第二皇子と奨学生G






 ノエルがノーサンブリエ寮の外の前庭に降りると傾いた夕日が長細い影が道に落ちた。温い風が吹き揺さぶられた白薔薇のいくつかの花がはらはらと舞った。その影に交わる影があった。後ろで束ねられた柔らかな栗色の長い髪。清涼なライトブルーの瞳。長身で細身の容姿から知的な印象を人に与える中性的な――優美に微笑むと一見女性とも見紛うほどの美貌に息を呑んだ。そして滑らかな声色が耳朶を打った。
 「君だな? うちの勧誘をことごとく蹴ってるって噂の生徒は」
 「あなたは?」
 「俺はカノン・マルディーニ。ご覧の通りノーサンブリエ寮の生徒。四年生。……あの監督生が手を焼いているのは少々おもしろいな」
 「私に何か用ですか」
 「ちょっとお話しよう。裏庭を紹介する。綺麗だから見ていって。きっと気に入ると思う」
 さあ、と手を伸ばし裏庭へと案内される。彼の言うようによく手入れされた左右対称の比率を考慮し設計された庭には品種こそ違えど白を基調にした薔薇が咲いている。
 ――この寮は薔薇が好きなんだ。
 ぼんやりと当たり障りのない感想を抱くとカノン・マルディーニは先を歩きながら口を開いた。
 「感心したよ。今朝の君に」
 「感心?」
 「寮長の教官や理事長も丸め込める、あの貼り付けたような笑顔のヘッドの監督生に楯突く人なんていないだろ? だから」
 知的な瞳がノエルを気にかけている。これは同情のつもりだろうか。
 「どいつこいつも言いたいことも言えないなんて、規律のダブルスタンダードだっつーの」
 「……殿下はすべての学徒に批判する権利がある≠ニ仰っていましたよ。……規律のダブルスタンダード? 王様が自分で言うなって?」
 「……君、変わってるって言われない?」
 「私には貴方の方がそのように見えますが。それに私にそれを教えてくれる人がいないのは……おわかりでしょう」
 ノエルは両腕を開いて肩を竦めた。
 「知ってる。それも聴いてた、一限の授業が同じだったから。ラテン語の……口頭試問。良かったよ」
 「もう慣れっこですよ。どこの授業出ても最初の十分間はお題付きトーク。初回だけじゃ済まず常態化しています」
 カノンは目を細めに気品ある微笑を向ける。その仕草が第二皇子に少し似ていた。時折、口調にガサツさが混ざるのに仕草は貴族らしい優美さが宿っているから不思議な気持ちになった。
 「修辞学では大衆を惹きつけるための演説、オペラハウスかと思った。政治思想史でマキャヴェリの解釈対立で教授を大笑いさせた。個人的にすげー気に食わない奴だったから見ていて清々した」
 「あはは。鼓膜が破れませんでしたか?」
 カノン・マルディーニは二つある美しい空の丸い色彩をノエルに見せて驚いた。
 「……話してみると冗談が言えるんだな」
 「そうですか?」
 「あぁ。……でも一番驚いたのは化学と生物学。ラーナー教授が文字通り裸足で逃げ出して……っくく……。ルドンに至っては噴火=I バンッってね。あーほんっとうに清々したよ。アイツに何度ボコられたことか……思わずガッツポーズした」 
 「お楽しみいただけてなによりです」
 カノン・マルディーニは本当に心からそう思っているのか短く「感謝してる」と言った。
 「君なら、こんな蜂の巣に来なくっても飛び級できるのに」
 ノエルは苦笑いをこぼした。
 ――実年齢はあなた達より歳上だから出来て当然です。
 という言葉を胸の中に収めた。カノンはニコニコと景気よく笑い、唐突な質問をぶつける。
 「君は、殿下のこと好きなの?」
 「あ?」
 ――はぁ?
 それまで有頂天だったはずの気分が一気に墜落し急激に頭痛が蘇り眉間をぎゅっと押さえた。それと同時に今朝の頬へ与えられた感触さえも蘇り先ほど味わった濃厚なバターの香りが吐き気を連れてこようとしている。
 「……なにか勘違いをされていると思います、マルディーニ伯爵。今朝のことでしたらあれは殿下の一方的な……戯れ? まぁお年頃ですしやんちゃしたいんでしょう」
 「あの――どうて……いや、あの方がそんなことをなさるとはとても思えない」
 カノン・マルディーニは発言をバッサリと切り捨てた。
 ――それは確かにそうだ。今のはお茶を濁そうとしただけで……。
 「……策士による策略ですよ。殿下は……自分がどう周囲に思われるかも込みでお考えになる。他者の心象を操作して結果を求められる……でしょう?」
 「……君のそういうところが、殿下のことが好きなんじゃないかって思ったんだ」
 「いや、だから……」
 話が平行線をたどると思いノエルは閉口した。カノン・マルディーニはなぜこの問いを投げかけるのか。彼は何を納得したいのだろう。質問の意図を考え巡らせたが、たった今出会ったばかりの相手に洞察が働くわけがなかった。
 「仮に私が殿下を好きでいたとしたら、どうなんです?」
 「どう――? そうだな、おもしろいと思う。俺は貴方がた二人が参加する授業に同席して、同学年で最も目立つ存在が最近になって何を考えているのかわかってきた。鏡みたいだ」
 ――……鏡……? 
 「似ているってことですか? あの人と、私が?」
 ――それは心外だ。ひどく。
 「少し違う。君が動くと、彼も動く。活性化するってこと」
 「刺激的?」
 「そう、刺激的」
 ――……それはちょっと困る。あの人にはあまり働かないで欲しいのだけれど。
 それにしてもカノン・マルディーニの指摘は鋭く、その言葉の品質は一級品であると感じる。それだけで彼も聡明であるのだろうと知れた。時折言葉尻が気になるが他生徒に比べれば友好的な態度に口が滑らかになった。
 「ありがとうございます。マルディーニ君。参考になりました。非常に」
 「カノンでいい」
 「……まだ出会ったばかりですよ? それに、私には敵が多い」
 「君は知らないだろうけど、俺も結構アナーキスト」
 過激なワードが胸を擽った。ノエルは破顔し美しい少年を見据える。
 「アナーキスト? ふふふ……本当に?」
 「ふふ。仲良くしたいと思ってた。ずっと」
 カノン・マルディーニ――カノンが手を差し伸べる。ノエルは骨ばった手でその手を握った。
 

