アリスのためいき



02

サロンへ向けてしばし無言のまま歩いていたが、歩を進めるうちに、だんだんと無言に耐えられなくなってきた。るいは口を開こうとエドガーの名前を呼んだが、その瞬間、振り向いたエドガーが勢い良く頭を下げた。

「昨夜はすまない…!謝罪も説明もできずに、不安にさせてしまって…」
「え、や…」

わるいのは、わたし。

そう言葉に出そうと思ったのに、顔を上げたエドガーに見つめられ、言おうとしていた文字列はそのまま喉の奥に消えてしまった。エドガーは夕暮れの黄金の光の中で、じっとるいを見つめた。

「順を追って話さないといけないな。本当はもっと早く来るべきだったが…」

申し訳なさそうに謝罪するエドガーに、るいは『ううん』とだけ返事をした。それ以上の言葉は出てこなかった。

エドガーは昨日の状況を、その時店内にいた他の客や優秀な黒猫に詳しく聞いてくれていた。そしてその状況を踏まえて、昨日起こった出来事を順を追って説明してくれた。サクラに火傷を負わせた客は、アリスを持たない隣街の住人だった。ワンダーランドの住人の中ではかなり少数派ではあるが、どういう訳かアリスを毛嫌いしているようだった。そんな人も一定数はいるだろうな、とエドガーは寂しそうに苦笑いを浮かべた。

サクラが調理中に火傷をしたと思い込んでいたるいは、事の顛末を聞いて自分の短絡的な考えに心底辟易した。エドガーの話をちゃんと聞かなかっただけではなく、エドガーの監督不行き届きでサクラが怪我をしたと思い込んでいたなんて。

「エドガー…ごめん。私…最低だね」

るいがこの気持ちをどこに持って行けば良いのかわからない、とでも言うように呟くと、エドガーが不思議そうに首を傾げた。

「俺は、るいは最高のアリスオーナーだと思っているが」
「……そんなの…、」
「なのに、俺は最高のアリスオーナーとアリスを傷つけてしまった」
「いや、私は…!」
「アリスとそのオーナーのため、などと謳って、俺はサロンのオーナー失格だな」
「そんなことない!!」

思いつめたようなエドガーの台詞に思わず大声が出てしまって、るいははっとした。エドガーも少し驚いたようで、いつも鋭い目がビー玉のようにまん丸になっていた。けれどるいはそのまま続けた。

「エドガーは素敵なサロンオーナーだよ!アリスのこと大切にしてくれるし、花茶も蜜菓子もいつも最高に美味しいもの!」
「るい…」
「悪いのは私だよ。エドガーは悪くない!サクラの事助けてくれようとしたのに、私は…」

エドガーを信じれなかった。

涙が出そうになるのを抑えられなくて、るいはとっさに俯いてしまう。けれど視界に映った石畳に水滴が落ちていく様子を見て、結局涙を堪えきれていない事に気づく。

「るいは最高のアリスオーナーだよ。…正直、驚いたからな」

涙を拭っている時に届いた声は、少しの時間るいの脳内を駆け巡った。それから、どこかで聞いた表現だと気付いて、るいは思わず顔を上げた。

「恥ずかしい話だが、俺は多少なりとも…お前と親密な関係だと思ってた」
「…」
「でもあの時、本気で怒ったお前の眼を見て、俺はお前の中でアリスに全く勝てていないと思った。同時に、アリスのためにあんなに本気で怒れるアリスオーナーになったんだと思うと、少し、嬉しくもあった」

るいはエドガーの台詞を聞きながら、シキが言っていた言葉を思い出していた。“エドガー、びっくりしただろうな”“僕『も』嬉しい”。シキはそう言っていた。

(そっか…)

シキは能天気に見えて、周囲の人の事をちゃんと見て理解している。エドガーの困惑や喜びも、本人に会わなくてもその台詞から感じ取っていたようだ。すごいなぁ、とるいはしみじみ感動した。まだ自分は、全然なっていない。一人前のアリスオーナーに、みんなの仲間に、なれていない。

「るい。何か、難しいこと考えてるだろう」
「ううん。簡単なことだよ。エドガー、昨日はごめんなさい」
「!」
「ちゃんと、謝ってなかったから…。えっと、サクラを守ってくれようとして、ありがとう」
「…あぁ」

短く返事をしたエドガーに、るいは精一杯の笑顔で答えようと頑張った。まだ立派なアリスオーナーじゃないかもしれない。けれど、アリスのために、みんなために、目標がどんどん増えていく毎日だけれど、まだここで頑張るって決めたから。少し落ち込んだけれど、少し元気が出た。

意気込んだるいの視界が急に暗くなる。日が沈んだのかと思って顔を上げると、近くにエドガーの顔があった。え?と思う間もなく、唇に優しく唇が重ねられる。

「!」
「あぁ、すまない。つい…」

そっと離れたエドガーの口調に慌てた様子もなければ、照れた様子もない。突然のことに、るいは急激に恥ずかしくなる。街の真ん中でもあるこの場所では、誰かに見られたのではないかと思って周囲を見回したが、意外にも周囲には誰も居なかった。

「照れてるのか?」
「ち、ちが…!」」

とりあえず、エドガーはるいの事を許してくれたようだ。それがわかったので今日はもう十分だ。

るいは急激に頬が熱くなる感覚を紛らわすように、サロンの方にどんどん向かっていった。エドガーはあまり恥ずかしいと思っていないようだけれど、往来のど真ん中でキスなんて、るいには恥ずかしい。

蜜菓子を貰って早く帰ろうと決意する。何だか、今すごくアリス達に会いたくて、けれどアリスたちの純粋な瞳を見つめてはいけない気がするけれど。

「言い忘れてたが、今日は聞き込みのためにサロン休みにしてたから、蜜菓子は何もないんだ。これから作るから、2時間くらい待っててくれ」

エドガーが意地悪そうに笑う声が耳に届いて、るいは今度こそ言葉を失った。



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