2




「イヴ様、恐縮ですが、お召し物が汚れてございます。差し出がましいですが、よろしければすぐにお取りかえをさせていただきますが、」
「うわゴトー!ありがたいけどいまそれどころじゃなくって、」
「いかがされましたか?」


ゴトーは柔らかく対応してくれた。

イルミの突然の結婚宣言に羞恥やら焦りやらで死にそうになり思わず彼の部屋を飛び出したはいいものの、引きこもるべく自宅へ帰るかはたまたシルバさんキキョウさんの元へイルミのご乱心を説明しにいくかバタバタとゾルディック家のだだっ広い屋敷を駆けていたときに、執事のゴトーは物陰からぬっと現れた。突然の影の出現にワアっとなったが今はそんなことよりイルミから逃げることが最優先。しかしゴトーの主人は私でなくイルミなので、ゴトーに協力を求めるのは私権乱用な気がしたがここは緊急事態だった。

ゴトーは言わずもがなゾルディック家へ仕える古くからの執事。試しの門を開けずに主人らの許可があるからとフリーパスでこの家へ入り浸る私をどう思っているかわからないが、私の幼い頃より優しくよく関わってくれている。主人らへ従事するように私へも親切にしてくれる彼へ、私は幼い頃より兄のようになついていた。
かっちりとした眼鏡が光り、整った髭は威厳さえ感じさせるが、その心は真の忠誠心と主人らへの真心に溢れている。ゴトーへすがり付くと、驚いたようであったが優しく問いかけてくれた。

「イルミが、イルミが、」
「イルミ様ですね」

ああ、とゴトーは苦笑した。きっと私とイルミが昔からお決まりの小喧嘩をしたんだろう、と思っているに違いない。でも今回は違うのだと、これまでの経緯を必死になって説明した。
結婚の話題になり、自分は結婚の意思はさほど無いこと、イルミに結婚の意図を問うとまさかの私指名をしてきたこと、変な雰囲気になり飛び出してきたこと、彼が何を考えているかどういうことかわからないこと。

息を切らせ終始を説明している間、ゴトーは絶えず表情を変えなかった。そして言い終えた私に、こう告げた。


「僭越ながら、イルミ様のおっしゃる通りでございます」
「え”っ」
「私は覚えております。たしか、亡きイヴ様の母上殿の七回忌のことでございました」


当時6歳。幼子のイヴ様は、父上のエドワード殿へねだっておられました。慰霊の意味をよく理解できず、何故母上殿はいないのか、死んだと説明されてもなぜ亡くなられたのか、なぜかどうしてかと。
母上殿は、イヴ様の出産時に心臓のご病気を悪くされて、そのまま亡くなられました。もともとお体の弱い、美しいかたでした。
イヴ様へ、母が死んだ理由を説明するのは憚られたでしょうが、エドワード殿はついにお話されました。イヴ様は幼少より賢いお嬢様でしたので、嘘を話されても見通しされる、そしていつかは知る由と思われたのでしょう。

理由を知るや否や、イヴ様はお祈りの最中にもかかわらずその場を駆け出してお隠れになってしまいました。皆でお探ししましたが、イヴ様を見つけたのはイルミ様です。詳細な話は聞いておりませんが、イルミ様はイヴ様をなぐさめ、あなた様へ一生のお約束をなさったのです。



「そんなことあったっけ……?」
「あったのです」

もう10余年も前になりますか、お懐かしい、しかしイヴ様は多感な時期であったので記憶に定かでないのは仕方ないやもしれませんね。とゴトーは回想に耽った。
あっただろうか。6歳の頃だから記憶がないのも仕方ないが。しかし、合点がいったような気がした。そんな出来事があったために私は母の死や結婚の観念にとくに臆病且つ慎重な姿勢になったのだ。

しかし待て。その子供のころの口約束を執事のゴトーが知っているということは、ということはもしかしてだが、親公認の関係なのか?

でもでも、6歳の頃の約束はもう時効ではないか?




