目の前の掃除機は、食べながらも何からかの書類から目を離すことはなく、そして常に何かを考えながら食べているらしく、ひどい隈の上の黒目がやたら忙しそうに動いていた。
私も見るものがないから何とはなしにその様子を見ていたが、私の前に音もなく出された華奢なティーカップに気付いて初めて彼から目を背け顔を上げると、そこにはわたりさんが静かに佇んでいた。
「お好きなときに部屋に戻ってくださって構いませんよ」
「分かりました、ありがとうございます。あそうだ、何か片付け手伝います」
慌てて立ち上がろうとすると、彼が両手のひらををこちらに向けて、座っていてくださいと優しく言ってくれた。
「でも、片付けも手伝わないなんて、悪いです」
「気にしないでください。私は一人でやることに慣れてしまっているので…」
ああ、またもやこの此方が有無を言えない言い回し。ツライ優しさだ、と思いながら精一杯の気持ちとして、何かあったらいつでも呼んでくださいと言うしかなかった。
私とわたりさんのやりとりが終わり、わたりさんが別室に引っ込むと、今度は竜崎さんが忙しそうに書類を漁り始めた。
手に掴んだ紙を一瞥してから、ぽいと放つところを見ると、どうやら何かを探しているらしい。
「手伝いましょうか?」
そう言うと、彼は一瞬動きを止めて、そのままの姿勢で私を見た。
「…これはある種の情報です。あなたが親切心のみを持った一般人だと言えない限り、見せる訳にはいきません」
あ、ちょっとムカっとした。
手伝おうか、なんて親切心だけで言ったことだったし、それにそこまで言う重大な情報なんかを扱っているとは思えない様子じゃないか(なんたって全部ぐちゃぐちゃだ)。
しかしそんな不満を持った私を放っておいて、竜崎さんはまたも辺りを更にぐちゃぐちゃにする書類探しに戻ってしまっていた。
私は少し腹の立ったまま、足元に転がってきた丸められた紙に手を遣り、自分は無害の一般人なのに!という反抗心も相俟ってその紙を引き伸ばし、何やら書かれている内容に目を移した。
その紙の全面には、今まで見たことがない様式で書かれた、ある個人についての様々な情報が記されていた。顔写真、住所、経歴、職歴、犯罪歴。一瞬にして、これは一個人が扱って良いものではないこと、普通なものではないということを感じる。
知らないうちに息を止めていた。
すう、と意識をして空気を吸ってから、一拍。それから竜崎さんを盗み見ると、彼は呆れた様な目を半分開けたまま此方を見ていた。
それを確認してから、私はまたその紙に視線を移し、口を開く。
「竜崎さんは…警察、ですか」
「いいえ」
予想していた質問だったのか、瞬時に返答される。
「…それに似た様なものですか」
「杜撰に言えば、そうですね」
そうですか、と小さく呟いて少し緊張している自分を自覚する。
ちらりと再び彼を見ると、彼はのそりと立って、私の座っているソファに腰を下ろした。近くなった彼をもう一度観察する。警察ではないと言った。たしかに刑事さんだとは思えない見た目だ。警察関係者、と言って思い浮かぶ職業はあまりない。ふ、と近距離で合った瞳を見ると、底のない黒だった。しかしよく見ると、肌の色、顔立ち。もしかしたら純粋な日本人ではないのかもしれない。すると、海外の警察関係者か。思い当たるアルファベット三文字が目の端にちらつく。もしくはもっとライトな探偵さんか何かなのかもしれない。
「何を考えているんですか」
「……竜崎さんがなんなのか、ということです」
正直にそう言うと、彼は少し間を置いてから、警察に近い探偵みたいなものですと答えてくれた。
「そうです、か」
「これで、少しは安心しましたか?」
「え、」
少し笑んでいるその顔をまじまじと見返すと、その笑みが少し濃くなる。
「得たいの知れない人間に捕まった。そんなふうに思ったんでしょうね」
自分の心情を言い当てられて、少し動揺してしまったが、その通りだったので頷いておく。
「私は単に警察に協力している人間です。現状のあなたよりは怪しい人間ではありませんので、安心してください」
冗談なのだろうけれど、私は怪しくありませんと反論したかった。しかし、諦めて笑っておく。なにしろ怪しくない証拠がないのだ。
その代わりに頷くような頭を下げる様な動作をしてから、いまだに握っていた紙を竜崎に手渡しながら告げる。
「これ、先日の事件の犯人ですよね。捜査、頑張ってください」
何回かニュースで見たことのあった顔写真だったのですぐ分かった。たしか、強盗殺人か何か、ひどい事件だったので記憶している。これから調べることが山程あるんだろうな、と知らないことに頭を巡らせてから立ち上がって、部屋に戻りますと言おうとしたところ、座ったままの竜崎に腕を捕まれた。
「知っているんですか」
驚いたことに、竜崎の目が驚嘆の色を帯びていた。
「、え?」
「彼は、現段階では容疑者として挙がってすら、いません」
目を丸くし驚くのは、今度は此方の番だった。
善意か、悪意か。
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