青空お悩み相談室

althaea0rosea

 最近、ことあるごとに緑髪のひとが視界に映るような。訛りのある声が耳に入ってくるような。おちゃらけた人に絡まれるような。なんとなく、そんなような気がしていたけれど、よく考えてみたらこれ全部ぜーんぶ同じ人だった。
 実は暇なのかな……なんて、本人に言えば怒られそうだから思うだけ。宝探しの最中で毎日が自由時間である私とは正反対に、チリちゃんは立派なはたらく大人のひとなのだ。暇なんてことはありえないのに、それでも毎日あの人を見かけるのはどういうことなんだろう。
 まあ答えはとっても簡単で、私の方がポケモンリーグの周辺に入り浸っているからっていうだけの話。

「こらこらぁ〜。リーグ前でピクニックするやつがどこにおるん!」
「えへへ……チリちゃんさん。おはようございます」
 ねぼすけのポケモンたちが揃いも揃って顔をあげたから、突然の大声にも驚かなかった。ポケットにグローブをはめた手をつっこんで、すたすたと建物の方からこちらに向かってくるのは、パルデア地方が四天王のひとり、その名もチリちゃん。
 実は出会って間もないけれど、見た目にそぐわず人懐っこくてフレンドリーで、なんだか人をまどわすフェロモンみたいなものを発しているみたいに惹き付けられる人で、引っ越してきたばかりの私でもすっかり仲良くなってしまった。
「しかしまぁ、今日は随分なピクニック日和やなぁ。ついつい出てきてしもたわ」
 チリちゃんは敷地内で自前のテーブルを広げる不埒なやからに対して、リーグ関係者らしくやわくお説教しながらも、片付けろと注意するどころか「よっこいせ」と私の隣に腰を下ろした。向かい側に座ればいいのに、テーブルの下で少し狭そうにスタイルのいい脚を組んで、いい天気やなぁとか、ひなたぼっこええなぁとか、ついさっき私がひとりごとで言ったようなことを言うものだから、ついつい吹き出してしまう。
「そいや、この間ネモがまた新しいポケモン連れて遊びに来たんやけど、あいつ暇なんとちゃうか。ちゃんと毎日寝とるか見たってや。ほんとは一日中見張っとかな、前にバトルのしすぎてぶっ倒れたこともあるんやで。ヤバいよなぁ……」
 なんだかんだチリちゃんは優しいのかゆるいのか、そのまま世間話を始めた。違う地方の言葉遣いなのに、何故か耳に馴染んで簡単に打ち解けてしまうのだ。うんうんと相槌を打ちながら二人で笑い合っていたら、チリちゃんがいきなりずいっと私の顔を覗き込む。
「んで、自分はこないなとこでなにしとん」
「えっと……」
「ん?」
 何だか含みのある笑顔をするから、思わず口をつぐむ。お説教とは言わないまでも、あまり聞かれたくないことを容赦なく尋ねてくるこの感じ、なんか大人ってそういうとこあるよね。若干張り詰めた空気に、どきどきし始める私の心臓。追い討ちをかけるように、「怖がらんで、おねえさんに言うてみい」と微笑みかけてくる。チリちゃん、やっぱりこわいかも。

 今、私の手元にあるジムバッジは全部で8つ。つまりチャンピオンリーグに挑戦する資格はとっくに持ち合わせていたりする。それどころか、ネモを通して一番偉いオモダカさんから直々に声をかけてもらったくらい。もちろんそのことはチリちゃんも知っていて、私が来るのを今か今かと待ちわびているようなのだけれど、しかし私は未だにあのドア一枚をくぐり抜けることができないでいた。
「その、お腹が空いちゃって」
「の割には食べ物が見当たらんな」
「それは、えっと……じゃあ、もう食べ終わったってことにしといてください」
「ふぅん?」
 別に隠すほどのことではない。単純に、緊張してるだけなのだ。
 ポケモンリーグというのは、この地域で最高レベルに強い人と戦う場所。これまでのジム戦とはどうしても意気込みが違ってくる。そんなだから、『やっぱりその辺のトレーナーともう一戦してからにしよう』とか、『やっぱりもうちょっと調子が良い日にしよう』とか、あまり意味のないことばかり考えて、うだうだしてるうちに結局日が暮れてしまう。
 それで今日、ようやく意を決して建物のすぐ近くのところまでやって来たは良いけれど……朝ごはんはしっかり食べてきたのに、直前になって『やっぱりお腹が空いたかも』と嘘の言い訳をして、目的の建物を目と鼻の先に見据えながらテーブルを広げてしまったのである。