「イヴ様へ喜んでお仕えさせていただいているのは、イルミ様とのこのお約束があっての上でございます。我々執事共も、あなた様がイルミ様とご成婚されることを心より望んでおります故」


ドカーン、とややショックをここでも受けた。
ゾルディック家の人も使用人も昔馴染みとはいえやたら私へ優しいと思ったら、将来性を考慮した上での従事の姿勢だったのだ。そしてこの結婚のプレッシャー。

そうショックを受けた私を察してか、続けてゴトーはやさしく微笑んで言った。


「・・・・・・とは申し上げますが、こういうのは御当人同士のお気持ちの問題。そのお約束が叶わずとも、イヴ様への我々のお気持ちは変わりありません」

イヴ様は我々執事にもどんな使用人へも隔てなくお気持ちを分けていただいておりました。情は切れませんとも。




結局、ゴトーにお願いして飛行船にて自宅のあるパラスタまで送ってもらった。
窓からパドキアの景色を眺める。ククルーマウンテン。深い樹海の奥。ゾルディック家。家族。20年の付き合い。幼馴染み。ともだち。イルミ。男性。約束。・・・・・・。
回想は尽きない。
今度またゾル家へ寄る辺は、シルバさんキキョウさんへ尋ねなければならない。いやその前に自分の父親か。自宅へ着いたら即追求だ。

「ではイヴ様、またお越しくださいませ。お気を付けて」
ゴトーへ礼を言い、私は早足で自宅を駆けた。






パドキア共和国軍軍司機関総統官邸兼自宅。
自宅というには警備も厳重でアットホームではないが、父親が軍総統である限り私の自宅はここだ。

パドキア共和国の王室の独裁政治政権であったのはつい28年前のことだ。王室支持派の右翼と反王室派の左翼による争いやデモが耐えなかったが、革命により各権分立し、王室と政権は切り離される扱いとなった。その激動の時代の先陣を切って歩いたというのが父のエドワード=ブレアであるというのが驚きだ。当時エドワードは王室付きの軍閥組織の佐であったが、革命に乗り上げ、今現在名を変えたパドキア共和国の軍司機関総統の最高位の位置への就任を続けている。軍の人間よろしく厳粛且つ厳格且つ厳戒の冷酷な人間と評されている。

「ああ誰かと思ったら愛する我が娘か。おや、どうやらご機嫌はナナメのようだが・・・・・・何かパパへのおねだりかな?何でも言ってごらん、ただしパパの耳元でね。さあ膝へお座り、レディ」

ただし娘の私に対しては、親バカである。



「父様、そのあやし言葉やめて頂戴」
「子はいくつになっても可愛い、あやし言葉をやめられるものならやめたいさ。日を重ねるごとに美しくなる私のイヴをいつだって抱き締めたいのもまた道理。さあおいで」
「愛が深すぎてドン引きですけど」
「では愛の詩を唱おうか。ごらん、夕べが近づいている。この夕日のように私の愛が深いことを調べとしようか。我が娘へ贈ろう」
「国の軍組織のトップがこれって本当どうなってるの」

そして本当に愛の詩を唱いはじめた我が父。つっこみどころをつっこんでもまったく聞き入れない父に呆れたが、本題を単刀直入に尋ねることにした。


「あのね父様、イルミのコトなんだけど」
「シルバの倅がどうかしたかい」

父は表情穏やかながら、顔を微細に僅かに歪めた。
昔からイルミの話をしようものならやや不機嫌になる調子があるが、それは今このときも同じ様子だ。まあ、溺愛と広言している娘から悪い話を聞くのは、世界どこの父親もそんなものだろう。彼の話は聞いてくれるがよろしくない話をしようものなら機嫌が更に曲がるので、イルミの話題は避けるように私はしていた。しかし今日は聞かねばならない。


「父様、イルミとの、その、結婚のことって、」
「おやイヴ、噂のその悪い虫が付いてきているようだよ」
「え?」
「や。逃げてしまうから追いかけてきたよイヴ。お義父様、ご無沙汰しています」
「誰が父だ殺すぞ」


一気に殺気立つ父。とても穏便でない殺すぞ発言に振り替えると、扉へ手を掛け挨拶の手を挙げたイルミがそこにいた。
ここへ来ているなんて。
私が思わず後ずさりすると、その反応より彼から私への不穏を悟ったのか、父は更に眉を引き釣り不機嫌を強くした。