 ノエル・アストリアスとカノン・マルディーニが初対面の握手を交わした時、ちょうど二人の様子を眺める姿がノーサンブリエ寮の三階、大会議室にあった。
 大きな窓からは白に統一された潔癖な庭園を臨め、崇高な中央寮の誇りの一つ。その最中で優れた容姿を持つ少年が二人、微笑ましく談笑を交わしている。
 「殿下、採決が完了しました。審議に移りたいのですが……」
 「ああ……ちょっと待って。もう少し」
 後ろで評議が行われているが珍しく関心が窓の外に向いていた。
 シュナイゼルの視線は二人のうちの片割れ、ノエル・アストリアスに釘付けだった。彼はいつも緊張した表情を湛え、対応もそっけなく遠慮がある。それがつい先程、急に吹っ切れた様子で代表室を出ていったばかりだ。今見下ろすノエルの表情は輝いていて、カノンとは挨拶程度にしては長い話をとめどなく続けている。

 ――『ええ。……おもしろいことを思いついたんです』
 ――『そのうち貴方にもわかりますよ』
 
 シュナイゼルはその細く長い指を胸元の緑のリボンに絡ませた。
 心底愉快な、政治的な思惑などを一切感じさせないそのままの笑み。
 シュナイゼルの短い人生の中で彷彿とさせるのは八ヶ月ほどしか関わることのなかった少女。婚約者――ティラナ・ヴァル・カストリア。編み込まれた長く濃いブルネットの髪、狼の明るい瞳。高原をくるくると活発に走り回る健脚。揺れる裾の短い若草色のワンピース。
 ――シュナイゼル……!
 広大な金色の迫る麓。差し伸ばされる白く柔らかい手。弾むソプラノ。
 ――もっとみせてあげる。このうつくしい国。わたくしの国を。
 晴れた霧のが鼻先を濡らす感触。鱗粉のように吹きこぼれる光、ちりちりと漲り弾ける情熱。午睡の一筋の光明。頂に挿す祝福の王冠。
 追いかければ軽快に遠ざかり、気まぐれに戻って来る淡い熱。もっとも感覚的でほろ苦い感傷。風のヴェールが少女を隠してしまう前に。
 「……っ!」
 ノエル・アストリアスの言葉はそれまで起こり得なかった記憶のコラージュを構成し、一瞬シュナイゼルを揺さぶった。彼にしては珍しく分類不可能な形容し難い感覚がやけに胸に纏わりつく。あいまいに千切れてしまいそうなか細い銀糸の中に囚われていく不思議な――。異常な出来事のはずなのに妙に落ち着いている。夢想的なヴィジョンと真逆な性質を持つ自身に起きたこれをどう説明すればいいか、誰に釈明するわけでもないのに困った。
 ――彼女が望んだ。彼女は私の中の熱となり、私は彼女の盃となった。
 同様の期待をアストリアスに懸けていることに気づいた。
 ぽっかりと空いた内側の、器の、肉体でしかない己を満たすものを求めている。彼は宣言した。私を満たしてくれそうだと――その予感に唇が綻ぶ。
 シュナイゼルの戻りがあまりに遅いので評議の副議長が呼びにやって来た。
 ガラス張りの窓の下に目をくれると副議長は可笑しそうにした。
 「なにをご覧になって……ああ、こりゃおもしろいや。問題児同士、結託≠ナしょうかね?」
 「――そのようだね」
 あっさりと現実に立ち返り、シュナイゼルは踵を返した。彼にはやるべきことが何時でもどんな時でも揃っていて、彼に着手されるのを待っている。今日も評議会の後には、夏風邪を拗らせ新学期に乗り遅れた異母弟を出迎えてやるための時間が必要だった。 


