低木の枝に止まった緑の小鳥が番同士で毛づくろいをしている。
チュンチチチと鳴き交わし、片割れがパタタと音をたててどこかへ羽ばたいたっきり、戻ってこなくなっても。
残されたもう一羽は、辛抱強く待ち続ける。
「どなたかと、待ち合わせですか」
法衣を着た僧侶が厳かな声で尋ねた。
石畳に映る影は首を振った。かすかに線香の鼻が詰まるような匂いがした。
「手を合わせて送ってあげてください。そうすれば、あの世でもう少しばかり楽になるでしょう」
僧侶はお経をぶつぶつ唱え始めた。
影は、じっとそこで待っている。待っている。誰かを。いつまでも。誰かが来るまで。誰かが、ここから動いていいと許すまで。
誰を、待っている?
影はない顔をあげて、墓標をみた。
墓標には、名前がなかった。はじめから、そこに何もなかったかのように。綺麗なねずみ色の石肌がぴかぴかと光っている。
夢をみた。
ぐっすりと眠れる快眠男児の真島にしては、珍しいことだった。
夜泣きに付き合ってくたびれた妻がメソメソとブルーな泣き言をつぶやき始めて、ようやく目が覚めるほどの眠りの深さである。
「吾朗さんを起こしたいわけじゃないの」
お仕事だってあるし。
それに、やれないわけじゃない。数時間の睡眠生活で生き延びてこられたのだから、きっとできる。
これは妻の過剰な過信だ。極限状態で成し遂げたことを基準に育児を乗り切るのは危険だと。そう言えば、「二二時以降の喧嘩は禁止」と口をとがらせながら言った。
夜が長い職業柄、やんごとなき理由によって必要暴力もある。
暴力行使は不可避だと進言すれば、「じゃあ、他の部屋で寝るからね」と言う始末。こういってはなんだが、ぐっすり快眠の大部分を占めるのは妻のぬくもりである。えも言われぬ良い匂いがする。赤ん坊のミルクくささとはまた異なる、陽なたの匂い。それを嗅ぐと、ああ今日も幸せだと思えるのだ。
「早く帰ってこられないなら、早く起きてね。そして、私を眠らせて」
語気が強く、はっきりとした決定だった。
その瞬間、多くのほかの子持ちの男親が、『女は変わる』と口々にいっていたことを思い出した。それをそのまま妻に伝えてしまった愚か者は、『あたしが変わったんじゃない。お前が変わっていないだけだ』と目を釣り上げた。多くの男は、自ら恐妻の育つ種を蒔いてしまうのだ。迂闊にも。
しかしどうしたって、赤ん坊がぐずり始めても男は鈍い反応を示す。
妻もそれを変えろと言っているわけではない。ただ、早朝にいつもより少し早く起きて、世話をしろと言っているだけなのだ。そして、ぽそっと小さな声で漏らすのだ。
「……私が元気になると、お楽しみがふえるよ?」
刺激的で、小悪魔的な誘い文句だった。