「こちらへ来なさい、イヴ。何かされたのかい」

訊ねる口調は柔らかいものであったが怒気が含まれているのは明らかだった。しかし父に、先程の出来事をうまく伝えられるはずもなかった。えっと、と口調に詰まる私の様子から父は私を肩を抱き側へ引き寄せる。
その怒りはイルミへしかと矛先が向く。


「山田舎から遙々何をしに来た、シルバの倅」
「正式に許可を貰いに」
「聞き入れる理由も情も利もないが、」


言いなさい、と厳を保ちエドワードは促した。


「イヴを貰いたいんだけど」
「一切を断る」


父は冷酷な物言いに乗じ、イルミを許さなかった。


「暗殺家の殺人者の鉄仮面のお前なんかに誰がやるか」
「俺たちは婚約をしている関係だけど?」
「倅、お前キモいぞ。6歳の時のたかが口言葉の約束だ」


キモいって辛辣すぎる。
しかし私は父が幼少時の私たちが交わしたらしい約束を何故か知っていたことに驚いた。


「父様、約束のこと知ってたの?」
「お前のことで知らないことなど無いのだよ、イヴ」


いやそれもそれでキモいけど、と出かかった言葉をどうにか飲み込んだ。


「一切許可するつもりはないから、安心しなさい」
「お義父様、それはひどいな」
「だから義父と呼ぶんじゃない次3回目は本当に殺すからもう一度私を義父と呼んでみなさい」
「お義父、」
「わーっ!ま、待って待ってイルミ!父様銃しまって!」


本当に戦闘体制に入ってしまいそうな二人を仲裁に入った。
戦いの世界は私にはよくわからない。父は私から戦いのすべてを隠し育てた。わからないからこそ、軍作戦で戦争に赴き人殺しをする父や暗殺業のイルミへ人殺しを咎め立てたことなどなかったが、実父と幼馴染みが戦い合うのは何一つをもって悲しいことに違いなかった。
しかし私の焦りと反面して、父もイルミも早々に殺気を引っ込めた。以前から顔を合わせる度に冗談半分本気半分でケンカを始めやがる二人だから、今のもじゃれあいのようなものだったのかもしれない。これだから、戦いの世界はよくわからないのだ。心配を返せ。



「仕方ないな我が娘に免じよう、しかしシルバの倅よ、私は本当に娘との結婚を許すつもりなど、無いのだよ」
「どうして」


聞き分けのない子供に諭すような話し方だ。イルミは表情にはないがムッとした様子を隠せずにいる。
しかし私は婚約どうのこうの以前に、父がイルミを断じてくれてることに心から安堵し、ふう、と一呼吸ため息を吐くことができた。


「理由は幾つかある。私はお前が気に食わないし可愛い娘を奪われるのに耐えられないしましてやゾルディック家なんて可哀想すぎるし娘にはもっと素晴らしい男が他にいるに違いないが私を超える男は他にこの世界にいないだろうからそれはそれで不憫だがずっと手元に置いておきたいから善しと思うところもあるし、」
「父様本当その親バカ脳どうかしてる」


いつまでも子離れのできないクソみたいな独善的な理由をつらつら語る父に非難を言うと、咳払いされてごまかされた。

まあでも最たる理由は・・・・・・、と一呼吸おき、父は言った。



「本来、こういうモノではないだろう。よく考えなさい」


わかったな、と。イルミを咎めるような、難色を示すような。良し悪しのわからない子供に物事の道理をどう説明しようか、どうしてわからないのだろう、とやや親心の混じった物言いであった。
親心。そう感じたのは、かく言う父もイルミを生まれたときから知っており、私の成長を追うと共にイルミのそれも同時期に見守ってきた節があるからだ。

口では気に入らないとイルミを退けつつも、友人の息子を心から煙たいとは思っていないと私もイルミも感じていた。



「倅、今日はもう帰れ。ああそれと今後一切私が許すまで我がブレア家の敷居を跨ぐことは禁じる」



・・・・・・やっぱり心から煙たいと思っているかもしれない。