 ジムを巡っていた時の勢いはどこへ行ってしまったのやら。このままでは、私のかわいいポケモンたちはポケモンリーグをピクニックしたり美味しいごはんを食べる場所と思い込んでしまうに違いない。そうそう、勝負の結果を気にしてくれているネモからの鬼電もどうにかしなければ。
「自分、なんではよ来んのや。チリちゃん待ちくたびれてもうたで」
「だって、だって……今のわたしじゃたぶん勝てないもん。チリちゃん強そうだし」
「せやなぁ、チリちゃん“強い”もんなぁ」
 にこにこ笑いながら自分のことをゆびさすチリちゃん。さらっと訂正された。
「けど、自分も充分強いやろ。いつもの調子で一発かましたれや! ってチリちゃんかまされる側なんやけど」
「うーん……」
「ポケモンの準備はバッチしやろ? こちとら普段の業務でも忙しいのに、いつまでこうしてピクニックに付き合わなあかんの」
「でも、いつものお仕事より、私とのピクニックの方が楽しいんじゃない?」
「ずるいわ自分。そら否定できん。もうこのままお喋りして過ごしてお昼ご飯にしよか。って、そうやのうて!」
 チリちゃんの流れるようなノリツッコミ好き。
「うまく言えんけど、そんなん一回やってみりゃええねん。ダメならダメでそんときや」
「でも……」
「でもやない!」
「でーもー!」
「駄々っ子も嫌いやないけど」
 なんだか普通じゃいられなくてわーわー騒いでみたら、すぐそこのドアの前に立つリーグスタッフの人が苦笑いをしているのが見えた。なんだか恥ずかしくて顔を両手で覆い隠す私。
「なんかね、なんていうか……今までは流れに乗って勢いで来れたけど、『ポケモンリーグ』ってなると、なんだかものすごく遠い場所に感じるの」
「すぐそこやん」
「距離の問題じゃないです」
「せやかて、すぐそこやん」
「……」
 そういうことじゃないって言ってるのにぃ。
ぷっくり頬を膨らませてキッと睨みつけると、チリちゃんは「かわいいわぁ」とにこにこ笑いながら、両手のひらでそれをきゅっと優しく挟み込んだ。ついでに頬をつままれた。
「ていうか!」
 そして突然テンションを上げて、ガシッと私の肩にしがみついてくる。なになに。
「どっちにしたって全然遠くなんかないわ。チリちゃんはこぉんなに近くにおるやんか!」
「そ、それは、近すぎですっ」
 チリちゃんの整ったお顔がすぐ目の前まで迫ってくる。
「近すぎなわけあるかい! 距離置いてるのはそっちの方やんか。なあ、勝負してもっと色んな話しようや、おねえさんは、もっともっと自分のこと知りたいわ……」
 このひと、おちゃらけたようでいて、急に真剣な顔をするから困る。まっすぐな瞳に目を奪われてしまった。チリちゃんは本当にかっこいいなぁ。近いけど。
 それにしても、チャンピオンロードに挑む人の中でリーグに到達できる人はひと握り……とはいえ決して少ないわけではない。それなのに、チリちゃんはどうして私みたいなぽっと出の子どもにこんなに良くしてくれるのだろう。……チャンピオンであるネモのお友だちだから? それとも、誰に対してもこんな感じなのかな。
「わたしも、チリちゃんのこともっともっと知りたいな」
 ただ、そう笑いかけた。

 別に全然痛くなかったけど、チリちゃんは掴んだ肩を手のひらでわしゃわしゃと撫でて「ごめんな」と笑った。大丈夫だよとぶんぶん首を横に振ると、今度は頭を撫でてくる。子ども扱いされてる。でもそれが今は居心地がいい。
「ねぇチリちゃんさん、一応聞いておきたいことがあるんだけど。私ね、“そっち”の準備はちゃんとしたいから」
「なんや?」
「私、図鑑埋めるためにおしゃれなボールたくさん買っちゃったから、道ばたのトレーナーさんたくさん倒して、いっぱいおこづかい貯めようと思って」
「ん? おお、それはえらいなあ。そんで?」
 チリちゃんの手をとって、両手で包んで、おねだりするみたいに上目遣いをする私。緊張するからわざと視線を逸らすようにして、首をこてんと傾けた。
「それで、チリちゃんはいくら欲しいの? がんばって用意するから教えてください」
 一瞬間を置いて、目をぱちくりするチリちゃん。
「その発言にはチリちゃんびっくりやで」
「?」
 なんだかびっくりしてるようだけど、今何かびっくりする要素なんてあったかな。今度こそ素で首を傾げる私。
 今のは、もし私が負けたらいくら渡せばいいのかということを聞きたかっただけなんだけど、チリちゃんは突然手を叩いて笑い出した。なっはっは。よくわからない人だ……。
「や、なんでも。せやろな、そういう意味で言うたんやないもんな。ごめんな、悪い大人でさ」
「……?」
 チリちゃんが今何を思ったのか、私のような純粋な子どもには分かるわけもなく……八百長を持ちかけられたのかと一瞬勘違いしてしもたわ、という心の声は聞こえなかった。そんなこと、ありえないのに〜。
「言うとくけど、チリちゃんはお金より断然もっと好きなもんがあんねん」
「へえ。それ、なんですか?」
「チャンピオンになったら教えたる」
「あー。言うと思った」
 いい口実ができたと言わんばかりに不敵に笑うチリちゃんは、とても楽しそうに、かつ私を元気付けるかのようにウィンクをした。やっぱりかっこいいなぁ。
「つい長話してもうた。さあ撤収撤収! お偉いさんが出てくる前に退散せな」
 チリちゃんがそれを狙っていたのかは分からないけど、色々と話しているうちに緊張なんてものはどこかに消え去って、なんだかんだ今ならいける気がしてきた。私の中の緊張は、そんなものだったのか。それとも、チリちゃんが偉大すぎるだけなのかな?
「そんじゃあな。結局は自分のタイミングが一番大事なんやから、今日言うたことはあんま気にせんといてな」
 片付けを終え、なんだか良いことを言いながら建物の方へ帰ろうとするチリちゃん。……の後をこっそりトコトコ着いていく私。このまま一緒に入っちゃえば何も怖くないや。ついでに目の前の堂々とした足取りを真似をして、同じようにポケットに手を入れようとしたら、振り返ったチリちゃんとバッチリ目があった。
「えへへ……」
 今から一緒に中に入ってもいいですか? あえてなのか、何も言わずににっこり微笑むチリちゃん。その場でもじもじしていたら、「手ぇ出し」とさりげなく手を取られた。大人のおねえさんと手繋いじゃった。
「会場までエスコートしよか。レディファーストや」
 そんなこと言っちゃって。自分の方がレディなのにね。


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