03 ひと口のしるし
一留はあえて、極めてにこやかに、人好きしそうな微笑みを浮かべて、MANKAIカンパニーの劇団員の前に立った。役者は五人。総監督が一人。劇場の総支配人とそのペットの鳥。あとはちらほらその道の「お手伝い」をしてくれている人たちも何人かいるのだろうが、それはあくまでお手伝いであって、この劇団に所属しているわけではない――一成のように。
早めに仕上げてほしいんだけど、明日暇? 「たるち」が「ウグイス」に振ってくる無茶ぶりは数あれど、それはあくまでゲーム内の話であって、ウグイスの本業である楽曲制作にまで手をかけるようなものではなかった。いままでの関係性に待ったをかけるようなメッセージを見下ろしながら、それ他の作曲家にやったら怒る人もいるでしょうにと考えた一留が、幾秒かの逡巡を繰り返す。
一成がMANKAIカンパニーの手伝いをすると聞いた時から、妙なほどにカンパニーと縁があるようだ。一留が覚えているMANKAIカンパニーの公演といえば、やはり昔の春組――雛森霞さんが行っていたロミオとジュリエットの姿が印象深い。あの斑鳩八角をお抱えの脚本家としていたカンパニーは全体的にある種の悲劇や悲壮感を漂わせていたが、一成曰く、いまのカンパニーの脚本家を務めているのは、自分たちの後輩だった皆木綴であるという。その時は興味なさげにふーんと返したが――思っていたよりも、何倍かマシだった。もちろん、脚本だけの話ではないが。
「たるち――茅ヶ崎至さんに呼ばれました。作曲家のウグイスこと、三好一留といいます。先日は弟がお世話になりました」
「え? 三好……弟?」
「オー! マサカリのテンプラね!」
「まさかの展開、な」
夜を内包するような紺色に近い艶やかな黒髪。少し外に跳ねた裾は寝癖というよりもきちんとセットしているものに近い。肩の少し下程度までのミディアムロングくらいの長さで揺れる髪先と、最近どこかで見たような、柑橘みたいな爽やかさのある、明るい黄色がかった緑色の瞳。よくよく見たら、たしかに一留は、つい最近カンパニーが諸々のデザインを依頼した男――三好一成によく似ている。一留を呼び出した至すらも一留が「そう」であることは予想外だったのか、驚いたように目を瞬かせていた。
「あ、えっと……この劇団の総監督をしている、立花いづみといいます。今回は依頼を受けてくれてありがとう」
「ううん。あたしも一成にカンパニーの話されて気になってたから。昔はあんなに素敵な公演を代わる代わるやってた劇団が、劇団員もいなくなったいまはどうなってるのかって」
「一留さん、相変わらずキツいっすね」
「そう?」
どんなに小さな舞台でも、板は板。一留が何度も見返した映像データで光が当てられていたのはこの緞帳の奥のことだ。思いを馳せるように一留が濃紅の緞帳の向こうに目を向けたのは一瞬で、一留はすっと驚いたような顔をしているいづみのほうに視線を戻した。
「昔のカンパニーのことを知ってるんですか?」
「映像を見たことがあるってだけなんだけど。……それで、脚本は?」
「あ、これっす」
綴が差し出した脚本を受け取る一留が、ぱらりと音を立ててページをめくる。すさまじい勢いで動く瞳がどのような考えを抱いているのかは、一留の前に立っている劇団員たちには到底わからない。綴と至をを除いた四人は困ったように視線を合わせた。真澄は多分いづみの顔を見たかっただけで、本当に困っていそうなのはいづみと咲也くらいだっただろうけど。
最後の文字を読み終わった一留が、ふと視線を上げた。それから劇場内を見回して、綴のことをちょいちょいと手招きする。
「音楽を付けてほしいのはどこ? SEは時間ないからフリーのやつ付けてもらうしかないけど」
「えっと……ここと、ここ……ここもっすね」
「……劇伴って、アマチュアでも一曲三万円くらいなんだけど。このカンパニーにそんな余裕あるの?」
「……それは」
綴が脚本に下ろしているゆび先しか見ないまま、綴の言う通りの箇所に記号を付けていく一留が、無感動に言った。ウグイス名義ではない――誰かが歌うためのものではなく、単純なオフボーカルを作るための仕事は、やっぱりちょっとだけ勝手が違う。三好一留としてアマチュアの価格で受けてもいいけれど、それにしたってそんなお金を出せる余裕はこのカンパニーにはないように思えて、一留は劇場に立っていたいづみのことを呼んだ。
「十二万円、出せる?」
「じゅ……」
「この感じなら、衣装に回したり、フライヤーの印刷代に宛てたいんじゃないの」
「……そうだね」
現状、一留はカンパニーに借金があることを知らない。その上でひどく冷徹な声色をしながらいづみを突き刺すように口にしたその言葉に、真澄がキレそうになった――そのタイミングのことだ。
「じゃあ、一万円でいいよ」
「――え?」
「四曲まとめて一万円。これくらいは捻出できるでしょ?」
「それはそうだけど……いいの?」
「……いいよ。出世払いね。あたしも慈善事業でやるつもりはないし、春夏秋冬揃ったら請求するから」
――カンパニーの公演方法も、組み分けのことも知っているような口振りで、一留が言った。これもまた昔のカンパニーのおかげなのかと思うと泣きそうになるけれど、いまはなんにせよ助かったことに感謝しておきたい。
イメージの打ち合わせと一緒に実際に動いているところを見たい、という一留の言葉に、劇場に垂れていた緞帳が上げられた。ここはこういう感じで、ここはこういうイメージで……綴に言われたものはあまりに文学的で、象徴的すぎて、言葉だけでは理解できないものもあったけれど。板の上に当たるスポットライトが、一留の脳内で音楽を奏でた。これなら、一週間もあればなんとかなるだろう。