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althaea0rosea

「待て。外出許可はどうした?」
「おぇ」

俺がほんの少し目を離した隙に部屋を出て行こうとするセキルを、ぎりぎり扉のところでとっ捕まえた。後ろから羽交い締めにして引きずり戻すのに両腕もいらないが、セキルは閉まりゆく扉を両手で掴んで「うぐぐっ」と抵抗している。
そんなにも必死になってどこへ行こうとしているのか気になるが、話を聞くためにもまずは優しくセキルの手を剥がして無理やり扉を閉めた。残念、力の差は歴然だ。

「や、やだ!はなして、はなして」
「離さない」

じたばた暴れるセキルを数秒強く押さえつければ、すぐに諦めて大人しくなる。物分りがいいのか、俺と勝てないバトルをするのが面倒なのか……たぶんどちらもだ。大人しくなったついでに正面から抱き直し、寝起きで熱いキスをお見舞いした。そうすると、驚いた顔をして仰け反るセキル。だから逃げても無駄だというのに、いつまでもこういう行為に慣れることなく恥ずかしがるのがセキルの可愛いところ。
「ぁ、ぅ……」
「ん……おはよう、セキル」
「おはよ、じゃ、なくて……」
キスの猛攻から逃れようとするセキルの頭を両手でしっかり挟んで、下唇を食み、時折舌を入れながら、じっくりと口内を味わう。しかし、あんまりいじめすぎると後々極端に避けられるようになるから、程々に時間が経過したところで唇を離した。たったこれだけのことで息切れして蕩けた顔をするセキルが愛おしくて、再び顔を近づけたら「も、もういい」と思い切り顔を逸らされた。残念。

「どこへ行くつもりだ?」
「……寝てると思ったのに」
「横になっていただけだ」
「だまされた……」

赤く染まった顔を見られたくないのか俺の胸板に顔を埋めてぐりぐりと押し付けてくる。こちらはもう完全に手を離しているのに、今度はセキルの方が俺を離さずいつまで経っても抱きついたまま。捕獲大成功。これしきのことは容易い。
さっきだって、俺が寝転がってゆっくりしていた背後から小声で「いってきまーす……」という声が聞こえたから目を開けたのだ。俺が寝ている隙にと思うくらいなら律儀に挨拶などして行かなければよかったのに。セキルは昔から詰めが甘い、そういうところも愛おしい。

「で、どこへ行きたい?」
「おさんぽ……」
「新たな護衛任務か。仕方がないな」
「うにくんはお留守番……」
「そういうわけにもいかない」

このロドスで俺たちがわざわざ同じ部屋を割り当ててもらった訳を、自覚していないはずがないだろうに。それなのに、お前という災害がたった一人で外を出歩くことへの危機感が欠片も感じられない。

「べつに、私一人でも大丈夫なのに」
「これまでにセキルを一人にして大丈夫だったことがあったか?」
「もう子供じゃないもん」
「お前を子供扱いしてるわけじゃない」
「あんまり一緒にいたら他のみんなが勘違いしちゃうでしょ」
「何を勘違いするんだ?」
「えーっと、だからー」

セキルは言い訳を探すように明後日の方向に目を逸らした。変な顔をするな。さあ、一体どんな素晴らしい言い訳を聞かせてくれるのだろうかと、楽しみに微笑みかける俺。まあ何を言われても一人での外出は却下だが。
すると、セキルは途中でイベリアの海より深いため息をついてようやく俺のそばから離れた。

「もうめんどくさい。ねる」
「そうか?」
「そんなに一緒にいたいなら一緒に寝てあげてもいいよ」

つまり、一緒に寝たいと言っているようだ。仕方がないやつだ。今更ながらドアの施錠を確認し、玄関付近の照明を消す俺を、セキルは待ちきれないとでも言うようにベッドのところまで引っ張ってくると、その小さな体で出せる全力で俺を押し倒した。
続けて「よいしょ、よいしょ」と自分もベッドに乗りあがってくると、すぐにまた俺のところまでやってきて隣に寝転がった。この一連の流れは昔からずっと変わらない。俺がセキルに触れられるようになったあの日から、ずっと。



