テスト
語呂合わせの影響力というものを侮ってはいけない。年号や公式の覚え方だとか、少し頭を捻らないとわからない暗号、はたまた記念日になったり。それに倣えば今日は、猫の日らしい。2月22日で、にゃん・にゃん・にゃん。そんな語呂合わせの記念日も、インターネットやメディアに掛かれば一気にイベント事と化す。SNSにはたった一日で猫関連のイラストや写真で溢れかえっていた。……これは、私も乗っかるべきなのだろうか。例えば猫耳をつけ……とその自分の姿を想像してみて、げんなりした。「いや、さすがにナシ……」
「なにが?」
「う、わっ!?」
そもそもうちに猫耳などないな、とこの無意味な想像を終わらせようとしたとき、背後から同居人の声がして驚いてしまった。それほど考え事に耽っていたのだろうか、全く気配や足音を感じなかったのでかなり大袈裟に肩を飛び上がらせた自覚がある。振り返るとイブちゃんが長いまつ毛をぱしぱしとはためかせながら怪訝そうに私を見つめていた。
「驚きすぎだろ」
「いや、ごめん。いると思わなくて」
「映画、見んじゃないの」
時計を見ればもう夜も深まる頃合いだった。サブスクの新作リストを見て気になっていた映画が追加されるのを知り、更新当日にどうしても見たいと彼に言ったことを思い出す。そういえば、今朝に仕事が終わったら見ようと伝えた気がする。寝起きのぼんやりした彼に一方的に言ったような所感がしていたので、しっかり覚えていてくれていたことに単純な嬉しさを覚えた。
猫耳を付けるなら、彼の方が似合いそうだなと突拍子もなく思った。甘え下手だが、どこか人懐っこい一面も持ち合わせている。これはあんまり大きな声では言えないが、寂しがりだなと感じることもある。あとは、いつも平然とした顔をしていながらも私の言ったことをきちんと覚えていてくれている今みたいなところとか。
「さっきからどした?百面相してるけど」
「いーや、なんにもないよ」
「おまえが見たいって言ったからね」
「わかってるよ。ていうか見る気満々だから」
「そーですか」
籠っていた部屋を出て、共にリビングに向かう。ちょっと高めのスピーカーを購入してから、うちでの映画鑑賞は随分リッチになった。そんな環境で気軽に好きな映画を楽しめるのだからサブスクというのには頭が上がらない。
そんなことを思いながらリモコンを操作していると、「なんか飲む」と彼がキッチンへ向かった。こう言ってはなんだが、珍しい。いつもこんなことしない!と断言まではしないが、貴重な時間に思えてしまう。まああまりこういうふたりの時間を取らないので、そういう行動を取る状況になっていないだけなのかもしれない。
「カフェラテで」
「また寝れない〜とか言うんちゃん」
「今日は夜更かししてもいい日だし」
「そういう問題?」
ぶつくさ言いながらもお湯を沸かす音が聞こえ始める。珍しいとは評したが、決して嫌なわけではない。どこか心が浮つくような気もするが、バレたら嫌な顔をして二度としてくれなくなりそうなので必死に取り繕った。見つけたお目当ての映画を選択して、停止ボタンを押す。手持ち無沙汰を潰そうとスマホを触って溢れかえる猫要素を再び受け流していると、彼がマグカップを持ってきてくれた。
「ありがと。再生していい?」
「おん」
ソファに深く腰掛けた彼の横に私も同じく座る。不自然になりすぎないように近づけば、石鹸の匂いが香って彼はすでにお風呂を済ませていることが窺えた。
映像を再生させると、ひとりの男がなにやら銃の手入れをしているところからシーンが始まった。いわゆるスパイものの洋画だ。彼の淹れてくれたカフェラテに口をつけながら流れる映像と共に映される字幕を目で追っていく。
いつもより近めに座った自覚はあったが、彼が離れるような素振りを見せないのは意外だった。どさくさに紛れて、頭を彼の方へ寄せてみる。……何も言われない。そっと彼の表情を盗み見ると、注意散漫な私とは違いテレビの画面をじっと観ている。さっき彼の方が、と思ってしまったせいか、猫のように感じてきた。彼に尻尾が生えていれば、私の方へ擦り寄ってきそうだなどと有り得ない空想が繰り広げられる。
ふと画面に目を戻せば、ここから始まるぞというように映画タイトルが大きく映し出され、オープニング曲が流れ始めた。自重を彼の方に預けながらもう一度見上げてみれば、私の視線に気がついたのか彼の目線が降りてくる。
「イブちゃん知ってる?今日、猫の日らしいよ」
「え、いま?なんかそういうの見たけど」
「盛り上がってるよねえ」
「盛り上がってん……の?」
どこで?とあまりピンときていない様子だったが、体重を掛けていることに文句は言われなかった。やっぱり今日は『珍しい日』なのかもしれない。結局、私にとっては猫の日よりも彼の些細な機微の変化の方に興味が出てしまう。
画面では冒頭とは違う男がなにやら画策を練っているようだった。すっかり彼の方へ注目してしまったせいで物語を理解するにはもう遅かった。言い出しっぺのくせにこの有様なことに気が付かれてしまえば、いよいよ彼の眉間に皺が寄ることだろう。
「ねえ、イブちゃん」
「ん」
このまま穏やかな空気で鑑賞し終えた方が良い。そう頭ではわかっているのだが、出来心が芽生える。というよりも、言わざるを得ない。さっきから彼に似合いそうな猫耳のことばかり考えてしまうのだから。
「にゃんって言ってみて」
「……は?」
「……冗談だってば」
案の定、彼の目が何言ってるんだという色に変わった。呆れたような表情が思った通りで笑いそうになる。
「おまえ映画観てないだろ」
「そんなことない」
「こっち見てから言ってくれい」
頭の向きを変えられ、そのまま彼の腕がソファの背もたれに沿うように私の肩に回った。思わずその体温にぎょっとする。いや、映画どころじゃないんですが。彼の性格上深い意味はないのだとわかってはいるのだが、それが私にも通ずるのかと言えばそんなわけがない。突然大人しくなった私が真面目に映画を観ていると信じたのか、彼はそれ以上喋りも動きもしなかった。当の私は、全く映画に集中できないままその2時間弱を過ごすことになった。