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𝕻𝕬𝕴𝕽
-pair-



「…………はぁ、はぁ、っ、ぁ」
豪快に脚で蹴り倒されたドアから、ひとりの鬼が姿を現しました。緑色の髪をたなびかせ、赤色の瞳をギラつかせ、嫌なくらいに見慣れた黒色の制服を纏ったその鬼は、自分で床に倒したドアをカーペットのように踏みつけ、小屋の中に入ってくると、私が隠れていたクローゼットの前まで一直線にやって来て、迷いなく戸をこじ開けました。勢いのあまり金具ごと外れてしまった、そのボロボロの木の扉を鬱陶しそうに背後に放り投げると、中に掛けられていた古い衣服も引きちぎるようして同様に床に捨て、奥で痙攣するほど震え縮こまる私に躊躇なく距離を詰めました。
「…………」
ポケットに手を入れたまま膝を折り曲げ、顔を近づけ、じっとこちらを見下ろしています。

「っ……は、はぁっ、……、はぁ……」
なんとか乗り過ごせないものかとクローゼットに隠れたところで、それはあまり意味を成しませんでした。それで本当に隠れていたつもりなのかと思うほどの大きな呼吸音が、私の所在地をこれでもかと主張していたからです。
それだけではなく、おそらくは小屋の外にまで漂っていた私の“匂い”は、鬼にとっては強烈なまでに誘われてしまう撒き餌のような役割を果たしていたはず。知識としては分かっていても、反応が始まってからこんなにも早く見つかってしまうだなんて……ここまで必死になって逃げ出してきたのはなんの意味があったのか。
しかも、一番最初に現れたのが“国の者”だとは思いもしません。運が悪すぎます。荒い呼吸が、ますます酷くなっていく。
「人間が、こないなところで何しとる」
追っ手が、来た。その正体は、考えるまでもなくこのパルデアという国を統治し支配する、鬼たちの仲間。顔は見たことがないけれど、少し前まで私が囚われていた場所にいた者たちと同じ装備に身を包んでいるから、それで間違いありません。
国の鬼は鬼の中でも桁違いに身体能力が高く、本来下位種族である人間の貧弱な力ではとても対抗できる術はない。とてつもない絶望感に襲われて、逃げなければ、逃げなければ、捕まって、死んでしまう、と心の中で焦燥感に駆られるけれど、かといって今の私はそれどころではなく、むしろただ生きるため、息をするために胸を上下させるので精一杯でした。

これは、この感覚は……発情期がきている。

「……っん、……はぁ、っは、……っ」
「…………」
汗ばみ火照る身体を縮こませて、ただ荒い呼吸を繰り返す私のことを、その鬼は何をするでもなくしばらくの間見つめていました。常夜の月明かりを背後に何も言わずに思考を巡らせているだけで、それはそれは息を呑むほどの美しさを持つ鬼でした。眼力だけで人を殺せそうな冷たい眼をした鬼でした。
実際、その鬼に見つめられた途端に今にも死にそうなくらい強烈な動悸に襲われ、何か恐ろしい呪縛にでもかけられてしまったのではないかと錯覚してしまいましたが、その実、今私の体を襲うこの反応はただ定期的に訪れる生理現象に過ぎません。

『いいですかあ。人間である以上、三月に一度訪れる発情期からは決して逃れられません。そして、その都度正しい処理を行わなければ、あなたはその状態で一定期間、休む間もなく苦しめられることになる……。ですからそうやって隠れていないで、ぼくに従ったほうが身のためですよお……。ほうら、出てきてくださあ〜い……』

……慣れたものだと思っていましたが、それもまた錯覚。これまでの私は、いかに安全なところで守られながら生きていたか、というのを実感させられてしまいました。

その鬼は数刻ほど静かに時を過ごした後、突然何かを思い立ったかのように私の身体を軽々と抱きかかえて、マットレスもない廃材のような朽ちかけた古いベッドに物のように放り投げました。そして、自身が身につけていた武器やら防具やらを次々と床に落としていきます。
「自分……どこのどいつや?」
そう聞きながら、今度はかろうじて私の身体を包んでいたボロ布のような服をビリビリに引き裂いていく。考えるまでもなく、襲われているということを理解しました。いつのまにか、目の前の鬼は私の息遣いにつられるように……その麗しい唇を開け、熱の篭った呼吸をしていました。


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