赤と緑




みょうじはぼんやりとした意識の中肌寒さを感じ、木枯らしに吹かれる夢と布団で包まる現実の間を行き来した。
ようやく木枯らしの夢から解放され薄く目を開けば、自分の手が目に入る。
すぐに布団を掛け直しもう一度寝ようとしたが、ふと視界に緑色の髪が入ってこないことと、やけに部屋が赤く感じて勢い良く体を起こした。
みょうじは、昨晩まで随分と丁寧に彼女の髪を撫でていた巻島の姿がない事に驚いたのだ。
トイレだろうかと首を傾げると、嫌でも目に入る窓の外。
確か夕べはカーテンを閉めたはずだったが、開かれたカーテンからは禍々しくさえ感じる異常に赤い空が広がっていた。
熟れすぎたクランベリーのような空は雲ひとつ浮かんでおらず、辺り一面を赤く染め上げていた。
赤い太陽に照らされてというよりは空そのものが赤くなってしまったようなベタ塗りの赤。
朝焼けというよりは夕暮れの色に近くみょうじは混乱した。

「えー?そんなにねちゃった?」

綿毛を浮かべるような眠気が覚めない声でみょうじはそう呟くと、酷く不安そうに顔をしかめる。
時間を確かめようと、枕元の時計をみたが針は5時33分を指していて、どうにも朝か夕方か判断がつかない。
どちらにせよこんな赤い空は今まで初めてみたし、薄気味悪くなって布団の裾を握り込んだ。
じわじわと錆か広がるような不安は心臓の動きをギクシャクとさせ嫌な脈を打たせた。
何を怖がっているのかと抱きしめて背中を心地よく撫でてくれるであろう彼の姿も見えない。

「裕介くーん?」

みょうじはベッドから降りることなく、布団を握ったまま彼の名前を呼んだ。
こじんまりとしたワンルームの部屋は簡易的なキッチンとユニットバスがある部屋との間に、便宜的なカーテンが取り付けられていたがほぼ同じ部屋だ。
ある程度の声で名前を呼べば大体は気づくのだが、彼女が声をかけた方向からは全く反応が帰ってこない。
また、トイレに行ってるのであればそれなりに物音がするものだが、それも聞こえなかった。

「裕介くーん?いるのー?」

試しにもう一度名前を読んだが、先ほどと変わらず反応はなかった。
急用ができて一声かける暇もなく帰ってしまったのだろうかと思ったが、巻島のバッグはローテーブルの横に置いてあった。
しかし、目を引く鮮やかな色合いのコートはかかっておらず、みょうじを悩ませた。
声もかけずに出かけたとは考えにくかったが、近くのコンビニにでも行ったのだろう。
最終的にそういう結論に至った彼女は、命綱のように握っていた布団を離し、ゆっくりとベッドから降りた。
元々怖がりな彼女は普段とはどこか違う部屋の様子に大分戸惑っていたのだ。
巻島がいないとなれば一刻も早く部屋から出て、骨張ってはいるけれど暖かい手をした彼に強く手を握って欲しかった。

みょうじは急いで頭からストンとAラインのワンピースを被りコートを羽織った。
携帯をコートのポケットにしまい込み、玄関にかけてある鍵を取ると、彼女は逃げるように部屋から出て鍵をかけ、マンションの階段を降りる。
そして、一番近くにあるコンビニに目指す。

やはり今は朝なのだろうか、道には人の気配がまるでしなかった。
ただただ赤い空が街全体を同じ色で塗りつぶし、耳が痛いほど静寂に包まれている。
気味の悪さからからなのか、寒さからなのか泡立つような寒気が背骨を駆け上がった。
みょうじはもっと中に着込んでくればよかったと後悔したが、今更部屋に戻る気にもなれず手をコートのポケットに突っ込み先を急ぐ。
自分のブーツのヒールがコンクリートを叩く音と風の音しか響かない道は、嫌でも想像力をかきたてた。
風が吹き、木の葉が転がる音はまるで巨大な節足動物が這っているように聞こえるし、黒い影に足を取られたら引きずり込まれるような気がした。
恐怖心を取り除こうとすればするほど、気持ちが焦り思考の渦からでられなくなる。

すぐそこの角を曲がればコンビニだ。
自然と駆け足になりそうになるのを何とか抑えながら、不自然な街への不信感と恐怖心は着々と膨らんでいた。
そして、長かった一本道を過ぎ角を曲がるとすぐに目に入る緑色の髪。
彼女が今一番会いたいと思っていた人だ。

