所有とは
「────はあ、そのような事情が」
村人から歓待を受け、覚えられそうもない人数の自己紹介を受けた名前は千空が寝起きしているというラボへと連れられ簡単な経緯を聞いた。この世界はどのようになっていて、千空たちの向かうところはどこなのか。とにかく今は作物を見つけることに注力しているようだった。
「なんだか、SF小説でも読んでいるような気分です。石化した人間は生きるとも死ぬとも無く、そしてそれを解除する魔法のような薬があって……。その石化の元凶の在処までも突き止めているのが、こんなに若い少年たちだなんて」
「まあ、ンなこた今は正直どうだっていい。とにかく、今ここにはあの時みてーな医療も科学も文化も無い。その上、食糧難の問題が解決するとなりゃ、既に大所帯なこの村はもっと手狭になるだろう。人間の一生で全人類を目覚めさせようっつー俺らはそんなにチンタラやってらんねーが、既に村っつー組織は社会となってる」
今現在、食糧難は解決の糸口を探っている状態だ。そんな不安定な状態に置かれるのは数百人の人間で、加えてその人間たちは最先端の文明に触れていたものと、そうでないものと明確に二分される。パワーバランスは現状どちらに傾く訳ではないが、前者の人間が増えていくにつれ、そちら側が勢力を強めていくことだろう。千空率いる五知将──本人達の知らぬ間に誰かがつけた名称のようだ──が次に危惧しているのが犯罪行為だった。もっとも、この世界において犯罪とされることはひどく少ない。なぜなら、小さな社会は成熟していたからだ。人格を認め合い、互いをそれとなく監視する社会。それで成り立ってきたのが石神村の歴史だった。
「これからは、きっとそうはいかなくなるだろう。いくら千空や、俺たちが人間を愛し、信頼したとしても──」
龍水はタトゥーのようにヒビの入った指で自らの顎を撫でる。
「他人がそれに応えると期待しては国は成り立たん」
不敵に口端を持ち上げた龍水に、名前は眉を下げた。少年の言う言葉はあまりにも正しく、残酷な現実だったからだ。年相応という言葉は名前の得意とするものではなかったが、それでも、彼がこれまでに舐めてきたのであろう辛酸を思わずにいられなかった。
「だが、急に俺たちが犯罪だどうだっつーには、あまりにも前提にする文化や知識の乖離がデカすぎる」
民主主義、そして法治国家は長い人間が歴史の上で築いてきたシステムだ。元から施行されていた時代に生きていた元現代人たちはそれらを当然のものとして受け入れ、社会の一員になってきた。
しかし現在、新たに法を施行するにはそうもいかない。人から話を聞き、言葉を交わし、時に議論する。誰もが納得する法なんてものはないのかもしれないが、それでも大多数の倫理を元に法を作り上げる必要があるのだ。そして、倫理を問うのが哲学だった。
「なるほど、私が目覚めさせられた経緯はなんとなく分かりました。私じゃなくても、もっと成熟した先生方がいらっしゃるような気もしますが」
「コイツきっての人選だ。俺は目的に合えば誰でも良かった」
千空は親指を立てて龍水をさす。龍水はそれを見て口角を持ち上げ、自信ありげに大きく頷いた。名前はそこで、この龍水という男が自分の書籍を読んだようなことを言っていたと思い出した。
「あの、もしかして……私のゼミに入ろうとなさってた方、とかですか?」
期待を込めた瞳で名前は龍水にそう問うと、龍水は自信ありげな雰囲気を崩さないままに少しだけ眉を下げて複雑そうに笑った。名前が不安げに組んでいる手は心なしか興奮で薄桃に染まっている。
「いいや、そういう訳ではない。ただ──」
龍水は名前の手に視線を移す。強く組まれていた指は弛緩し、気を散らすように握ったり緩めたりを繰り返していた。龍水の次の言葉を待つ名前は小さく「そうですか」と呟くに留めたが、そこに滲む落胆に、そばで聞いていた千空は呆れたように笑う。
「貴様の著書を読んだんだ。実用向きで無い哲学書にしては珍しいヒット作だという触れ込みに、そのカリスマ性を見たくて読んだものだが、これがなかなかどうして面白い」
龍水は名前の手を取り、力強く握る。自身の細く少し汗ばんだ手と、龍水の関節の目立つ少しかさついた手はまるで正反対だと名前は考え、直後に驚き損ねたことに気がついた。龍水の勢いに飲まれたのだ。
「文を噛み砕く力、他人に理解をさせようという努力は教授をしていると知った時には膝を打ったものだ。大衆に受け入れられる文章というのは、読み手を想像するということでもあるからな。常に学生を相手にしている者となれば、それも日常茶飯事なのだろう」
「はあ、その、恐縮です。私はやりたいことをやりたいようにやっているだけですが、どうも運が良かったようで」
依然手は握られたままで、名前はゆっくりとお互いの体温が一定になっていくのをぼんやりと感じ取っていた。そこには下心が微塵も無く、龍水は心のままに感動を伝えていることが直感で理解できた。
「その運も全て実力の内だ。それら全てを評価した上で、俺はお前が欲しい」
「えっ?」
