エーディンがガンドルフに連れ去られて、すぐにユングヴィ領の隣の領地シアルフィからシグルドという公子が多少の手勢をもって、ユングヴィ城を取り戻し、さらに国境にあるエバンス城を落としたらしい。
ジャムカがその報告をしたのはサジュがエーディンに夕食を持って行ったときのことだった。
「シグルド公子が?!」
「すぐにジェノア城も落とすだろうし、そのままマーファ城まで来るだろうな」
報告を聞いて、エーディンは目を輝かせた。しかし、すぐに二人から目をそらした。シグルド軍がジェノア城を落とすということはジャムカの兄であるキンボイスが死ぬということだし、マーファ城に攻め込まれるということは、ガンドルフは死ぬだろうし、ジャムカも無事ではないだろう。
敵国の人間相手を前にして、敵国にとって不利益になることを喜んでしまったことを彼女は悔いているようだった。彼女にとって自分たちは敵なのに。ジャムカの言う通り、優しい人だ。
「……ごめんなさい」
「別に構わない。先に仕掛けたのはこっちだ」
すぐ謝罪してきたエーディンにジャムカは先ほどと同じ顔で答えた。
サジュとしては別にキンボイスとガンドルフがどうなろうが別にどうでもいい。どうせ、ヴェルダン王家の正統後継者は末弟もとい、長男の息子のジャムカなのだから、別にいなくとも問題ない。むしろ、王家の膿のようなものだから消えてくれた方がいい。マーファまで来てくれれば、ユングヴィの侍女たちは国に帰れていいのではないだろうか。ヴェルダン王家に仕える者としてあるまじき考え方であるが、彼らがサジュにしてきた所業を考えるとそう思われても仕方がない。
「あのね、シアルフィとユングヴィは隣あっている領地だから、私はシグルド様のことを古くからよく知っているつもりよ。とても彼は優しい方なの。きっと、あなたたちのことも悪いようにはしない……話せばきっと、戦いなんてしなくても済むと思うわ」
両手を合わせて、エーディンが微笑む。
彼女がこれだけ言うのだから、本当にシグルド公子とやらは話がわかる人なのだろう。それでも、一度始まってしまった戦いを終わらせることは難しいだろう。みんながみんな、そんなに聞き分けが良ければ、どの国にも軍隊も騎士団も存在しないだろうが、実際はそうじゃない。
育ちの良いお姫様らしい考え方だなあ、とほぼ平民のサジュは思った。賊に連れ去られたのは本当に今回が初めてだったのだろう。そこで初めて、戦いを知り、話が通じないガンドルフというケダモノと出会ったというわけだ。
「そうだといいんですけどね……」
「サジュも戦いなんてなければいいと思うでしょう?」
「そりゃ、好き好んで戦争をする人なんてそういないでしょうけど……。エーディン様、ガンドルフ様みたいなケダモノやデューみたいな盗賊を見たのは初めてでしょう?」
「おまえ今、兄貴のことケダモノって言ったな」
サジュがエーディンに訊ねると背後で「今、おいらの名前言った?!」と叫ぶのが聞こえる。
「そうね……今回ここに拉致されて、初めて見たかもしれないわ」
「世の中にはガンドルフ様みたいにどうにもならない人間やデューみたいな社会の取りこぼしのような存在が出てしまうんです。デューだって、盗賊になりたくてなったわけではないでしょうしね……。ユングヴィにもデューみたいな子どもはいるかもしれない。ご自分の国に帰られても、そのことは覚えていてください」
「わかったわ……必ず、覚えているわ」
サジュの言葉にエーディンは強く頷いた。ガンドルフはともかく、デューのような子どものことは彼女はしっかり覚えていないといけない。それが貴族としてのつとめなのだ。
「でも、私は戦いがこれ以上続くことを望みません。それはあなたたちも同じよね?」
「当たり前です」
「ああ、当然だ」
エーディンの問いにヴェルダン側の二人が頷く。ジャムカもサジュも当然、戦いが好きではない方なのだ。
皆の気持ちを確かめ合ったところで、ジャムカが口を開いた。
「今、ガンドルフの兄貴はヴェルダン本城までサジュの親父さんにシバかれに行っている」
「ああ、ユングヴィの侍女たちへの待遇と私への狼藉もありましたしね。シバかれて当然です」
「サジュのお父様って何をしている方なの……?」
「戻ってくるまで時間がかかるだろう……そこでだ、エーディン」
「何?」
突然名指しで話を振られて、エーディンはきょとんとしている。
「兄貴がいない今がチャンスだ。エーディン、きみを国に帰そうと思う」
「えっ!」
「グランベルが攻め込んできているのなら、逃げ出したきみを保護してくれるだろう」
「でも、侍女たちを置いて私だけ帰してもらうわけには……」
「どうせ、ここも落ちる。そのときに保護してくれるさ」