 すっかり話し込んでしまった二人の別れは鐘楼の鐘の音の知らせだった。
 うろこ雲が伸びる朱色の滲む空が物悲しい。
 「おっと、悪かった。すっかり話に夢中になって。そういえば、さっきケント寮近くの第二図書館に行ってたんだけど……大変なことになるんじゃないか。他寮生がやっかみで徒党を組んで話し込んでた。大事になって退寮処分になるかもしれない。……あの優等生気取りの監督生の言う通りにするのは癪だとは思うけれど、……そうなったら、大人しくノーサンブリエに入るといい。俺が歓迎する」
 「教えてくれてありがとうございます、カノン」
  軽く手を振りノーサンブリエの庭園を小走りで抜ける。「どういたしまして。引き止めて悪かったよ」カノンの声が遠ざかって風に紛れていく。ノーサンブリエ寮からケント寮までは十分の距離だ。
 整然と切り揃えられた前庭の木々。土と砂利の数メートルの間隔のある通路を通り、赤レンガとクリーム色の三階建てのアパートのような構造を持つ建物がケント寮。その門前に既に何人かが乱闘騒ぎを起こしていた。寮長であるレックスが顔面蒼白で事態の収束を図ろうとアワアワしている。もう少しその様子を観察していたかったが、責任転嫁でノーサンブリエに引き渡しの刑にでも処されては厄介だ。これ以上鎮痛剤を増やすわけにはいかない。レックス寮長がノエルの姿を目敏く見つけると叫んだ。
 「おう、アストリアスか! よく帰ってきた。君の問題だ! なんとかしてみろ!」
 ぞろぞろと不良達が先日のノエルよろしく着崩した制服の格好で集まってくる。見知らぬ顔ぶれだった。
 「くっこの……てめーのせいで……!」
 誰かの握り拳がぎゅっと音をたてたのが聞こえた。その時、悲鳴があがった。
 その直後、凄まじい轟音が辺り一帯に響き渡り、ケント寮に続く二十メートルほどの広い道幅を第三世代KMFがランドスピナーの激しい摩擦音とともに突撃してこようとしているではないか。
 徒党を組んだ不良集団数十人。ケント寮学徒が四、五人。レックス寮長とノエルは慌てて道の左右に飛び散り衝突を回避した。
 「ちょっちょっちょ……! アレを誰か止めろ!」
 「アレって……KMF!?」
 「誰だァ! 勝手に大倉庫から動かした奴!」
 KMFは大倉庫群のある学院の最も外れにある科学棟敷地にある場所に格納されている。実践演習以外で弄ることが可能なのは科学研究部・工学研究部の二つのサークルである。ノエルはさっぱり事情に疎いが、今回のこのKMF暴走も実行者の目星はついているみたいだった。
 ケント寮の誰かが声を張った。
 「アスプルンドに決まってるでしょう!」
 レックス寮長が頭を抱えた。
 「またアイツかぁ!? 卒院試験も近づいているから暫く大人しくなったかと思えばこれかァ!? マーシア寮監督生を呼んで来い!」
 「おい、おい! 誰か、ゴットバルトを! ゴットバルトを呼べッ!」
 遥か彼方に走り去ったと思ったKMFは急旋回し再びケント寮前の集団めがけて突進してくる。時速八〇〜一〇〇km。超軽量合金とはいえ七〜八トンの塊が迫ってくる恐怖はさながら戦場に放り出された難民のようだ。
 「うわっ!?」
 飛び込み回転でノエルは二度目の難を逃れた。辺りは砂埃が舞い生徒達の咳き込む声がする。
 レックス寮長は地面に尻をつけながら携帯を取り出した。
 「くそ……代表に連絡を入れる。みんなはその場に待機! ……中央寮、こちらケント寮の寮長レックスだ!」
 ノエルが立ち上がりスラックスについた砂を払っていると、キュルルルル――と高速回転するランドスピナーの音が喧しく迫ってきているのに一同は悲鳴をあげた。KMFに搭乗者がいるのか定かではないが、かなりの悪質行為だ。
 「――おい、アスプルンドは捕まえたかッ!?」
 「マーシア寮、大倉庫、科学・工学棟すべて捜索出してます!」
 「よしッ――しっかり捕まえろ! 中央寮に引き渡さねばならんからなッ!」
 不良の一人が大声をあげた。
 「お、おい――KMFこっちじゃなくて左折したぞ!」
 「なに? おいまずい――あっちは……」
 レックス寮長が言いかけた次の瞬間――第二図書館のある建物と接触したのか地面が震え、耳を覆いたくなるほどの爆音に全員の顔が青くなった。
 「ひっ……」
 ――これは弁償なんてものじゃない。
 ノエルは暴走したKMFの方向に向かって走った。