突然の告白にも似たその言葉に、名前は思わず素っ頓狂な声をあげた。次いで視線を右往左往させ、握られた手から逃れようと身じろぎをしたものの、視線の先の千空は少しも表情を崩さず、手を振り解くことも叶わなかった。自身をまっすぐに見つめる視線から逃れられないと察した名前は、恐る恐るその視線を合わせ、理解できない行動原理を探ろうとした。
「あの。欲しい、とは……」
「そのままの意味だ。俺のものになれ、名字名前」
龍水はギラつかせていた瞳を細め、慈しむように名前を見つめる。まるで恋人にするような表情に名前はギョッとして、今度こそ繋がれた手を振り解いた。再び手を取られる様子が無いところを見るに、抵抗を受け入れたということだろう。
「そのままの意味って、どういうことですか?」
手が離れたことでようやく平静を取り戻したらしい名前は、上擦っていた声を落ち着かせて問う。右往左往していた瞳はまっすぐに龍水を捉え、まるで「欲しい」と声を上げた龍水のようだった。纏う雰囲気が変わったことを即座に感じ取った二人は一様に口角を持ち上げた。千空は値踏みするように、龍水は楽しむように。
「ものになれ、と言うからには、目標は所有ということですか? 意思を持たない物体なら『ものにする』のは言葉のままですが、人間はきっとそうはいきませんよね。もし今、あなたが企業のトップだったとするならば、労働力を得るということが『ものにする』の定義に当てはまるかもしれませんね。とはいえ、日本の倫理観で言うなれば人間を奴隷扱いされることは許されませんでした。今はどうですか? この世界において、何をもって、あなたは『手に入れた』と感じますか?」
矢継ぎ早に放たれる問いに、龍水は眉を上げ、考え込むように顎に指を添える。財閥の御曹司として生まれた龍水はいつも支配者側だった。だからこそ、欲しいと思った人材は自分の行う様々なプランにおいて力添えをしてもらえるようにパイプを作れたし、自分の所有する企業グループに所属させることも可能だった。しかし企業──ひいては社会そのものが小さくまとまっている今、声をかければ力を借りられるのは村がここまで成り立ってきた互助の精神からも明らかだ。そもそも独占という点において、現在は競争相手が存在しないのだから。では、現状での「欲しい」とは一体何なのか。
「悪くない問いだな、名字名前。確かに、世界が崩壊している現在において、俺のイズムは破綻していると言えなくもないだろう。しかし、そうだな。あえて言うならば、その力をリザーブしているのだ」
「予約ですか? 興味深いですね。聞かせてください」
「これから俺たちは全世界の人間を全員目覚めさせようとしていると言ったが──」
龍水は千空をちらと見た。視線を追うように名前も千空を盗み見たが、彼は気怠げに薄く笑うだけで、口を挟むつもりは無いらしい。
「それはすなわち、権力争いの再生産を意味する」
名前はその言葉に息を詰めた。少ない人口だからこそ保たれている平和が、これから失われることは既に想定されていることだと、頭では分かっていてもいざ言葉にされるとその絶望はあまりにも大きい。
「権力争いを否定するつもりは無い。アレは人間の本性を顕にさせる装置ではあるが、アレはアレでメリットが無いでもないからな。経済の発展、科学の成長、個人が持つスキルの尊重と効率的利用……言い換えれば自然破壊や労働力の搾取とも言えるが、それはトップの匙加減だな。とにかく──」
龍水が一呼吸置いたのと同時に、外では風が強く吹きつけた。ラボの窓に取り付けられた御簾が風に煽られて大きくうねる。
「ここで先手を打っておけば、一級品の能力も、貨幣価値も、全ては俺の手の内だ。違うか?」
「──なるほど。目利きした能力にツバをつけておく、と……。確かに、他者を動かす時には先手を打つことや長く目をかけること、多く手を貸すことは重要と聞きます。合理的、かつ人間の心理をよく承知ということですか。失礼ですが、石化される前も権力者でしたか? 現場のバランス感覚がおありのように感じたのですが」
名前の言葉に龍水は「まあな」とだけ返す。堂々とした態度はそのままに、自分の身の上を明らかにしない龍水の言動に名前は首を傾げたが、龍水の相槌を取り次ぐようにして千空が口を開いた。
「そいつは七海財閥の御曹司だ。俺の知ったこっちゃねえが、石化前も派手にやってたっつー話だからな。クク、そのせいでこの世界にも貨幣制度が敷かれた訳だが」
「ああ、七海財閥の御子息でしたか。各所の研究に出資してらしたとかで、七海の名前はよく耳にしましたが……。なるほど、バランス感覚がある訳だ」
名前は大して驚いた様子もなく、一人で納得したように呟いた。龍水はその様子を見て目を丸くしたが、すぐにまた目を細め、彼女の肩に腕を回そうとし、肩に手が触れる寸前で留めた。名前はそれを一瞥したが、咎めることもなく受け入れた。
「良いぞ、名字名前。やはり貴様のその落ち着き、能力、一際目立つものを感じる。俺たちで世界を疑おうではないか」
「ええ……? はあ、ええと……。すみません、私は誰のものになるつもりも無いんですけど」
直後、千空のくぐもった笑い声と、龍水の快活な笑い声が石神村の夜空に響いた。
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