ジャムカがそう言っても、エーディンは複雑そうな顔をしている。
そういえば、今日のジャムカのいでたちはいつもの気楽な格好とは違う。戦うときに着る弓兵の格好だ。気づくのがあまりに遅すぎる。
「侍女の方々もきっと、わかってくれるでしょう。私なら、エーディン様が無事な方がずっといいです」
「サジュ……わかりました。ありがとう、ジャムカ王子、サジュ」
「行くなら早い方がいい。地下から直接、城から出られる通路があるんだ」
ジャムカがすぐに牢の鍵を開ける。いつの間にか、牢番からくすねていたらしい。サジュはカバンからサンダルを取り出した。あらかじめ、エーディンの足の大きさを確認して、マーファの城下町で買っておいたものだ。
「エーディン様、ちょっとエーディン様の靴は見つからなかったので、サンダルです。お姫様が履くにはだいぶみすぼらしいとは思いますが……走りやすいと思います」
「いいえ、十分よ。ありがとう!」
「あ、今やるので」
牢から出てきたエーディンが少し裾を上げて素足を晒した。それこそ、ガンドルフの兵士がユングヴィ城から持ち帰ってきた女神像のようにすべすべとした白だった。その足を丁重に取ると片足ずつサンダルを履かせる。やはり彼女の白いドレスには不似合いだったが、このあちこち森だらけの国ならば、こちらの方が格段に走りやすい。
「それで、ジャムカ王子とサジュがシグルド様の元へ私を連れて行ってくださるのね?」
「いや、俺は行かない」
「どうして?」
「きみに感化された。俺は城に戻って、どうにか戦いをやめられないか、もう一度親父を説得してみようと思う。だから、きみとは行けない」
「……そうね、それがいいわ。私たちで戦いを食い止めましょう」
目を潤ませながら微笑むエーディンを見て、ジャムカが若干頬を赤らめている。絶対に理由は感化されただけではないな。サジュは腕を組みながらそう思った。
「それで、おまえはどうする。俺は本城に戻るが、一人でここに残るのは嫌だろう。この間のこともあるし。エーディンについていっても、俺は構わないが……」
「どうしてですか? 王子が戻るなら、私も本城に戻ります。父もいますし」
「……そ、そうか、そうだな。行こう」
サジュの返答を聞いて、ジャムカは一瞬驚いた顔をした。なんでだよ。父にジャムカ様の手伝いをしろと言われた手前、ジャムカについていくのが筋というものだろう。
「王子もサジュもついてきてくださらないのね……」
ジャムカにもサジュにも振られて、エーディンは少し拗ねたような口調で言った。申し訳ない。サジュは思わず頭をかく。しかし、ジャムカについていく以外の選択肢はなかった。
後ろに手を組んだエーディンはそのまま、入り口近くにあるデューがいる牢の前で立ち止まった。
「それじゃあ、私、このデューに道案内をしてもらいたいわ。突然一人でここから出たって、私、この国のことはわからないもの」
「えっ、おいら!? おいらも出られるの!?」
「そいつはきみと違って、正当な理由でぶちこまれている盗人なんだが……?」
ジャムカは腕を組んで、目をきらめかせたデューに睨みをきかせる。
「別にいいんじゃないですか? どうせ、王子も私もエーディン様についていけないんですから。デューにはエーディン様の道案内兼護衛として、罪を償ってもらいましょう」
「そうだよ! おいら、がんばって、お姫さまのお役に立つからさ〜。頼むよ〜!」
「ね、ジャムカ王子、おねがい!」
「……わかった。ちゃんと使命をまっとうしろよ」
三人にねだられて、はぁ〜、とクソデカため息を吐いてから、ジャムカはデューの牢の鍵を開けた。絶対に一番効いたのはエーディンの「おねがい」だ。間違いない。
牢から出るなりデューはサジュが立っている後ろの方に視線を向けた。牢にぶち込まれた罪人の持ち物が無造作に置かれているところだった。今は一本の剣と大きな袋が置いてある。
「あ、サジュ。あそこに立てかけてある剣とってよ。おいらのなんだ」
「はい。エーディン様のこと、よろしくね」
「その横の荷物も……」
「これ盗品でしょ」
「ちがうよ〜。これは拾い物!」
エーディンの手前、それ以上追及することなく、サジュはデューの荷物を渡した。絶対あれ盗品だ。
「こっちだ」
ジャムカが向かったのは普段使っている地上への階段ではなく、地下牢の奥。かけられた松明の下に石でカモフラージュされた扉があった。暗いからよくわからなくて当然だ。
「こんなところに扉があったんですね」
用意のいいサジュがどこからともなくランプを取り出して、松明から火を取った。同じく、どこからともなく(多分盗品)からランプを出してきたデューもサジュから火をもらっていた。
