Spin-OFF
NY異聞録 序幕とは得てして 02さて。アーウィンの不在にやや動揺したものの、やることが変わるわけではない。シリルとフィンレーの二人は、すっかり身支度を整えてしまうと、すぐに街へと繰り出した。
行き先が決まっていないため、ひとまず街ゆく人々の会話をうかがいながら考える。つい先日セント・パトリックス・デイ・パレードが終わったところで、もう何日かすればイースター・パレードだ。お祭りムードと春の陽気に触発され、人出はかなり多い。
爆破事件が複数回あったにも関わらず、イベントごとは敢行されるのだから、この地域の人たちの強かさが垣間見える。
人の多い五番街をスイスイと進んで行くフィンレーとは対照的に、シリルは人とぶつかりそうになりながら都度都度、歩く速度を緩めていた。なにしろシリルは普段、人通りの少ない裏路地ばかりを歩いているので。
「遅ェよタコ」
二の腕を掴まれ、ぐっと横道に引き込まれる。少しだけよろめきながら掴まれた腕の先を見れば、案の定フィンレーが面倒臭そうな顔をしていた。
「すいません」
「……」
シリルが言えば、彼はサングラスを少し下にずらして目を細める。掴まれていた腕を軽く放るように離された。掴まれていたところを軽くさすりながらフィンレーを見やれば、彼はザッと周囲に視線を巡らせているところだった。
「行くぞ」
フィンレーが顎をしゃくって指した先に、小さなイーゼルのような看板があるのが見えた。建物と建物の隙間に詰め込んだように小ぢんまりとしたそれは、おそらく飲食店だ。看板の内容からカフェであることがわかった。なぜカフェに、という疑問をぶつけるようにフィンレーを振り返ると、彼はすでに歩き出しているところだった。
シリルは少し大股でフィンレーの隣に並ぶと、もう一度ちらりと彼の顔を見た。
「ア?」
「まだ調査は十全ではないのでは」
「当たり前だろうが」
何を分かりきったことを、と言わんばかりの呆れ顔で言われ、シリルは首を傾げた。それを見たフィンレーが面倒そうに瞳を眇めたが、すぐに思い直したように溜息を吐いた。
「……どうせこういう店には人が来る。こっちも居座って話題やトレンドを掴む」
「なるほど」
「あとは店員に話を聞くか、だな。ここは被害現場のバーから近い」
得心がいったシリルはひとつ頷く。ついでに、こっそりと息を吐いた。短い時間だったとはいえ、あの人混みを抜けてきたシリルは少しばかり疲弊していた。このタイミングで一息つけるなら、丁度いい。
頷いたシリルを確認したフィンレーが、歩みを再開する。
店に入れば、そこはだいぶ空いていた。店員がひとりと老齢の女性客がひとりいるだけの店内は、やや薄暗く落ち着いた雰囲気が漂っている。
座席に座るなりアメリカンコーヒーを頼んだフィンレーは、シリルに向けてメニューを差し出した。
「お腹は空いてません」
シリルが手のひらを向けて首を横に振れば、フィンレーは半笑いで言う。
「オレンジジュースでも飲ンどけ」
「……同じものを」
果たして、アメリカンコーヒーが二つ到着した。
例に漏れず、この店も暖房がガンガンに効いていたため、二人は各々アウターの前を開けるなり、脱ぐなりをして体温調節をする。シリルはマフラーを外し、フィンレーはニット帽とサングラスをテーブルに置く。
「あんまり深刻に捉えてねェみたいだな」
口火を切ったフィンレーを上目で伺いながら、シリルはコーヒーで口内を潤した。……配合の関係か、だいぶ酸味が強めだ。それからフィンレーの言った内容を反芻して、ぱたりと瞬きをした。
「意味わかンねェっつう顔すンな。……爆破事件の話だ」
瞳を眇めたフィンレーがコーヒーに口をつける。
「マ、犯人を信奉する人間は深刻に捉えてねェだろうから、そりゃそうだろうな」
「その信奉者はどこから湧いたんですか」
「……アー……」
シリルが問えば、フィンレーは、かったるそうに後頭部をガシガシとかいた。
「説明が面倒臭ェンだが――」
「――テオくん?」
話し始めようとした瞬間、すぐそばから老齢の女性の声がした。十中八九、いや十中の十、店に入ったときには既に居た女性客だろう。店員は男性だったので。
ちなみにご存知の通り、シリルは『テオ』という名前ではない。
「……クソッタレ……」
びっくりするほど小さな声で悪態をついたフィンレーが、テーブルに肘をついた右手で目元を覆い
