ふわふわとした浮遊感。
それから、微かな環境音。
眩しい。
日光の明るさが、薄く開けた目蓋の隙間から入ってくる。
いやに、眩しい。
ここが、白いからだ。
反射光。
嗚呼、ここがこんなに白いから、こんなに眩しいんだ。
なるほどなと納得する一方、まだ眠くて働かない脳みそが、明るすぎると迷惑そうに言っている。
重い身体が、意識と共に、再び沈み込む。
完全にシャット・ダウン。
しかし、その前に、はたと閃いた。
平日。
その言葉で、未だ睡眠中の脳みそが、一気に吹き上がった。
しかし、寝ながらにして瞬時に分かる。
寝すぎた、という事実。
時計なんて見なくても分かる、この嫌な感覚。やってしまった。
「…あー、なんてことを……」
体感速度がいつの間にか現実に戻っていた。
目も開けられないまま、枕元にある携帯を手に取る。時間を確認しようと薄目を開け、画面にピント。
眩しい画面に、赤く動く数字。
なんだ、これは。
半開きの目で見渡せば、白い部屋。
どこだ、ここは。
それから、その白い部屋に反射するように、昨日の出来事が頭に蘇った。
ああ、そうだった。
今、私は、
「おはようごさいます」
「だわわわわ!!!なななな!!」
「すみません、驚かすつもりは」
反射的に口元に手を当てたまま音源の方に振り向くと、竜崎さんだった。ドア近くの椅子に座って、こちらを見ている。「驚かすつもりは」なんて言っているが、こんな寝起きドッキリ、どう考えても驚かそうとしか思っていないだろう。いや、そんなことより、人の寝室(いくら借り物だとしても)に入り込むのは、モラル的にいかがなものか。
彼は、そういうことは一切考えない人間なのだろうか。と、一通り順番に驚いてから、彼の方を向いた。
「…はあ。もう、朝からやめてください」
「すみません」
そう口を動かした竜崎さんは、そのふかふかの白いソファに変な格好で座っている。
それはそうと、この人はいつから此処にいたんだろう。不思議に思って、彼を凝視した。(もしかしたら、睨んだように見えたかもしれない)
もし、私が起きる前からいたとしたら、なんていうか、困る。つまり、グースカ寝ていたところを見られていたのだから。寝言とか、言っていただろうか。
考えれば考えるほど恥ずかしくなってくる。マイナスしかないから、もうやめだ。そう決めて、そっちの思考回路に、ついたてをした。
僅かに寝違えたような感覚の残る上半身を、シロクマみたいにゆっくりと起こす。それに合わせるように竜崎さんは、身体ごと此方を向くように腰を掛けなおした。(変な座り方だが、もう何も驚くまい)
「…で、えーと、何かあったんですか?」僅かに頷く。
「あなたと同じようなケースを調べたのですが」
竜崎さんはそこで話を切って、此方を見た。
「それってつまり…。その、ええと、パラレルワールドについて…?」
「はい」
「同じような前例があったんですか!」
「…いえ。これまであったものは、お風呂場から一瞬だけ消えたり、姿が周りから認識されなくなったりする程度でした」
「お風呂場から…?」
「水回りというのが多かったですね」
「…私と同じものは?」
「残念ながら」
期待はずれだった。思わず溜息が出る。
もしかしたら、私と同じ状況にあった人が、無事に元に戻れたとかそういうことがあったのかもしれない、なんていう生易しい考えは、目の前の白いお化けが綺麗さっぱり無くしてくれた。
そして、やっぱりパラレルワールドなんて無いんじゃないんですかね。そう小さく呟くと、竜崎さんは眼光を強めた。
「ないとも言えません」
「昨日も言いましたが、それは、余りにもオカルトチックで、非現実的だと思います。はっきりいって、変、おかしい」
私のその投げやりな愚痴に、彼は、昨日も言いましたがと(嫌みな)前置きをしてから、軽く息を吸った。