「ああ、もしものときの脱出経路だ。ガンドルフの兄貴もここを知っているから、注意しろよ」
「まあ、真っ暗ね……」
「エーディン、おいらが手を握っててあげるよ。危ないからね」
扉の向こうは本当に真っ暗でランプがなければとても進めないだろう。そこでデューがランプを持っていない方の手をエーディンに差し伸べた。ジャムカが目をギョッとさせる。サジュはデューがエーディンを呼び捨てしたことに驚いていた。早すぎだろう。
「あ、王子も手握りましょうか?」
「いらん……俺が先を歩くから、貸してくれ」
手が寂しそうなジャムカを煽るように訊ねると大変不服そうな顔をして、サジュからランプを引ったくった。
今度は自分が手が寂しくなったサジュはエーディンたちの方を振り返る。エーディンは首を傾げながら、空いている手を差し出してきた。迷わず手を握る。
ランプを持って先を歩くジャムカの後ろをデューとサジュと手を繋いでいるエーディンが追いかける形になった。まったくもって、謎だ。
「いや、何してるんだ……」
「や、おいらたち、仲良しだからさ……」
「俺だけ仲間はずれみたいに言うな」
どうやら、自分以外の三人が手を繋いでいるのを寂しいと感じる情緒はあるらしい。
「あ、はないちもんめでもします?」
「それだと、すでに俺が負けてるだろ」
「王子〜、エーディンが欲しい!って言いましょう」
「なっ……そんなこと、やってる場合じゃ、ないだろ……!」
軽くからかうと見事術中にハマってくれる。面白い。ジャムカは踵を返すとずんずん歩き進んで行ってしまう。他三人は手を繋ぎながら追いかけた。
そこからしばらく歩くと城下町の外に出た。扉を草木で隠すと四人はエーディンとデュー、エーディンで分かれた。
結構長い間歩いていたようで夜明けも近い。もうすぐガンドルフが帰ってきてしまう。
「夜明けが近いな……エーディン、そのガキを連れて早く逃げろ。じきにガンドルフの兄貴が帰ってきちまうぜ」
「ジャムカ王子もサジュも本当に来てくださらないの?」
少ししょんぼりしたようにエーディンがジャムカの顔を見上げ、そのままサジュを見下ろした。
「兄貴たちの汚いやり方には我慢ならないが、それでも親父は裏切れない。俺はヴェルダン城に戻って、親父を説得してみる」
「私も父と会ってきます。今の王は父とも話をしてくださらないようだから、どうなるかはわかりませんが……。そうだ、エーディン様も何か持ってないと心配でしょう。これ、持っていってください」
そう言って、サジュは背負っていたリライブの杖をエーディンに差し出した。ジャムカが目を見開く。
「まあ、リライブの杖ね」
「おいおまえ、それいいのか? 親父からもらったって何度も自慢してきただろう?」
「いいんです。私が渡したいから渡すんです。こんなお姫様にライブの杖なんて持たせらんないですからね。エーディン様、どうかご無事で」
「そんなに大事なものを……ありがとう。必ずシグルド様の元に辿り着くわ」
ギュッと杖を抱きしめながら、エーディンは強く頷いた。
「こんな戦いは一日も早く終わるべきです。ジャムカ王子、あなただけが頼り。どうか、バトゥ王に戦争をやめるよう説得してください」
祭司の話も聞かない今、バトゥ王の三男であるジャムカだけが頼りだ。もしかしたら、ジャムカの話は聞くかもしれない。
「エーディン、早く行こうよー! マジにやばいよ。おいら、こんど捕まったら、ガンドルフに舌を抜かれちまうよ」
荷物を抱え、きょろきょろしながら、デューが口を開く。いまだ胡散臭いデューをジャムカは呆れた顔で見下ろした。
「デュー、おまえが捕まったのは盗みを働いたからで、いわば自業自得というやつだ。エーディンがどうしてもと言うから一緒に逃してやったが……約束は守るんだろうな?」
「わかってるよ! エーディンたちとも約束したし、今度こそ盗賊から足を洗うよ!」
絶対洗わないだろうな、とサジュは思った。多分ジャムカもそう思っただろう。だが、今は口にしなかった。
「そうか、それならもう何も言わん。もう行け!」
デューの背中をポンと叩いて、急かす。それから二人はパタパタ走り出した。
「俺たちも急ぐぞ」
「はい」
二人の背中が見えなくならないうちにジャムカは今度はサジュの背を叩いて急かす。王子に急かされたサジュはマーファ城とヴェルダン城をへだてる深い森……精霊の森のを目指して走り出した。
従者を急かしたが、ジャムカはまだエーディンが名残惜しい。数歩進んでから、もう一度、エーディンの方を振り返った。まだ、月に照らされて揺れる金糸のような髪が見える。
「エーディン、きみとはもう一度会いたい。そのときは……」
ポツリと呟いてから、迷いを断ち切るように踵を返すと自分も森の方へと走り出した。