しかし、声をかけてきた女性はマイペースにも瞳をぱたぱたと瞬かせ、もう一度「テオくん、だよね?」と尋ねる。観念したように覆っていた手を外したフィンレーは、女性を見上げて溜息混じりに口を開いた。
「……どーも、ドランスフィールドさん」
「やっぱりテオくんだ。……ジョゼフでいいって、いつも言ってるのに」
シリルに会釈をしながら「座っていいかな」と尋ねる彼女は、ジョゼフィーヌ=ドランスフィールドと名乗った。断る理由も無いシリルは、フィンレーの様子そっちのけで「どうぞ」と許可を出す。
そうしてシリルは、フィンレーを見た。
「……フィンレー=テオ・ジャイルズ。これが俺のフルネームだ」
聞けば、ジョゼフとフィンレーは昔、ここからもう少し東側の海岸近くでよく顔を合わせていたらしい。
というのもジョゼフは、兄が手放した物件を利用して、海岸近くでカフェテリア兼・保護施設を運営していた。その保護施設にいた子ども……の友達がフィンレーだった、というわけだ。
「でも本当に、よかった。元気そうで」
「……ッス」
「十年前、急に居なくなったから。心配してたんだ」
その話を聞いて、シリルはそっとフィンレーをうかがった。
しかしフィンレーの表情は、いつもに増して読みづらい。悪態をついていた割に、こうして言葉を交わすのは満更でもないように見える。だが、目立って喜びや懐古に浸る様子は無い。
食生活や交友関係や、あれや、これや。深入りはしないが、元気で生きていることを確かめるよう様々な話題を出すジョゼフに、フィンレーはときたま相槌を打ったり、二言三言で返しながら静かに聞いている。
「そういえば、テオくん。今も海、好き?」
ああそうか、とシリルはひとりで納得した。今のフィンレーの表情を例えるなら――そう。穏やかな……凪いだ海とするのが、一番しっくりくる。
「ああ。たまにバイクで海岸沿いまで行く」
「そっか。西海岸も気持ちいいだろうね」
「そうだな」
するとジョゼフはシリルを見て微笑んだ。
「キミは?」
問われて、瞬きを返した。
「海、好き?」
ジョゼフの言葉に、テーブルへそっと視線を落とす。なぜならシリルは、自己の趣味嗜好について特別に話せることなど無かった。生きる上で、そういったものを重要視していないからだ。
寝て、起きて、最低限の食事をして、仕事をして。それから一生、外せないものをひとつ。生きるという行為に、それ以上の何が必要なのだろうか。
「……わかりません」
それを返した。好きや嫌いを言えるほど、周りのことに興味は無かった。
「じゃあ……今後、わかるといいね」
「そう、ですね」
他に喋ることなどなかったので、シリルはコーヒーに口をつけた。だいぶ冷めていたそれは、酷いほどに酸味と雑味が出ていて美味しいとは言えない。視界の端に映るフィンレーのカップにも、それなりに残っていたので、彼も同じ苦を味わうことになるだろう。
それから五、六分ほど続いた雑談は、十五時になるのとほぼ同じ頃に切り上げられた。
「あ、大変。もうこんな時間」
洗濯物とお夕飯と……などと呟きながら、ジョゼフは慌てたように席を立つ。そうして、深く頭を下げた。
「ありがとう、テオくん。会えて嬉しかった。そちらのキミも、ありがとう」
ジョゼフの言葉に、シリルは軽く会釈を返す。
「……もう会うこたァねェよ」
本当に、もう二度と会うことは無いだろうな、と確信した。
なにしろ自分達は、斥候でニューヨークに来ている身だ。仕事が終わればロサンゼルスに戻るし、フィンレーがジョゼフのためにニューヨークに通うとは考えにくい。
「そっかあ。寂しいね」
「今いるガキ共を大事にしとけ」
「いっつも周りのことばっかり」
ジョゼフは徐に手を持ち上げる。フィンレーは瞳を眇めながら、そっとその手を払った。彼女の挙動から、頭を撫でられることを予測したのだろう。
「俺はガキじゃねェ」
フィンレーの言に、ジョゼフは苦笑を漏らした。
「ごめんなさい、つい。……それじゃあね」
別れの言葉は、あっさりしたものだった。
シリルがここ二年ほどで読んだ本や見たテレビでは、話し足りないとばかりに、たくさん喋ってから別れるというのが常套だった。それに比べると、ジョゼフはあまりにも潔い。
その割に彼女はスッキリしたような顔をしているので、更にシリルは不思議に思う。