 一方その頃。
 中央寮・ノーサンブリエ寮の三階大会議室では評議の続きを執り行っていた。
 上座の席で両手を組むシュナイゼルが書類の再確認を行い、左右に座する関係者達の顔を交互に見遣った。
 「……では、この案で進めよう。最終確認をとる。皆、異議はないだろうか。……うん?」
 遠くで響く衝突音。その衝撃からかミシミシと天井が軋み、パラパラと埃が舞って、照明のシャンデリアがプラプラと揺れだした。
 「何か騒がしいな……」
 大窓に飛びかからんとする勢いで生徒の一人が事態を把握した。
 「ん!? おい! 外を見ろ! KMFが……! 第二図書館に突っ込んでる! このままではまたどこかにぶつかって建造物倒壊させるぞ!」
 「誰だこんな――しでかす奴!」
 思い当たった生徒の一人がぼそりと呟いた。
 「……マーシア寮の、ロイドだ!」
 それを耳にしたシュナイゼルは一切合切の感想が過ぎり、また本日あったすべての予定がこれで丸潰れになるのを察知した。
 「くく……はっはっはっ……!」
 突如、声をあげて笑い出したことで生徒達は後退った。最近、監督生の様子がおかしいのは共通認識の至るところだったがついに壊れてしまったのではないかと各自心配が浮かんだ。
 シュナイゼルは手元にあった書類を束にしてまとめ、席を立ち上がった。
 「――やれやれ。皆、評議は次回に持越しだ。日程は後日通知するよ。掲示板の情報を注意するように」
 緩んだリボンタイをきつめに結び直し、大窓に近づく。ケント寮付近の第二図書館は木々が目隠しになっていて判別しづらいが瓦礫が覗いている。
 「殿下! たった今、ケント寮の寮長レックスから通報がありました!」
 「うん。事態は今把握したよ」
 シュナイゼルは大会議室内に揃う生徒を眺め見た。
 「只今よりこの大会議室に緊急対策部を設置する。直ちに全生徒を安全な場所に退避させなさい。君は校内放送を行ってくれ。他の者は取り急ぎ現場状況の確認・把握を。それを緊急対策部へ報告すること。解決策は私が指示を出す。速やかに事態収拾に努めよ。被害状況の確認と原因究明は後回しだ。いいね?」
 『Yes, Your Highness!』
 ノーサンブリエの生徒達が声を揃え了解≠オ各自指示通りに動き出す。
 早速退避命令の校内放送がかかった。屋外にいる生徒がパラパラと南側にある正門前広場へ向かって走っていく。黄昏の茜色が夕闇との駆け引きを始めている。
 「問題児が多すぎるね、ここは」
 シュナイゼルは携帯を取り出し異母弟に繋いだ。
 「やあ。私だ。調子はどうかな――ああ。それはよかったよ。ん? ああ……今学院でおもしろいことが始まってしまってね。到着したら驚くと思うよ。――それでは待っているよ、クロヴィス」
 シュナイゼルは通話を終了し懐中時計を取り出した。
 ――数時間以内に終えなければね。
 そして第二図書館にはクロヴィスのお気に入りの美術書の蔵書が大量にあったのを思い出して、ああ、これは『悲しいこと』だったと思い直した。
 



9
午前四時の異邦人
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