お巡りさんここですー

althaea0rosea

あーっと。警察って何番やったっけ。

人間、混乱すると頭が働かないもんで、スマホロトムを取り出してから素で三秒くらい考え込んだ。ああ、せやせや、思い出した。すぐに気を取り直し、ピ・ポ・パと番号を打つ。常日頃から厄介事に巻き込まれることはままあるが、実際に警察を呼ぶレベルにまで酷い状況になるのはなかなか無いから手間取ってしまった。
これがもしも一刻を争う事態ならばチリちゃんは今ので死んでいたかもしれない。しかし、今目の前にいる女は「もしもーし。ケーサツですかー?」という分かりやすい“威嚇”にも動じることなく、ただこちらの様子を興味深そうに見つめている。

「…………」
「…………?」

様子が変だ。普通なら警察を呼ぼうとした段階で慌てるなり逃げ出すなり、なんらかのアクションを起こすものだと思うのだが……まあ不審者の行動というものはそもそも理解不能であることが多いからな。
とりあえずいつでも戦闘態勢になれるように、スマホを持つのとは逆の手で相棒が入ったボールを握りしめた。

説明しよう!
帰宅したら、リビングに見知らぬ女がいた。

「いや誰やねん」
「わたし、なまえだよ」
「いやほんまに誰やねん」
「んーと、サキュバスのなまえだよ」
「あ?」

女は律儀にも名を名乗った。ようわからん肩書きを付け加えて。
ちょうどアカデミーを留年せずに順当に卒業した頃合いくらいの年齢だろうか。面接官という仕事柄、人を観察するのには慣れているからおおよそ合っているはず。つまり年齢にして二十歳前後……なんなら同い年くらいかもしれない。まあ細かいことはいい。
女はTシャツに短パンといういかにも部屋着っぽい服を着てソファーに座っていた。我が家のようにくつろいでいながら、初めて来る場所に興味を示すように家の中をきょろきょろと見渡している。るんるんと鼻歌まじりに両足をぶらぶらさせて、緊張感の欠片もない。こちらとは正反対に陽気な様子である。
いや誰ーーーー。キミ今まで会ったことある?チリちゃんが忘れとるだけ?せやったら堪忍してな、チリちゃんかてうっかりさんなとこあるからな、一応聞いてみよっか。そーしよ。

「どっかで会ったっけ?」
「んーん。初めてだよ」
「っすよねぇ……」

おっかしいなぁ。知り合いですらない初対面の人間が、どないしてチリちゃんの家におるんやろ。これでも人並みに用心深い自信はある。だから鍵を無くすようなことも、鍵を開きっぱで家を出ることも、最近はなかったような気がするのだが……どこから入った?そんで何が目的でこの家に入った?
いや、今はどちらかと言えばこれからこの女が何をしようと企んでいるのか、の方が圧倒的に重要か。女は今にも襲いかかってくるような挙動は見せないが、だからこそ、何を考えているのかがイマイチ予想がつかない。

単純に泥棒?それか……ストーカー?
やっぱり真面目に通報するべき?

帰宅してから約一分……入りかけたリビングの扉は未だ半開きの状態。女から最低限距離を置くために外の廊下に突っ立ったまま、右耳に押し当てていた無音のスマホを少し浮かせた。
実のところ、番号は打つだけ打ったが通話開始ボタンの方はまだ押していなかった。女はただそこにいるだけで、何かをしようとする様子がなかったから。今の時点ではまだ危険性などは微塵も感じられない。もちろん、人によっては容赦なく警察を呼ぶ人もいるのだろうが……。
チリちゃんはまだ耐えた。理由はただひとつ。面倒事が嫌いだからだ。

「あんた、何者や」
「だから、なまえだよ」
「名前言われてもしゃあないわ。なんや自分、帰るおうち間違うてるんやないの?」
「わたしのおうちここじゃないよ。もっと遠くのほうにあるの」
「何とぼけとるん?人んち勝手に入っといて。まずどうやって入ったん?」
「そりゃあ魔法の力で、ぱあって」
「……???」

既に話が通じない気配がする。スマホを持つ手に緊張感が走る。
ていうかお気に入りのドオークッション、尻に敷かれとるし……最悪や。入られたことよりも何よりも、それが一番最悪や。

「いや、もう、何しに来たんか知らんけど、この際あんたの素性なんかどうでもええ。今すぐここを出て行きや。したら無かったことにしたるから」
「……イヤ。わたし、おなか空いたもの」
「あ?」

おなかがすいた?思わず顔をしかめた。こいつほんまに何言うとるん。もしかしてやけど、夕飯たかりに来たん?初対面の人間が?チリちゃん家に?いや意味わからん……。
今すぐ出て行けば許してやるという最大の譲歩を蹴ったうえで、それでもなお居座る理由がおなかすいた?度胸がありすぎてもはや感心の域に達した。

よーしよしよし。こーれはね、警察を呼ぼう。こりゃもう話にならん。ここから先はプロの出番や。あんな、チリちゃんはな、仕事の疲れでへとへとなんや。今すぐベッドに倒れ込んで寝たいくらいなんや。せやから不審者さんには早いとこ出て行ってもろて――――

「あっ。もう変装しなくていいんだった」

その時、目の前でぽんっと音をたてながら煙があがった。見ると、女の腰部分からコウモリの翼のようなナニカが生えてきた。さらに、お尻のちょうど真上の部分からも尻尾のようなナニカが生えてきた。は?
状況が飲み込めないチリちゃんを弄ぶかのように、さらによう分からん状況に……。女はゆらゆらうごめく尻尾と翼を見せびらかすように、あざといポーズで決め顔をした。

「どーお?かわいいでしょ❤︎」
「……あ?」

これなに?


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