近い人

(※これの続き、忍足視点)




いつも決まった時間の電車に乗り、同じ席に座る女の子がいた。

俺が気付いたばかりの頃はむつかしい顔で本を読んでいた彼女も、いつしか小さく喜怒哀楽を見せるようになった。どんな物語が綴られているのか興味がでたものの、話しかけるほどでもない。素直そうな人柄が透けて見える彼女を微笑ましく思いながら、来る日も来る日も同じような時間をともに過ごした。

今日もいつものように電車に乗り込んで、半ば指定席のようになっている場所へ腰を下ろす。ただひとつ違ったのは、いつもの彼女がいないということ。

(どうしたんやろ、もう発車してまう)

何気ないふうを装って窓硝子ごしにホームを覗いてみても、それらしき姿は見えない。

(なんや、寂しいなぁ)

この三年間、あたり前のようになっていた光景。心配とも不安とも違う、なんとも寂しい気持ちを抱えて、本も読まずにただ流れゆく景色を眺めていた。明日は彼女に会えるだろうか。



……今日はいるだろうか、何気なくそんなことを考えながら電車に乗り込むと、彼女はいつもの座席に座っていた。何故かほっとしたものの、表情にはおくびにも出さない。素直な彼女とは反対に、自分の感情を隠すことが身に染み付いてしまっている。

このままいつもの席に腰を下ろせば通常通りだったのに、なんとなく足を彼女のほうへ進める。それに全く気付いていない様子の彼女へ向けて、静かに声をかけた。

「自分、昨日は休んでたん?」

ちらりと視界に入ったものが気になって、彼女の胸元に目をやる。学校外では外すように言われているのに、彼女は名札を付けたままだった。

(みょうじさん、っていうんか)

続けていくつか言葉を掛けてみても、彼女は黙ったままだ。話しかけたことが迷惑だっただろうかと少しだけ後悔したが、後戻りもできなくてそのまま一方的に話し続ける。

「もしかして、まだ体調悪いん?大丈夫?」

大丈夫、と小さな声がしてほっとした。会話を避けられているのならもう去るべきかとも思ったが、なんとなく彼女が言葉を探しているのを察してそのまま待つ。それほど時間はたっていないはずなのに、とても長い沈黙がふたりを包んでいた気がした。

「忍足くん、私のこと知ってたんだ」

名前を知ったのはつい先ほどだったが、存在は知っていた。俺と同じ、車内で読書を嗜む女の子。

「みょうじさんやろ、三年間同じ電車乗っとったもんなぁ」

泣きそうな声で同意する彼女に、どうしたのかと問いかける。突然話しかけたことで怖がらせてしまったのだろう、俺たちは三年間挨拶すらしたことがなかったのだ。

「今、とても苦しい」

彼女は何かを必死に訴えようとしている。
気の利いた言葉のひとつでも言えたら良かったのに、実際はフィクションのようにうまくいかない。もしかして、と心当たりがないわけではなかったが、今は何も答えられなかった。

「そう。俺は……寂しかったかな」
「え?」
「今日、会えてほっとした」

困惑した彼女を見つめながら途方に暮れる。この状況をどうすればいいのかわからなくて、あたりさわりのない話をすることしかできなかった。

「……今は何読んでるん?オススメとかあったら教えあいっこせん?」
「あ、えっと、」

戸惑いをひとつひとつ飲み込むように、ゆっくりと彼女もこの話に乗ってくれた。この日から過ごし方は少し変わって、俺たちは隣に座りながら話をするようになる。





「忍足くん!忍足くんが貸してくれたこの本、最初から最後までハラハラドキドキして面白かったよ」

幾日かが過ぎて、初めて貸し借りした本を読了した日が被った。それだけでなんとなく驚いて、思わず目を細める。

「こんな恋愛、大人になっても私にはできなさそう」

ふわりと笑う姿が可愛らしいと思った。きっと彼女はこの本のような情熱的で危うい恋愛ではなくて、もっと優しく穏やかな恋愛をするのだろう。

「はは。こんな危険な恋愛、命がいくつあっても足りんわ」
「うーん、それもそうだね」

今にも泣きだしそうだったあの日から、ずっと避けていたことがある。好意を向けられていると微かに感じるが、確信がないことと自分の気持ちが見えないことを理由にうやむやにしていた。このままでは、いつまでたっても答えは出ないような気がする。

