Repulse/第五話


 いっそ残酷なほどの輝きを放つ星の瞬きが、舞台ステージ、と銘打たれた空の間を駆けていく。朔たちの紡ぎあげてきたすべてに引導が渡される時だというのに、あまりにもうつくしいもののように感じてしまうその光景を見上げているのは、多分、朔の持つ翡翠だけではない。ただしく『傍観者』であった朔の隣にいる零は、眩しげに舞台上の渉を見つめている。真っ赤な光を灯した零の瞳をスポットライトに、軽々しく舞い踊る渉を――朔はただ、目にしていた。
 宗が背後を突き刺されてしまった時のように。奏汰という『神さま』がその機能をなくしてしまった時のように――朔はいまだ、その性格を失えないまま、そこで、舞台を見上げている。
 ――そんなのは嫌だと、夏目が嘆いた。
「零にいさん」
「あぁ? ……んだよ、朔。見ての通り、俺様ちゃんは『師匠』に自分のつくった脚本を却下された、可哀想な『末っ子』ちゃんの頭を撫でんのにいそがし〜んだけど? お望みなら、朔チャンの頭もナデナデしてやんのはやぶさかじゃね〜けどよぉ?」
「……もう、にいさんってば。こんな大舞台の前で、『あの空き教室』にいるみたいに騒いでさあ? 静かにしなよ、舞台に目を向けて――俺たちの『最後』のひとりが、俺たちを見てるんだし」
 ――『五奇人』の公開処刑だと、渉が高らかに宣言した言葉に、朔は少しだけ、眉をひそめる。夏目の頭をわしわしと撫でて可愛がっている零に対してはあとひとつため息を吐いた朔のことを見下ろして、零は面白そうににやりと口角を上げた。
「寂しいのか、朔?」
「当たり前でしょう。……あなたが巡り合わせたんですよ、零にいさん。夏目しか友達のいなかった『俺』を、みんながいる、『そっち側』に引き込んだのは――あなただから。あなたには、わかってもらわないと」
「ふふん、まァ、違いねぇな。『あっち』に先手はゆるしたけど、実際に『冬海朔』は『五奇人』の側についたんだからよ? よ〜しよし、お前はいい子だなァ? ……巻き込んじまったことは、わり〜と思ってっけど」
 五人ではなくなってしまった日常に踏み込むことを朔にゆるしてくれたのは、他でもない、ここにいる、目の前にいる『魔王様』――朔間零だ。朔のよしみだとか軽いことを言いながら、それでも確かに朔の歌を好きでいてくれていた魔王は、朔が夏目と一緒にいられる環境をせっせと整えてくれた。そのことには、朔だって間違いなく感謝している。心から。
「あァ、口惜しい。『末っ子』のお手付きじゃなきゃ、俺様ちゃんがさらってやるくらいには気に入ってんだけどよぅ?」
「こら〜、れい? 『ねとり』は、いけませんよ。ぼくたちは、なっちゃんの『おうえん』をするって、みんなできめたでしょう?」
「奏汰!? お前そんな言葉どこで覚え、っていうかいて〜よ、やめろって!」
(お手付き……?)
 片手で夏目をわしわしとしている零のもう片方の手のひらが、器用に、そっと朔の頬をなぞる。
 渉からの餞別は、すでに昨夜、本人からもらっている。夏目は――いちばん受け取ってほしかったものを渉本人に否定されて、どん底みたいな気分になっているだろうけれど。舞台の上、苦しそうに舞い踊る『彼ら』の姿は、それ以上に、見るに堪えない。
 不穏なことを呟く零に首を傾げた朔がその真意に気付く前に、奏汰がごんと零の頭を『ちょっぷ』しているのをぼんやりと眺め、朔はそっと隣に座っている宗の方に寄り添い、その景色を焼き付けるように、スポットライトの下を見据えた。
(――ああ、だから、青葉先輩たちのことを大事にって言ったのに。英智さん。あなたは結局、そこに至らないと、なにもわからなかったんですね。俺以上に無知なひとだった。あなたは。あなたは――『ともだち』というものをしらなかった)
 孤独で孤高な、皇帝陛下。見返りでしか自分の価値を自覚できないような、可哀想なひと。ひらりと舞台上で靡いた渉のポニーテールを目で追いながら、朔はきゅっと宗の上着の裾を掴み、しずかに、愛おしかった季節を思い出し、そっと目を閉じる。
 崩れていく。天上の音楽が。天に橋をかけたうつくしき天使たちの楽園が。真っ白に輝く螺旋階段はいまだそのかたちを保っているのに、朔の視界に見える舞台は、すでに崩落しきっている。ぼろぼろになってまで振り下ろされた、まがまがしく輝く剣が、渉のことを裁こうと、つよく、振り落とされた。
 季節にして、ひとつかふたつ。ううん、それと、もう少し。年月にして、半年と少しくらい。朔にとっての、いとおしき青春の日々――たとえそれが瞬きの間のことであろうとも、そのばけものたちが守り囲っていた箱庭の中、微笑みを交わすことのできていた奇跡のことを、朔はこれからずっと忘れずに、大事に大事に抱えて、生きていくのだろう。思い出だけが朔に寄り添い、心だけが朔のことを慰める。朔が愛したものは、もう二度と、そのかたちを取ってはくれないだろうから。
 ――出会ってくれてありがとう、夏目。俺の『夏目といたい』なんてひどいわがままをゆるしてくれてありがとう、にいさんたち。朔は灰かぶりのシンデレラのように最後に羽ばたくようなお姫様にはなれなかったけれど、だからこそ夏目は朔の前で、五奇人の末っ子じゃなくて、有名な占い師の息子でもなくて、ただの『逆先夏目』のままでいてくれた。大好きで、愛していて、守るべき、朔の隣人。誰よりも近くにいたはずの。いとしいひと。それが恋とか愛とか、そんな名前のついた大仰なものなんかではないかもしれないけど。
「……『わたし』、夏目のために歌っていたかったのかもしれないね。最初から最後まで、ずっと。夏目のことが大好きだった。いまも、未来も、俺のぜんぶを受け渡しちゃってもいいくらいに」
「随分熱烈な告白だね。……それは、僕ではなく小僧に言うべきだと思うのだよ。僕はあれではない。君が――僕が最初に見初めたかがやきを、小僧の前でだけ晒すというのを僕が許した意味というものを、これから考えるといい。小僧とともにね」
「ふふ、小難しいことばかり言うね、宗にいさんは。――夏目にこんなことを言うまでもないよ。俺たちの紡いだ奇跡は、ここで一旦終わるんだ。それが良いことであれ悪いことであれ、夏目の世界は広がっていくのに……未練がましく、俺のことばっかり夏目に背負わせてしまったら、夏目はどこにも行けなくなる」
 これは恋とか、愛とか、そういうのじゃないんだよ、と、朔は宗に語った。
 ただ。きみのために、歌いたかった。ほかの誰でもない、『あなたたち』のために、あらゆるものを退けてでも、きみと。
(だいすきだよ。だいすきだったよ、誰よりも――きみが。夏目のことが)
 この舞台が終わってしまっても。うつくしくも儚い季節が過ぎ去っても。冬海朔という人間が『五奇人』の『影』でいられたことを、忘れはしない。忘れたくない。
 朔はそばにいる夏目の片手をとって、その熱を必死に覚えるかのようにそっと笑い、もう一度、『だいすき』と言い残した。……

 ――友よ、麗しき青春の日々よ……。
 ――また逢う日まで、
 ――さようなら。
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