確執!』……また物騒だねえ」
「あ、これはミルキあたりやったんじゃないかな」
「あ……さいですか」


犯人はこの山のどこかにいるってか。


「物騒だなー怖いなー。お金あっても結婚なんかするもんじゃないね、恨まれるくらいならさ」
「でも子孫繁栄しなきゃだし」
「そだけどね。でもそんだけなら私はいいかなー」
「え?」
「けっこんはちょっとね」


世界が終期末を迎えて男がこの世にあと一人だけとかそういう状況になったなら涙をのんで結婚して子供つくるけど、とぼつぼつ呟きながらミルクティーを味わう。のみごろだ。あーおいしい。
そもそも結婚は子孫繁栄以外の目的では非生産的だ。男女が契りを交わしてまで共に暮らしていくことに、合理性以外になにかあるのか。今の時代、仕事があれば衣食住に困ることはない。女は男に頼らなくとも稼ぐ時代になり、大昔ではあるまいし家事は家電で済むので不都合はない。
イルミはというと、目を見開いて私を凝視していた。


「? なに?」
「……や。でも子孫繁栄の目的なら結婚するでしょ?」
「うーん。でも子ども産むのこわいからあんまり」
「えっ」


現に、私の母は私を産むときに死んだと聞いている。まさに出産は命がけ、という言葉に戦々恐々だ。母が死んだ理由を知って以来、さらに私のなかで結婚の二文字は現実離れしていった。
イルママは5人もぽんぽん産んですごい。いやキキョウさんの場合は出産以上に命かけてる現場仕事が多々あるから出産なんて屁みたいなものなのかも。屁は失礼か。便秘みたいなものか・・・?

さらに失礼なことを考えてる端で、イルミはさらにきょっとーんと目をまんまるに広げ、私をみつめていた。なんなんだ。ミルクティーを飲んだせいで私の口回りに白ひげでもできているのか、と口を拭ってみたがそんなことはなさそうだった。もう一口、ミルクティーをこくんと飲む。



「そういえばイルミは結婚しないの?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」

目ん玉だけでなく、ついにイルミは口もぽっかーんと広げてしまった。・・・・・・それ以上目をおっぴろげるとイルミの目玉がついに落ちてしまいそうで怖い。


「なっなに、なんかまずいこと言った?地雷踏んだ?」
「・・・・・・結婚はするよ?何言ってるの?」
「え!いいイルミ結婚するの!?」
「何言ってるの、当たり前でしょ。仮だけど婚約だってしたんだから」

イルミの爆弾発言に今度はこっちが目をかっ開く番だった。ついでにミルクティーも盛大にむせた。



「こっ婚約までしてるの!?私知らなかったよそんなこと!そういう大事なことはちゃんと教えてくれないと!!」
「教えてって・・・・・・イヴは知ってるじゃない。変なこと言うね」
「し、知らないってば!聞いてない!え、もしや私が聞いてなかっただけ!?いやとにかくおおおおめでとう!お祝いどうしよう、イルミ何が欲しい!?あ、それより式はいつ挙げるの!?招待状はくれるよね!?ちゃんと日付開けとくから!あとはえーとえーと、よ、余興でもやろっか!?」


イルミの突然の結婚します発言にテンパりながらも祝辞を述べ余興まで申し出るが、頭のなかはパニックだった。幼馴染み、というか一番のマブダチとさえ思っていたのに結婚のしらせを聞いていなかったのはややショックだった。それはイルミが言ってなかったのか私が聞いていなかったのかもはやわからないけど!

そんな私にイルミは訝しんでこう告げた。彼と私は産まれてから幼馴染みとしてずっと一緒に育ち、早20年になるが、その言葉は私の人生であとにもさきにも無い最大級のそれはそれはデカい爆弾発言だった。




「本当にさっきから何言ってるの?25歳になったら結婚しようって一緒に決めただろ?」

「えっ」
「えっ?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・えっ」
「えって言われても、そういうことだけど」


ミルクティーが膝へこぼれた。
あまりの出来事についに私の手から筋力がなくなり、並々注がれたミルクティーがマグカップからだらだら私の膝へ溢れ落ちるさまを、イルミは「あ。なにこぼしてんの仕方ないな」と手を差し出した。イルミは適当なタオルを持ちより、ミルクティーの染みた私のお気に入りだったスカートを拭き始めた。・・・・・・ついでにスカート捲って入念に私の足を触りはじめた。


「ていうか熱い!」
「火傷はしてなさそうだけど」
「じゃなくて、ちょっと待って待って!イルミ、結婚するのは誰?誰と誰?」
「俺とイヴ」
「なにそれそんなの、聞いてないし知らないし」
「俺は知ってたけど」
「いや待って待ってってば」
「ていうか待ってたのは俺だよ。イヴが25歳になったら結婚しようって昔言ったから、20年もさ」


まだ待たせるつもりなの、と語尾を荒くするイルミ。ていうか、足を拭いてくれてた手がなんだかさわさわしてるような、これまでそんなこと一切感じなかったのに急に性的な色味を帯びてきたような手際が気になるような・・・!

イルミの白い手が、足首から触れ、徐々に侵入するように、ゆっくりとゆっくりと脛へ、膝へ、腿へ。生暖かい蛇が這って上ってくるような感覚。急いては獲物が逃げることを理解しているような、慎重で確実な手のひらが迫る。
「ひ、」ついにスカートのなかへ差し迫ったとき、ついに私はようやく絞り出すように声を漏らした。体が動かないかわりに私の恐怖と拒否の入り交じった声が聞こえたのか、イルミはすっと手の侵入を止めた。


「・・・・・・ともかく、忘れたも待ったもナシだから。ちゃんと嫁に来てもらうからだめ」
「イ、・・・・・・」


もう、なんて、なんて言葉をかけたら良いやらわからない。齢20そこらにして男性経験がまったくないのを悟られていたかわからないが、初めて脚を触られ、男性の、しかも友達で幼馴染みと思っていたイルミの情欲を目の当たりにし、何も言葉が出せなかった。・・・・・・いやただ脚を触られただけで色気を感じてしまってイルミには何のその気も無かったのならほんと死にたいところだが。
とにかく驚いたのだ。
イルミは長髪で顔も整っていて、男性というよりは獣臭くなく女性というよりは脆くない、正直中性的とさえ思っていたところを、ずっとずっと幼馴染みで友達とさえ考えていたところを、突然、今さっき、私が思っていた人とは別人の男になったようで。

なぜだか、私が勝手に思い込んでいたイルミが本当は違っていたことに、恥ずかしささえ強く感じた。


「た、退散!」


とりあえず私は考えなしに荷物を抱え、スカートを茶色に染めたまま部屋を飛び出した。
この状況を打破するには一旦この案件持ち帰らせていただく他にない!

イルミが追ってこないことを尻目に確認しながら私はいそいそと帰路へ発ったのだった。