愛の言葉はむずかしくて
中からも外が見えるように設計されたガラス張りの店内を覗くと、そこには若い男女を中心に、年齢性別様々な客が溢れかえっていた。狭い店内に並んだテーブルには酒やフードの数々が並んでいる。
店の外観の割にシンプルな扉を推し開けると、見た目の通りに中は騒々しくも活気に満ちており、アルコールや香ばしい料理の匂いが鼻についた。その中の一つ、設置されたステージに対して上手側のテーブルに案内される。
「まァ座って待ってな」
俺っち達は準備があるから〜、とひらひらと手を振って去って行った天城さんの背中を見送る。なにか注文しようか、ときょろきょろと辺りに視線をやる。
メニューは机の上には見当たらず、誰か店員らしき人も探してみても近くにはいないようだった。この場で「すみません」と声を上げてみても、喧騒に掻き消されて気付かれない気がする。
困ったなあと思考を巡らせたその時、ぽんと肩に手を置かれた。
「あ、HiMERU……さん」
「濡れているでしょう。タオルと、あとはメニューです」
「ありがとうございます」
差し出された二つを受け取り、タオルで髪を包んだ。そしてチラリとメニューを見やる。特にこだわりは無いが、一瞬目についたという理由で「そしたら杏露酒のソーダ割りを一つ」とHiMERUさんに伝える。何度か飲んだどころか、自宅には瓶で買い置きしている、大好きなお酒。想像しただけで、口内に甘酸っぱいフレーバーとアルコールが蘇ってくるようで、喉が渇く気配がした。彼は人の良さそうかつ色気を醸し出した表情のまま「わかりました」と微笑み、唇を引き上げる。
「それでは、HiMERUはステージがありますので」
頑張ってください、と座っている私に対して立ったままの彼を見上げる。ステージがあって急いでいるはずなのに、わざわざタオルとメニューを持ってきてもらって、申し訳ないけれど感謝の気持ちでいっぱいだった。やさしい人なんだなぁと思う。繁華街に転がっていた濡れ鼠同然の私を助けて、ここまで連れてきてくれて。私が逆の立場だったら、なんなんだあれはと思いながらも放っておいてしまう気がして、彼の人柄に感心した。
黙ったままのHiMERUさんをじいと見つめていると、彼はもう一度ふっと笑い、私の頭をタオル越しに撫でる。そして顔が近づき、耳元で囁いた。
「……この席は、HiMERUのことがよく見えるのです。目を離さないでいてくださいね」
そのまま彼は、こちらを振り向くことなくバックヤードへと消えていった。
顔が熱い。風邪でも引いたのだろうか。いやそんな訳はなくて、絶対今のHiMERUさんのせいで。
今まであまり興味がなかったから知らなかったが、アイドルとはああいうリップサービスも凄いものらしい。ドキドキと早くなる脈がうるさい。
HiMERUさんのせいで思考がまとまらないままで、別の店員が注文した杏露酒とお通しを持ってやってくるまで硬直したままだった。
ああもう、と先程のHiMERUさんを忘れたい一心で余計な思索を投げ捨てるように首を振る。目の前にコースターと共に置かれた酒に口をつけると、ひんやりとした温度と、恋しかった甘酸っぱさが広がる。おいしいと顔を綻ばせたと同時に、店内の照明が落ちる。
クラブミュージックを思わせるようなアップテンポのイントロと共にステージに現れたHiMERUさんは、先程までとは違って見えた。かっこいいという言葉で表せてしまうのは先刻までと同じだ。けれど、もっと、本能のままに惹かれていく様な。そんな感覚に襲われて、私は彼に告げられた「目を離さないでいてくださいね」という言葉に従うように、私は心を奪われた。彼の存在に強く惹かれて、彼の動きや表情、そのひとつひとつを見逃すことができなかった。釘付けになってしまったのだ。
彼が紡ぐメロディが、すっと心に染み渡る。「惨めだ、もう嫌だ」が全てだった心が、HiMERUさんの歌うフレーズで塗り替えられていく。生まれて初めての感動に震えていると、なんだか、彼と目が合ったような気がした。