第一話

 ユグドラル大陸の南西にサジュの母国である、ヴェルダン王国が存在する。大陸最大の湖と昼でも薄暗い鬱蒼と茂る大森林があり、自然にあふれている。森の方はあまりにも鬱蒼とし過ぎて、「精霊が住んでいる」と言われているくらいだ。
 ヴェルダンは古くから国民の気性が荒く、何度もユン河をへだてた隣にあるグランベル王国の国土を荒らしてきたため、グランベルの民は割とフランクにヴェルダンの民を蛮族と呼ぶ。国軍も大半が登場時に斧を舐めてそうな山賊である。しかし、穏やかで平和を好むバトゥ王の代になってからは、ヴェルダンとグランベルは和平条約を結び、国境を荒らすこともなくなった。
 
 和平条約を結ばれたのはサジュが生まれるより何年か前で、生まれてからずっと平和な国で育ってきた。せいぜい、会うたびにしょうもない下ネタでからかってくる第一王子ガンドルフと第二王子キンボイスが嫌いなくらいでまったく不満はなかった。
 サジュはマーファ城近くにある漁村の司祭の家に生まれた。そして、十歳の頃、バトゥ王に見初められた父と一緒に王都に引っ越し、サジュも杖使いとして父と共にヴェルダン王家に仕えている。
 特に第三王子のジャムカと仲が良かった。ガンドルフとキンボイスからセクハラまがいのからかいを受けているのを可哀想に思ったのか、声をかけてくれて、よく傍に置いてくれるようになったのだ。割とすぐにキンボイスやガンドルフの失敗などをお題にした大喜利などを軽いノリで話すようになった。勝手にサジュを孫扱いして、会うたびにおやつをくれるバトゥ王とジャムカは好きだが、ガンドルフとキンボイスのことはだいぶ杖で殴りたいと思っている。
 
 平和なヴェルダンで暮らしてきたサジュだったが、十五歳になって初めて自国が隣国に侵攻したという報せを父から聞いた。他の誰でもない、和平を保ってきたバトゥ王によって、その平和が破られたのだ。
 長子ガンドルフが率いる荒くれたちがユン河を隔ててすぐ隣にあるユングヴィ家の城を瞬く間に落とし、留守を任されていた姫を戦利品として連れ帰ってきたのだという。今、グランベルは東の蛮族と呼ばれるイザークと交戦中であり、どの家も主力はそちらに集まっているため、ユングヴィ城に残っていたのは戦う力を持たない姫とわずかな兵力のみだったらしい。グランベルはヴェルダンのことを信用してくれていたのだ。
 ガンドルフが独断でやったならともかくとして、どうして、あの祖父のように優しいバトゥ王がそんなことを……。サジュはそれが信じられない。そして、司祭としての父は何をしていたのか。
 
「どうして、おとうさんはそれを止めなかったの?」
「私だって、会っていればお引き止めした。しかし、王は最近、私と会ってすらくれないのだ。あのサンディマとかいう怪しい魔法使いを囲うようになってからだ、こうなってしまったのは……」
「サンディマ……」

  最近、城に出入りしているやたらと深く苔色のフードをかぶった怪しげな魔法使いを思い浮かべる。見た目がシンプルに怪しいし、会うたびに嫌な感じがした。

「サンディマってあの、嫌な感じの魔法使いだよね? 私たちのことをやたら敵視してる」
「あれはロプトだ。話は聞いたことがあるだろう?」
「知ってる。暗黒神ロプトを侵攻していて、ロプト帝国作って、子ども狩りしたり、やたらと虐殺しまわってたヤバい奴らでしょ」
「情報に偏りがあるな……だが、そうだ。ロプトはヤバい奴らなのだ。あいつの口車に王もガンドルフ様もキンボイス様ものせられている。まともなのは本来は王のご長男の息子で、王位継承者のジャムカ様だけ……」
「……」
「だから、サジュ。マーファ城に行け。そして、ジャムカ様の助けとなるのだ。ちょうど今、ジャムカ様から伝令が来た。お前にガンドルフ様が連れて帰った姫の面倒を見てほしいそうだ」

 姫を連れ帰ったガンドルフがやることなど決まっている。姫がガンドルフの好きにされる前にどうにか守護する存在が必要だ。サジュが行ったところで抑止力になるかどうかはわからないが、貴人であるならば、身の回りの世話をする人間が必要だろう。サジュはすぐさま頷いた。
  
「わかりました。すぐに行きます! おとうさんもサンディマに寝首をかかれないように気をつけてね。あいつにとって、おとうさんは絶対に邪魔だもの」
「ああ、わかっている。サジュ、気を付けて森を抜けるんだぞ。そして、戦いが終われば、またここで会おう」

 サジュの杞憂に父は力強くうなずいた。その表情からなんとなく、もう父とは会えないんじゃないかと思ったが、口にはしなかった。踵を返して自室に戻り、すぐに支度を整えた。数日分の着替え、食料、おやつ、他身の回りのものを肩掛けかばんに詰め、バトゥ王から賜った杖二本を背負った。
 ヴェルダン王都とマーファ城の間には精霊の森が横断している。鬱蒼としていて、馬では走りにくいので、大量だったり大きな荷物を持っていない限り、近隣住民は徒歩を選んでいた。ヴェルダン兵はだいたいここを走っていく。サジュも例に漏れず走ろうと思っていた。彼女は脚が速い方だったので、すぐに着くだろう。
 杞憂が杞憂で終わりますように。そう頭の中で願いながら、サジュは城の出入り口へと向かった。