「単純な消去法です。まず一つ目の根拠として挙げられるのは、あなたの個人情報が存在しない事です。普通、前科のない人間を調べることは難しいのでこの事にはあまり説得力は無いのですが、あなたの経歴としておっしゃっていた学校なども存在しない且つ戸籍が存在しないとなると話は別です。また、戸籍や生体その他記録等の特別な調査を行っても、結果は同様でした。欠片すら見当たらない。なので、この時点で、記憶喪失かつ出生時の届け出が無かった可能性以外で、この全ての貴女という存在が証明されない状態が揃っているプラス突然のここのセキュリティ突破、さらには」「ごめんなさい分かりました」
そうでしたそういう根拠でしたよね思い出しました、と慌てて付け足して竜崎さんの話を遮った。こうでもしないと、きっと止まらなかっただろう。
ああ、頭痛がしそう。
私はこめかみを軽く押さえながら、ベッドから立ち上がった。
瞬間、目眩。
仕方がないので、もう一度ベッドに腰掛けた。
知らず知らずのうちに、また溜息がでた。
長い話を聞くのも嫌なのだが、何より嫌なのは、彼の完璧で論理的な話し方だった。それを聞いているうちに、この世界が、本当に現実のものなんだと突き付けられる。戻れないのでは、という気がしてくる。言ってしまえば、追い詰められる感覚になって、とても不安になるのだ。
俯いていた私の顔を覗き込むようにして、竜崎さんの顔が私の視界に入ってきた。因みに、少しにやついている。全く何て奴なんだ。私を居候させてくれるところからして良い人だと思うが、いまいち不謹慎と言うか何と言うか。
「…不安そうですね」
「当たり前ですよ、自分の住んでいた所に帰れなくなりそうなんですから。不安にもなります!」
私がそう言うと、彼は少し口を閉じた。静かになった彼を見やると、何かを考えているご様子。先程のにやにや顔はどこへやら、意識もこちらに向いていないみたいだ。所謂、上の空というやつか。私が質問に答えたのは、聞こえていたの?と少しむっとしたが、あまりにも動かないので心配になってきた。
「あの」
「…本当に不思議なことですね」
「はあ」となんとなく竜崎さんの口から溢れた独り言めいた言葉に相槌を打つ。何を考えているんだろう。全く分からない。
私が彼の思考に思いを巡らせている時、彼はおもむろに立ち上がった。
「では、私は仕事に戻るので、あなたは此方で大人しくしていてください」
「そうさせてもらいます」
保護してもらった上に鍵の管理は竜崎さんだ。暴れようにも何も出来ない。
「何か用事がありましたら、そちらの電話を使ってください。私に繋がります。あと、この浴室やトイレはご自由に使ってもらって構いませんので」
それでは、とそそくさ扉の外に出ていこうとする竜崎さんの猫背に向かって軽く頭を下げた。それから一拍置いて、おずおずとこの部屋を見回した。
すごい。
その一言に尽きる。そんな部屋だ。
昨日は真っ暗な上に直ぐに寝てしまったから、ろくに周りを見ていなかった。
ああ、こんな部屋だなんて気づきもしなかった。
シンプルで、お洒落。そんな感じ。
この真っ白なダブルベッド、一見普通のベッドだが、何だか高級感を漂わせているし、そこら中の家具もお高そうだ。しかも窓の外は、綺麗な景色。東京の街を一望出来ていそう。浮かんでいるみたいだ。
もしかしたらこの部屋は、とても高いホテルの一室なのかもしれない。と考える。昨日、竜崎さんの方の部屋も見たが、凄く豪華でお洒落で広かった。(貧乏な私は、言葉すらも貧乏みたいだ)
それにしても私は、とんでもないところに保護してもらったのかもしれない。なんて考えながら歩き回って、更に部屋を探索してみる。
「わ、リモコン?」
窓際の壁に付けられたリモコンを発見。変なものではないと判断し、ワクワクしながらぽちりとボタンを押してみる。すると、静かにシェードが下がってきた。そして、全部下がりきる。窓が完全に覆われ、暗くなった。全自動なんて初めて見た、という庶民的な独り言が似合わない部屋だ。
薄暗くなった部屋の中を少し見回してからベッドに戻る。どうせやることもない。壁に付いている時計を確認すると、まだ朝の9時過ぎ。いや、まだと言うには少しアレだけど、昨日夜遅くまで起きていた私にしてみれば、まだ寝ていたい時間帯。
ぼふりとベッドにダイブ。
おやすみなさーーーーいと言ってから、また朝のような、ふわふわとした感覚に落ちていく。
嗚呼、幸せ。