「あ!ゆ、裕介くん!」

堰を切ったようにみょうじは巻島と思しき人へと駆け寄った。
声が届かなかったのだろうか。
みょうじがこちらを振り向かない巻島の肩を叩こうとしたとき、彼は彼女の腕を掴んだ。ギリギリと音がしそうな程強く。

「や、やだっ痛いよ…!」

巻島の様子がおかしいことを感じ取ったみょうじの声は震えている。
振りほどこうにも力が入らないのと、普段の彼ではないと認めるのが嫌で彼女は動けなかった。

「どうしたんショ?そんなに震えて」

その声はまさに彼のものだったし、聞きたくて仕方のない声だった。
ねじり切られてしまうのではないかという程腕を握られていなければ、安堵に涙腺が緩んだことだろう。
しかし、さらに腕をつかむ手に力が入り声をあげそうなほど痛く、みょうじはしゃくりあげるような声を出した。

「オレがいなくなって不安になったのか?」

みょうじは横に首を振る。
それは彼の質問に否定で返したかった訳ではない。
徐々にこちらを向く巻島の顔が、ほぼ人間には無理な角度に近付いていたからだ。
それ以上こちらを向いたらだめ、優しい声の持ち主が巻島だと彼女は信じたくて仕方がなかった。

「まったく、なまえはホント怖がりだなァ」

みょうじは激しく横に首を振る。
もうこっちを向かないでと、声に出して言いたかったが掴まれた腕が痛く悲鳴に近い声しか出なかった。

「ずっと一緒にいてやらねーとな」

みょうじは喉に穴が空いてしまったような声にならない悲鳴を出した。
完全にこちらを向いてしまった彼の顔は、にったりと笑っていた。
真っ赤な空の影響を少しも感じさせない真っ白な肌に、白目の無い真っ黒な瞳。
その瞳としっかり目があってしまった瞬間、みょうじの意識はテレビの電源を切るようにぷっつりと途切れた。

***

「おい、なまえ?…なまえ?大丈夫か?」
「っ……ひぃ!!?や、やだぁ!!!」
「な、なんショ?どうしたんだヨ。寝ぼけてるのか?」

目が覚めるとみょうじは自分の部屋のベッドの中におり、目の前には巻島が心配そうに彼女の顔を覗き込んでいた。
いつも八の字を描いている眉毛は、彼女が見た中で一番さがっていて情けない程だった。
困惑したように頬をかく彼の瞳は何時ものように、小さいながら綺麗な青色だ。

「なんかすごくうなされてたから、どうせ怖い夢でもみたんショ?」

からかうように笑う巻島をみて、みょうじは一気に緊張の糸がほぐれたのか、表面張力が決壊するように涙を零し始めた。
思わず巻島に抱きついた彼女はぐすぐすと鼻を鳴らして泣く。
求めていた手が髪を優しく撫でてくれて、背中をゆっくりと叩いてくれた。
子供をあやすみたいだ、とみょうじは思ったがこの時ばかりはそんな子供扱いも、愛しくて仕方が無い。

しかし、それと同時に思い出したかのように腕がじくりと痛む。
自分の腕を確認しようと巻島からゆっくり離れて夢で掴まれた方の腕をみれば、真新しい包帯が巻かれていた。
勿論、寝る前に包帯を巻いた記憶なんて無かった。
包帯の下がどうなっているか、見なければと思い包帯を剥がそうとすると巻島がそっと静止した。

「怪我してるんだから取っちゃダメっショ」
「け、怪我なんて、してないよ?」

確かにじくりじくりと心臓の鼓動とともに腕は痛むが、寝る前は怪我なんてしていなかったのだ。
みょうじが怪我をしたのは、否させられたのは夢の中の話。
現実では怪我なんてしててはいけない。
夢で見た恐ろしい光景を思い出し恐る恐る巻島を見るが、彼はいつもの巻島だった。
何の変哲もない、いつもの…と、ここで彼女はふと、違和感に気づく。
違和感に気づいてしまうと、また赤い街を歩いた時のような感覚が背中を駆け上がった。
気づいてはいけない、口に出したらまた夢に逆戻りだ。
そうは思ったが、彼女の意に反するようにぽろりと違和感の塊が口から吐き出される。

「ねぇ、裕介くんの、ほくろって…左だったけ?」

巻島は、にたりと笑った。
まだ夢は終わっていない。




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