そのくちびるに騙されたい
匂わせ程度ですが行為を仄めかす表現があります
甘いな、というのが最初の感想だった。
それは彼への好意から来るものなのかなんなのか、血液なんて鉄の味しかしないだろと思っていたのに、初めて口にした彼のそれは酷く甘く、とろけてしまいそうで、蜜のようだと思った。バニラの香りがするような気がして、くらりと目眩がした。
「どう?俺の血のお味は」
「……はじめての味がする」
「なぁにそれ」
目の前の黒髪が、風に吹かれて揺れる。今いるこの部屋は暗いというのに、そのガーネットは爛々と光っているように見えた。血と、同じ色をしている。
差し出された指は、彼の手元に転がるカッターナイフで小さく刻まれた切り傷からこぷりと小さく垂れている。「俺が人に血を舐めさせるなんてないんだから、感謝してね」とニヤリと唇に怪しげな笑みを称えていた。そのままこちらに伸ばした指を頬にやると、その指は肌を掠めた。絶対血つけたなこいつ、と睨みを効かせてみても凛月は何処吹く風だ。
どうして「そんなに血が飲みたいならまずは凛月なら飲ませてよ」なんて言ってしまったのだろうか。後悔先に立たず。今どう考えようとも過去の私の発言は取り消せず、次は私が彼に首筋を晒すしかない。
「俺の気持ち、わかってくれた?」
「なにが」
「好きな人の血って、こーんなに甘いんだよ」
語尾にハートが見える気がする。気の所為だ、と頭を振る。だからなまえの血、もらうね♡と可愛らしく小首を傾げてはいるが、言っていることは悪魔のそれでしかない。最悪だ、と溜息をつく。
「もう好きにしてください」
自分で言ったんだから、という思考と痛いから無理!という思考が乗せられた天秤は、もう面倒で放り投げた。頂きまぁすと間延びした凛月の声を合図に、目を閉じる。首筋に彼の熱い吐息が掛かってむず痒い。
そうして、彼の牙が、肌を食い破る。ぶつりと初めてニードルでピアスを開けたことを思い出させる音と共に、首筋に走る激痛に顔を歪めた。噛まれた場所が、とんでもなく熱い。
それは痛みによるものなのか、凛月の牙が触れているという事実からなのか、きっとそのどちらも理由なのだろう。じゅると音を立てて吸い付かれる度に、心臓が跳ねる。どく、どく、と脈が早くなっていく。痛い、気持ちいい、と交互に浮かぶ二単語で脳内が支配されていた。痛みに耐えるためしがみついた凛月のシャツに篭もる力は、本当に痛みだけではない。
正直な話、興奮した。好きな男に首筋から血を啜られているという、この事実に。生ぬるい凛月の体温に身を任せる。
「……ねぇ」
甘い旋律が鼓膜を震わせる。閉じていた瞳をうっすらと開けると、凛月の顔が視界いっぱいに広がった。彼の両手は私の頬を包み込み、先程血をつけた時の無遠慮さとは相反してあまりにも優しく撫でられる。
「興奮した?」
「顔が赤いねぇ」と彼が牙を見せる。確かに頬は熱くて、きっと凛月から見れば私の顔は林檎状態だろう。恥ずかしさで込み上げた涙が視界を歪ませたおかげで、凛月の表情が読めない。ただ、こちらをじっと見つめ、捕らえて離さない。それだけはわかる。なまえ、と私の名を口にする。
「……もう離して」
血を吸われたせいか何故か体に力が入らず、口先での抵抗が精一杯だった。ふるふると首を振り、嫌だと手を伸ばそうとしたが、その手は彼に掴まれ、固い床に押し付けられる。
「やだ」
「もう、むり……っ」
ねとりと首筋が舐めあげられる。いつの間にか凛月に押し倒されていたようで、尾てい骨がごつんと木目の板にぶつかる感触がした。耳元で、彼の髪がサラサラと揺れる音が聞こえる。
「かぁわいい……♡」
恍惚とした表情を浮かべた彼の瞳は完全に熱に当てられて、溶けきっていた。ぞくりと背筋が粟立つ。今の私はまるでライオンに食べられてしまう寸前のシマウマで、もうなにをして抵抗しようと無駄なのだろうな、と悟った。大人しく彼に身を預け、されるがままになるしかなかった。
私よりも冷たい温度の凛月のてのひらが、スカートの隙間を縫い、太ももをなぞる。初めての感覚が五感すべてを支配して、怖くなる。凛月、と助けを乞うように名前を呼んでみたって、止まってくれない。
「ここでえっちしちゃおっか」
あまく、囁かれる。付き合ってないのに。こんなことしちゃだめなのに。そんなのわかってたって、熱に浮かされて止められない。いいともだめとも言葉にはならなくて、彼をぎゅうと抱きしめた。恥ずかしいやら怖いやらで力強く瞳を瞑る。そして、耳元で囁く声がする。それは地獄へ足を踏み入れてしまった私への歓迎の言葉のようで、どうしようもなく甘美な響きだった。
「優しくするからねぇ。世界でいちばん、愛してる……♡」