夕餉
荒北は、まさに作りたての湯気が立つ味噌汁を有り難そうにすすっている。芳香な味噌の香りは遺伝子レベルから刷り込まれたみたいに彼の食欲をそそり、こっくりと食道を流れる優しい汁は胃袋を温める。具はスタンダードに豆腐とわかめと油揚げ、それとしめじが申し訳程度に浮かんでいた。荒北は恐らくこのしめじは昨日の余り物だろうと思いつつも、肩肘張っていない手料理に感慨深さを感じていた。
荒北とみょうじが二人で暮らし始めてから随分と立つ。二人で暮らし始めた頃は、食卓に並ぶ手料理の隅々に気合が入っていたが最近では手抜きも見受けられるようになった。それが不満かと言えば、そうではないから未だに惚気ているのだろう。これが馴染むってことなんだな、と思いその状況に鼻が膨らみそうになる。荒北はつくづく馬鹿だよと改善する気もない苦言を自分に呈しながら、もう一度味噌汁をすする。実家や寮の味噌汁とは違った味わいも随分慣れたものだ。最初こそは味に違和感を覚えたものだが、今ではこの味の方が当たり前のように思えた。
そんな彼の胃袋を自分色に染めた我が家の料理人はというと、もぐもぐと口を動かしながらぼんやりとニュース番組をみている。最近よく取り上げられる悲惨な事件に眉根を寄せ、無責任に心を痛めているようだ。
「可哀想に」
そう無感情に呟くと、彼女は筍の煮付けを頬張る。荒北も相槌のつもりでテレビに視線を移し、筍の煮付けを頬張った。
特に話題ない日だった。いつも通り大学に行き授業を受けたふりをして日中を過ごし、部活に行った。友人の話に腹を抱えて笑った記憶はあるが、内容は覚えていない。本当にくだらないことだったのだろう。恐らくみょうじも、他愛もない一日を過ごしたはずだ。共有したくてたまらない話題がある時は、湧き水の源泉を掘り起こしてしまったかのように次から次へと言葉が湧き出てくる。荒北はさながら洪水の真っ只中、木にしがみついている人のようになるのだ。話題の大洪水がないということは、そういうことなのだ。
そうして、テレビ番組に茶々入れながら特に盛り上がる訳でも無く時は過ぎたが、すっかり夕飯は食べ切った。おかずを盛り付けた大皿も、小鉢も、茶碗も空になり荒北は満足そうに箸を置いた。すると、わざとらしく手を叩いてみょうじは「あ」と声をあげる。何か思い出したようだ。席を立つとスキップしそうな軽い足取りでキッチンに向かった。
「ナァニ、まだなんかあるの?」
キッチンにいるみょうじに問いかける訳でも無く、一人言のような声量で荒北はぼそりと呟いた。冷蔵庫が開く音と物が擦れる音が聞こえてくる。どうやら、冷蔵庫から何かを取り出しているようだ。概ね出し損ねたものあったのか、食後の楽しみにとって置いた物があるかいずれだ。何を持ってくるのか、とぼんやり思っていた荒北は扉で見えないが、冷蔵庫の前に立っているであろう彼女に目を凝らす。覗き込むように体を反らすと、苺の盛られたガラス製の器をもってみょうじが戻ってきた。
「じゃーん、いちご!」
「おーなんか高そうダネ。」
そこは美味しそうじゃない?とみょうじは首を傾げたが、ニヤリと笑っているところを見るとどうやら、荒北の予想はあっているようだ。テーブルの真ん中に器を置くと、鮮やかで真っ赤ないちごはつやつやと輝く。瑞々しいことが一目でわかるような見た目に、荒北の膨れた胃袋もそれらが入る隙間をこっそりと開けた。みょうじは早速摘まんで一口では食べきれない苺に小さな口でかぶりつく。白い歯が噛み付いた跡には艶やかな断面、溢れる果汁をぺろりと舌で拭うみょうじをみて荒北の喉が鳴る。勿論苺に、だ。
「あまーい!」
目を細めて苺をかかげながら、彼女は自分の目利きが良かったのだと讃え始めた。荒北も中でも大ぶりな物を選びかぶりつく。みょうじの様子から想像していた通りの瑞々しさと、予想以上の甘さと爽やかさに表情が綻んだ。寒々しく貧しかった季節は終わり、目の前の真っ赤な果実を実らせる暖かい季節がやってきているのだ。もうそんな時期なのか、と苺のプチプチとした舌触りを感じながら荒北は思った。また、それと共に去年も同じような時期に苺を食べた事を、唐突に思い出した。
引っ越してきて、机も何もない床でダンボール箱をテーブルに見たてて食べたそれ。コンビニの弁当と近くのスーパーで買った苺をプラスチックパックにいれたまま荒北とみょうじは一緒に食べた。引っ越しの準備で荒北としてはとりあえず空腹を満たせればよかったのに、彼女が苺が食べたいと言って聞かなかったのだ。渋々買ってきて、器も何も無いから洗ってパックに戻した。しかし、今のようにガラス製の器には入っていなかったが、ダンボール箱のテーブルを彩るには十分だ。
そんな一年前の記憶も食卓に映える鮮明な赤は、映し出したのだった。食べ終わった後も段ボールの湿った紙の匂いに混じって、甘い香りが漂っていた空気までもが蘇る。その匂いも苺を食べたこともすっかり忘れた頃、またこうして苺は食卓を彩った。春の理由無き期待に満ちた雰囲気がそうさせたのか、荒北自身分かってはいたが感傷的な気分に浸る他なかった。何せ目の前の彼女は去年と変わらず、苺を口いっぱいに頬張り、そして狂おしい程に愛しいのだから。
「どうしていちごって生で食べるとさっぱりしてるのに、加工されると甘ったるくなるんだろうね?」
「バァカ。その話去年もしてたヨ。」
「えー?そうだっけ?」
少し間を置いて、彼女は幸せそうに微笑んだ。去年も今年もまた来年も。
いちごの季節
またここへ戻ってきた。
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