会計を済ませようと踵を返したジョゼフに合わせて、淑女然としたロングスカートが控えめに揺れた。春風に吹かれるカーテンのようだとシリルがぼんやり眺めていると、それは
「――ジョゼフ!!」
「あ、――」
靄がかった人型が、音もなくジョゼフの腹を探っている。
「テメェこのッ、……!?」
咄嗟に前蹴りを繰り出したフィンレーが、虚を突かれたように目を見開く。それもそのはず、彼の足は靄の人型をすり抜けて向こう側へ突き出たのだから。体勢を立て直し、続けざまに拳を突き出したが、それも空振った。
ずるり、と。実際に音はしなかったが、視覚的な情報でオノマトペを当てるなら、そんな音が似合う。
腹から腕を抜かれ、ふっとジョゼフの膝が折れたところを、すかさずフィンレーが支えた。とめどなく溢れる血が、フィンレーばかりか床までもを赤く汚していく。
「この人は、ちょっと違う」
男とも女ともつかない。高齢とも、若年ともつかない。ただ、理解できる音が耳に入ったかのような、そんな声だった。
「ッに言ってんだクソボケ!」
怒鳴るフィンレーの声に紛れて、パシュッと空気の抜ける音がする。
「……やはりすり抜けますね」
シリルが、いつの間にやらサイレンサー付きの拳銃を抜いている。靄の残像と射線から判断するに、彼は人型の頭部を的確に撃ち抜いたらしい。が、やはり弾丸はすり抜けていたようで、靄は不思議そうに首を傾げただけだった。
そうして靄がシリルを見るような動きをし、それから。
「お前、オレと同じだな」
一人称は『オレ』なのか。人を同じか違うか区別できるのか。瞬時に浮かび上がった疑問を考察する前に、シリルの口から、呆気に取られたような吐息混じりの一音が滑り落ちた。
「は……?」
「シリルッ!」
パシュ、と空気の抜ける――サイレンサー付きの拳銃を発砲した音。それから、シリルの顔に血液が散った。
「……あ、?」
靄が、状況を把握しきれないように首を傾げ、それから肩を押さえた。指だろう隙間から、とうとうと赤い血液が伝う。
そこでシリルは、先ほど己の名を呼んだのは誰だと瞬きを一回。あの声は。
「フィンレーも無事か。よかった」
カウンターから顔を覗かせたアーウィン=ダウエルが、拳銃を構えながら言った。
「どいてろッ!」
テーブルを、シリルの頭上を超えながら、フィンレーが靄の横っ面に蹴りを叩き込む。そう、叩き込めた。吹っ飛んだ靄は、ドガンガシャンと派手な音を立てて椅子やテーブルを巻き込み、転がり、床へ倒れ込む。
「……ようやくピントが合ったぜ、クソッタレ」
吐き捨てたフィンレーが、パキリと首を鳴らした。
ガラガラ、と机や椅子を手で追いやりながら体を起こした靄に、各々追撃をすべく体勢なり拳銃なりを構える。しかし靄は、そんな周囲の様子など気にしていないようで、キョロキョロと辺りを見回すような仕草をした。
その後に、少し考え込むようにうつむいて。それからパッと顔を上げた。
「やっぱり“開け”とこう」
――空白が揺れる。
本来であれば、その感覚を味わうことはないが……今この場の、この一瞬だけ。ここに居る
アーウィンはカウンターの向こう側にいるため、ある程度の衝撃は緩和できるだろう。しかし、シリルとフィンレー周辺は遮蔽物がほとんど無い。テーブルはあまり天板が広いものではなく、背が高めのもの。椅子もそう大きいものではない。ソファー席も存在していたが、ここから対角線上にあり、爆発前の移動は難しいだろう。
この間、わずかコンマ二秒。
一番、靄と近い立ち位置にいたフィンレーが、手近なテーブルを足で引き倒し、天板側がシリルの方へ向くように蹴り飛ばした。ガガガ! と耳障りな音を立て、シリルの眼前に小さなバリケードができる。
それから。シリルは、フィンレーがジョゼフの方へ向かうのを見た。声を掛けるには近過ぎて、手を伸ばすには少しだけ遠かった。
「フィン――」
「バカ伏せとけ!」
シリルが名を呼ぼうとすると、怒鳴り声を返される。
瞬間、シリルは珍しく目を見開いた。同時にフィンレーも呆気に取られたような、「どうして」と子どもが親に問いかけるような、そんな顔をした。
「やっぱり、周りのこと、ばっかり」
緊迫した空気にそぐわない、ひどく穏やかな声は、直後の爆発音と熱風、黒煙に巻かれ、塗りつぶされた。
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