セキルは人よりも睡眠時間が極端に長いとはいえ、眠らない時もある。ということに、もう少し早く気づくべきだったのに、この頃ドクターや偵察隊の護衛任務が立て続けに舞い込んできたおかげで疲れが溜まっていたようで、見事に深い眠りについてしまったらしい。
目を開けた時、俺は一人でベッドを占領していて、隣にあったはずの温もりはすっかり冷めてしまっていた。あいつ、まさか。俺も寝起きがいい訳ではないが、いるはずのセキルがいない状況なんて肝が冷えるに決まっている。飛び起きて上着を羽織り、すぐに部屋を出た。

セキルは鉱石病だ。推測では感染したのは俺と出会う前……つまり随分と昔のことだが、幾度も年数を重ねた今になっても自覚症状がほとんど無く、検査結果は常に感染したばかりの人のような超軽度の数値を示している。
なんてったってセキルが鉱石病であることは、ロドスに来るまで本人も知らなかった。もちろん俺もだ。当時は心底驚いた。驚くしかなかったからな。鉱石病は感染した瞬間から体を蝕んでいく恐ろしい病であるはずが、どう考えても感染歴と釣り合わないセキルの健康ぶりに、ロドスの研究者もそれはそれは困惑したようだ。
同時に、希望も見出した。セキルの体には何か鉱石病の進行を遅らせる秘密があるはずだと。今ではおおよそ結論が出たものの、その研究は難航を極めた。セキルの体には厄介な制約が付きまとっているから。


自室以外でセキルがよくたむろする場所といえば……食堂が70%、医療部と研究室がそれぞれ10%、残りはだいたい休憩室だが、応接室やら訓練場やら思わぬところにいる時もあることを考慮に入れなければならない。
何かしらトラブルを起こしていないといいんだが、過去にロドスの備品を幾度となく破壊してきたあいつのことだ、絶対に何かやっているに違いない。事態を悪化させないためにも、早くあいつを探さなければ。まあ詳細が分かっている医療部の者が先に見つけていればまだマシではあるが……周囲にそれらしき気配がないか気にしながら、廊下を足早に歩いていたところ。

前方から見覚えのあるような無いような……記憶が定かでは無いが、おそらくはロドスのオペレーターの一人であろう人物が廊下の向こうから歩いてくるのが見えた。そういや最近ロドスに加入した男が、あんな風貌のキャプリニーだったような。
艦内を堂々と歩いているから
実際そいつがオペレーターかどうかなんてどうでもよかった。その人物がセキルを抱きかかえている、という情報以外は取るに足らないことだ。
俺は小走りで

「よかった、ちょうどそいつを探していたところだ」
「貴殿は……この娘の知り合いか?」
「そうだ」

両腕を出してセキルを受け取る。心配した俺とは裏腹に、こいつは気持ちよさそうにすやすやと寝息を立てていた。仕方がないやつだ。

「ところで、怪我はないか?」
「ん?私か?それはどちらかと言えばこの娘に対する言葉ではないのか?何故私に訊ねる」
「何も無かったならいい」
「ふむ。よく分からないが、見つけた時の状況を話しておこう。貴殿に巡り会わなくとも、私はもともと医療部に送り届けるつもりだったのだ」
「いや、いい。大方予想はつく。こういうことは今回が初めてではないからな」



「セキルは重度の睡眠障害だ。いつどこで意識を失うか分からない。本来は俺がずっとそばにいるべきなんだが、そういうわけにもいかないだろう」
「それはまた、難儀な病だな」
「今度こいつが変な場所で寝ているのを見かけたら、俺か医療部の者に知らせてくれたらそれでいい。今日のことは礼を言うが、くれぐれも安易に触ろうとするな」


「セキルは何か言っていたか?」
「……何か、とは?」
「何もないならそれでいい」


「私が聞いたのは、この者が生きているかどうか確認した時の鼓動の音くらいだ」
「そうか」

助けてくれたのだ、そのためにセキルの胸に耳を近づけたか押し当てたかなどは批難するに値しないが、心臓の音を確認するためにそのような原始的な方法をとるとは、医学にはあまり造詣がない方なのだろうか。この男がセキルの防護服の腕をまくって脈を測るようなことがなくてよかった。








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