それでも明日を知りたいよ

今朝から降り続いていた雨は、二十時を越えた頃であろう現在も降り続け、繁華街を歩く人々の肩を濡らしていた。すり減った地面の窪みに溜まる雨水が跳ね返り、走るヒールを、ドレスを湿らせていく。傘なんか持ってこなかったから、そもそも全身ずぶ濡れなのだが。綺麗に施した化粧もヘアメイクも全てぐちゃぐちゃになってしまうことなんかどうでもいい。ただ走り続けていた。行き場所なんてないけれど、何処かに消えてしまいたかった。
転がる小石に足を取られ、どしゃと音を立ててその場に倒れ込む。ヒールのまま走らずに手荷物の中にある靴にでも履き変えればいい話だったのだが、そんな時間も惜しい程に逃げたかったのだ。
通りすがる人々。今風の煌びやかな格好をした女の子に、スーツを着たサラリーマン。仕事帰りだろうか、手には重そうな黒鞄が下げられている。それらの視線は下に落ちて、この大雨だと言うのに傘もささずに地面に蹲ったままの私に向けられていた。

(今の私、めちゃくちゃ惨めだ)

濡れて、泥も付着してしまったドレス。高かったのになあとぼんやりと思いながら、裾を握る。
今日は最悪の日だったのだ。今まで勤めていた町外れのキャバクラではナンバーワンとなり、そろそろ時給も良くて客入りもいいであろう繁華街で働こうと思ったのが間違いだったのだろうか?
経験もあり既に自分の客も持っているということから、面接もそこそこに即体験入店となったが、選んだ店が大間違い。ごく普通のキャバクラだと言うのに、ここはセクキャバかといいたくなるような接客を強要されたのだ。店のボーイも助けてくれないし、他の女の子も客を取るために甘んじて受け入れてしまっていたようだった。
その接客が平気なら元々そちらの業種についているし、私はそれが嫌だから数ある水商売の中でお酒を一緒に飲むこの仕事を選んでいたというのに。拒否した私のドレスを剥こうとした客にぞわりと寒気がし、気がついたらバックヤードの手荷物を掴んで走り出していた。そして今に至る。
帰宅しようにも、今日は雨でタクシーは直ぐに捕まらないだろう。適当な店にでも入って、酒を飲んでから帰りたい気もしたが、この格好だ。変人以外の何者でもない。

「……大丈夫ですか?」

万事休す、と思ったその時、視界いっぱいに広がっていた波紋をつくる雨粒が止んだ。はと顔を上げる。

「立てますか?」

凄く綺麗な顔をしたひと。それが第一印象だった。私を傘の中に入れるように立ち、こちらを見る男の人。
見上げるだけで返事がないのを疑問に思ったのか、その人はしゃがんで私と視線を合わせる。はちみつ色の、透き通る瞳。まるでビー玉のようだ。綺麗だ、と見惚れていると、彼は手を差し出した。

「……はい、大丈夫、です」

どこかぼーっとしていた意識を引き戻し、その手を握り立ち上がると、彼はにこりと笑った。
十センチはあるヒールを履いているというのに、それよりも高い位置に存在する頭。とても背の高い、その綺麗な人は、どこかの店員なのか中華風の服を着ている。ああお礼を言わなきゃ、と思ったと同時に、遠くから声が聞こえる。それに呼応するように目の前の人は振り向き、「天城」と呟いた。

「メルメルもうライブ始まるけどォ、ってそのおねーさんどした? 超濡れてんじゃん」
「ここで転んでしまっていたので声をかけたところなのです」
「へェ……水も滴るいい女、とか言えないレベルの濡れ方だけど」

何かあったのか? と、その天城と呼ばれた赤髪の――これまたお揃いの服を着た男の人が問いかける。知らない人だから逆に何でも言えてしまうのか、悪徳店に捕まって逃げてきました、とへらりと答えることが出来た。彼らは少し驚いたように目を見開く。天城という人は私の肩に手を回し、そのまま歩き出した。どこに向かおうとしているのか検討もつかないが、やることもなかったしと歩を進める。もし彼らがどこかの店員で「助けた礼に金落としてけよ」とか吹っかけられたとしても、それはそれでいい。もう今日は、全部どうでもいいのだ。

「俺っち達これから近くの店でライブやるんだけど見てかねェ? 酒も飲めるし、飲んで忘れちまえよ」

成人してんだろ? な? とガラが悪い様に見えるがどこか優しく笑いかけられ、首を縦に振る。

彼の話によると、この赤髪の人は天城燐音さんてま、助けてくれた張本人である人はHiMERUさんというらしい。この二人の他にあと二人メンバーがいて、その四人でアイドルユニットを組んでいるそうだ。そう言われてみれば、二人の私服とは言い難い衣服にも衣装なのだと説明がつく。アイドルのライブなんて行った経験がないから、どんなものかはテレビ番組で見た事のある映像しかイメージがつかない。が、なんだか楽しそうだし、着いて行ってみるのもありだろう。
私を挟んで反対側にいる、HiMERUさんを見やる。彼も丁度こちらを見ていたようで、かちんと視線がぶつかる。

(本当に綺麗)

落ち着いた声色、仕草。すっと鼻筋の通った高い鼻に、色気を醸し出す垂れ目。意識すればする程に心臓はどきどきと音を立て始める。

「貴方さえ良ければ是非。最高の時間を約束しますよ」
「じゃあ、お言葉に甘えて」

元々断るつもりもなかったけれど、ぱちんと瞬いたHiMERUさんのウインクに射抜かれてしまった、のだと思う。即答と言える速さで返事をしてしまい、なんだか食い気味になってしまったようで恥ずかしかった。