「そうや、みょうじさんが貸してくれたこの本もおもろかった」
「本当!?良かった、恋愛ものじゃないからどうかなぁって心配してたの」
「いや、こういうのんも読むで」

彼女が嬉しそうに笑うから、こちらまで嬉しくなる。もっと一緒にいれば、この状況にけりをつけられるだろうか。

「今ちょうど映画やってるんやな、これ」
「うん!観たいけどひとりで行くのは気が引けるから、配信まで気長に待とうかなって」
「……俺でよかったら、一緒に行かん?」
「え!?い、いいの?」
「うん、映画気になるしなぁ」

ありがとう、と笑う彼女に微笑み返す。あと少しで何かがわかるような、そんな予感がした。





待ち合わせ時間より早めに来たのに、彼女は先に待っていた。俺を見つけた瞬間にぱっと顔を輝かせたから、それに釣られて微笑み返す。

「すまん、遅うなって。……その服、自分によう似合っとる」
「そんな、でも嬉しい、ありがとう」
「ん、行こか」

観たい映画の上映時間は予め調べていたが、チケットは窓口で買おうと考えていた。今日はこの映画館の開館記念日らしく、特別料金としてペア割という中学生にはありがたいものがあったし、それに。

「なまえちゃん」
「え!?は、はい」
「今日の俺らは恋人ってことで」

それに、それを聞いたみょうじさんがどう反応するのか確かめたかった。顔を赤らめる彼女を見て、なんとなく嬉しい自分がいる。

「侑士くん、って呼んでくれてええよ?」

軽くふざけると彼女は思ったとおりに慌てていて、笑いが込み上げた。ずっと笑ってばかりの自分を不思議に思ったが、こういうのも悪くない。チケットも無事購入して落ち着いたところで、ふたり分の飲み物を買うことにした。

「飲みもん、何がええ?買って持ってくから先座っといて」

きょろきょろとあたりを見まわしていた彼女は、その言葉を聞くなり不安そうに唇を歪める。潤んだ瞳でこちらを見るものだから、もう少し意地悪を言いたくなった。

「俺おらんかったら寂しい?」

そうじゃなくて、とかなんとか言っていたものの、最後は遠慮がちに希望を言ってくれた。飲み物だけとはいえ、奢ることで自分が大人になれたような気がして少し誇らしい。

「……ありがとう」
「ん。ええ子」

そう言ってまるで洋画の主人公のように彼女の髪を撫でたら、いい香りがしてぐっときた。

エンドロールまで観終わって、人の流れに倣うように映画館を出る。彼女ともっと話をしたくなって、昼食がてら適当な店に入った。

「おもしろかったねー!」
「配役もめっちゃ良かったなぁ、引き込まれたわ」
「特にあの俳優さんのあの台詞!表情と相まってとっても感動した!」

記憶に残ったシーンが被っていたり、感情を揺さぶられた台詞が同じだったり、何かと共通点が多い。それは奇跡ともいえるくらいに素晴らしいことなんじゃないか、とうすうす感じていた。

「ええなぁ、こういう時間」
「うん、すごく楽しい」

穏やかに流れていくふたりの空気には、小説や映画のような華やかさはない。それでも彼女の一挙一動が気になって、からかってはその反応に満足することを繰り返す。きっとこれが、俺の出した答えなのだろう。

「好きやわ」
「え?」
「なまえちゃんのこれからの時間、全部俺にくれん?」
「そんな言い方勘違いしちゃうよ、……侑士くん」
「うん、して」

はっきりと言葉にすることは照れくさくて、曖昧に濁してしまう。せめて帰り際になんとか格好良く伝えられないだろうかと、今までに読んできたラブストーリーを思い返していた。


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