目を覚ますと、見知らぬ天井が目の前に広がっていた。
部屋のドアの前にあった、楢崎幸からのであろう肉じゃがを食べてから3日。
何があったのか状況が理解できない俺の視界に咲さんの心配そうな表情が飛び込んできた。
「山崎さんッ…!!」
声のしたほうへ視線を向けると、大きな瞳一杯に涙を溜めた彼女が居た。傍らには苦々しい顔の副長もいる。
「咲さん…?なんで、ここは…」
「病院だ」
その言葉に、反射的に身体を起こした。
「い、一体俺は…幸さんは?幸さんの弟はどうなったんです?」
「逃げた」
狼狽える俺を見て、表情一つ変えず煙草を咥えたまま副長は応える。
「姉弟揃って金持ってね。山崎、俺たちはあの女に嵌められたんだよ」
組織からの資金強奪は姉弟共謀だった。
いち早く俺の存在に気づいていた姉、楢崎幸は俺を欺くために一か月もの芝居を打った。
そして、俺が憔悴しきったところで手を差し伸べ、毒を盛った。
「山崎さん…ごめんなさい。私、ご飯届けるっていったのに、いけなくって……こんなことに」
ぎゅうとシーツを握りしめる咲さんを見て、慌てて首を振る。
「そ、そんな!咲さんは悪くないですよっ!」
「ああ。お前が引け目を感じる必要はねェぞ、咲」
俺のフォローに副長も手助けをしてくれたが、咲さんの表情は申し訳なさそうなままだ。
「そら恐ろしいもんだな、女ってのは。どこまで剥いていっても化粧、化粧。すっぴんなんて拝める日が来るのかねえ」
女性の隣に座っておきながら随分なことを言うと思ったけれど、今回に関しては俺も同意見だった。
恐る恐る咲さんの表情をちらりと見るけれど微妙な顔をしている。
「女性は仕方ないんですよ。すっぴんじゃコミュニケーションすら許されないんです。まあ今回のその、幸さんはあんまり良いお化粧ではなかったかもしれないですけれど」
「…まあ、十分に餌の役目は果たしてもらったさ。女の周りをうろついてた連中は全部俺たちがしょっぴいた。チンピラ二人を逃がしたところで釣りが来る」
彼は煙草に火をつけなおして、こちらに視線を寄越した。
俺は思わず手元に視線を落とす。
「俺たちが自由に動けたのはお前が居たからだ」
副長は珍しく元気づけるようなことを言ってくれているが、俺は今回あまり役に立てたとは思えない。
自分の勝手な願掛けで自ら衰弱し、気付いていなかったとはいえ敵の術中に嵌ってしまった。
その時どこかで聞いたような、お待たせしやしたー、という元気な声と、病室のドアを開ける音がその場に響く。
「山崎、お前はよくやった」
そう言い、彼はマヨネーズがこれでもかと蜷局を巻いている丼を俺に差し出した。
「…土方さん、それは身体に悪いんじゃ……」
マヨネーズがラーメンを埋め尽くしていくのを表現し難い表情で見つめていた咲さんが恐る恐るそう口を開く。
「あ?マヨネーズは万能食だぞ。これ食ってれば死なねえよ」
「塩分過多で死にます…」
「俺が死んでねえから大丈夫だ。お前も食うか?」
咲さんは、ええ、と顔を顰めた。
そりゃそうだ。
「副長、柄にもねぇことやめてくれませんか?もしかして、俺を慰めてるんですか」
そう言うと咲さんも、副長もこちらを見つめる。
「落ち込んじゃいませんよ。女に騙されんのも、任務失敗すんのも慣れっこなんで」
「山崎さん…」
「ただ、どうせ負けるんなら自分のルールで負けたかったな」
なにか言いかけた咲さんに笑みを向けると、彼女はぐ、と口を噤んだ。
「…どうやら今食いてえのはラーメンなんぞじゃないようだな」
副長は何か勘づいたようにそう言う。
そんな彼に振り向いて、三白眼をまっすぐ見つめた。
「いいですか、おねだりしても」
* * *
そんなことがあった数日後、山崎さんの活躍で結局、楢崎幸と鈍兵衛はお縄に付いた。
弟と並んで歩く彼女は山崎さんに見せていた姿とはまるで別人だったらしい。
「…女性って怖いって、思ってますか?」
帰還後、残しておいた夕食にがっつく彼を見ながらそう問いかける。
他の隊員はとっくに夕食と入浴とを済ませて、各々自由に過ごしている時間帯だ。
問われた山崎さんはこちらを見て、ふいと視線を逸らす。
「ふふ。いいんですよ。女である私でも今回の件は怖いなって思ってますから」
「すみません。女性全員がそんなじゃないって、わかってはいるんですが」
山崎さんは本当に申し訳なさそうにこちらに視線を戻した。
「でも恐いのは女性じゃなくてその人の本質で、たまたまその恐い人が"女性"だったってだけだと思うんです。だから、あんまり女はどうだ男はどうだ、とか言わないでいてくださると、私はありがたいですけれど」
「…すみません」
ぐうの音も出ない、と雄弁に物語る彼の顔を見て、思わず笑みが漏れる。
素直に自分の非を認めて改善しようと努力できるところが彼の良いところだ。
今回の件も彼のそういう心意気があったからこそ解決できたといっても過言ではないだろう。
「あ、そういえばまだ言っていませんでしたね」
首を傾げる山崎さんに改めて姿勢を正し、少しだけ頭を下げる。
「おかえりなさいませ、山崎さん」
「…うん。ただいま、咲さん」
彼は少し驚いた後、味噌汁の茶碗を置いてにっこりと微笑んだ。