※九話目番外if
※新田が夢主を好きだったらの片想いifなので苦手な方はback/skip
※一年生の担任が明かされていないのでオリキャラで代役



新田新の最近の癒しは同級生のナマエであった。理不尽な担任による授業に耐えられているのも、ナマエがいるからである。
ナマエがいるだけで、そこに花が咲いたように心が落ち着き、風が吹けば、身を挺してでも守りたくなる。

新は自分をそんな気持ちにさせるナマエのことを好きであった。ただ残念なことに彼女には許婿がいて、面倒な事にその許婿──加茂憲紀に彼女と話しているのを見られるだけで不信感を持った目で見られ、場合によっては会話を遮られることもある。

「自分はナマエさんを高専から追い出そうとしていたのになぁ」と、四月頃の憲紀のナマエへの冷たい対応を思って文句を言いたくなるが、一応は尊敬のできる先輩であるので何も言えない。それにナマエの美しさや、心根の優しそうな性格、憲紀への一途なところを思うと、許嫁に近寄る男を警戒するのは理解できる。自分もナマエが許嫁なら家から出したくないくらい過保護になると思う。

そんな二人が今日初めてのデートに行く、と西宮、真依、三輪の三人が話しているのを立ち聞きし、「まだ行ってはらなかったんですか」と驚いた。思えば、将来が約束された二人であるのに、二人がくっついている姿を一度も見たことがなかった。お堅そうな雰囲気の憲紀と、初心そうなナマエを思えばデートすらまだなのは納得だ。

「あの加茂さんが手を繋いだり、キスとかしはるんやろか」

ふと、新は純粋な疑問を口にしてしまっただけなのだが、西宮が腹を抱えて笑い、真依が「は?きしょいこと言わないでよね」と怒り、三輪は頬を赤らめて「きゃー!あの二人がそんなことをー!?」と騒ぐので、まずいことを言ったと反省した。
その上自分も胸の辺りがもやもやして、わざわざ口にしたことを後悔した。
その日中、憲紀とナマエが今頃何をしているのかと気になって仕方がなくなった。



 ◇



夜、新は担任に呼ばれて教職員室まで行くと、自分とナマエが課題で提出したノートを返された。
担任はまた飲んできたのか酒臭く、「ほんまに課題見てくれたんやろか」と内心疑ったが、担任に言われるままにナマエにノートを返しに行くことにした。

部屋の戸を叩いてナマエを呼ぶと、少し時間を置いてでてきた。
ジェラートピケのパーカーとその下に裾の長いワンピースを着たナマエの姿は清楚で可愛らしく、化粧を落としても美しく整った顔は艶やかで色気に溢れていた。

どぎまぎしながら、「夜にすんません。担任からさっき課題のノートを返してもろたんで」と、ナマエへノートを差し出した。

「ありがとうございます」

ナマエは新から両手でノートを受け取ると、胸の前に抱え込む。

「あと、今日授業なかった分明日振替でやるみたいで……」

今日は金曜日であり、普段なら任務、または授業があるはずであったが、一年と三年の担任が任務に出払っていた為に休みになっていたのだ。

「そうなのですか?もしかして、三年生も明日振替で授業があるのでしょうか?」

ナマエが不安げに眉を垂らして聞いてきた。
一年生であるナマエが三年生のことまで聞くのは、恐らく憲紀が任務で呪力を消耗したから心配してのことであろう。

二人のデート中に嵯峨の方で呪霊が発生し、憲紀が派遣されたのを高専の生徒は皆知っていた。何せ、呪霊が熱、或いは炎の術式を操る類で危険が見込まれていたのに、適任だからと出先の加茂家の次代当主が派遣されたのだ。それ程憲紀が高専において実力が認められているということである。既に学生の身でありながら一級術師として活躍する東堂ですら、「別に俺が行ってやったのにな」と愚痴をこぼしつつも、「あのつまんねぇ男ならまぁ大丈夫だろう」と心配しているのか、信頼しているのかわからない複雑な感情を見せるくらい、高専の中では大きなニュースになっていた。

「さぁ、俺は聞いてへんけど……加茂さんは怪我とかは大丈夫なんですか?」

「怪我は赤血操術の為の自傷によるもののみで、呪霊の術式による脱水症状は病院に寄りましたので問題ありませんでしたよ。ただ、呪力の消費が大きかったようでお疲れのようです」

「呪霊の等級は準一級以上、一級の可能性もあると聞いたんやけど、呪霊による外傷は全くなかったんですね。流石ですね」

「そうなのです!憲紀さまは強くて、かっこいいのです!」

ぱっとナマエの顔が華やぎ、大きな瞳がきらきらと輝きを増す。
「いや、かっこいいとまでは言ってへんねんけど」と新は思ったが、憲紀が大好きなナマエらしい、と思えば微笑ましくなった。といっても、ナマエのことが気になる身として、胸の辺りがきゅう、と苦しくなるのは否めない。

そんな折に憲紀が現れたものだから、頃合いだと思って新はその場を後にした。二人が何を話すのか気になるが、想像するだけでも心が疲れそうだ。
新は、はよ寝よ、と部屋に戻り、返された課題のノートの確認と、翌日の授業の予習だけをして床についたが──電気を消して数分したところで担任から電話が入り、「至急ノートを返せ!」と騒ぐものだから、仕方なく起きた。

「ノートってさっき返してもろたもんですか?」

『それ以外に何があんだ?早く返してくれ』

「なんでそんな焦ってはるんですか?」

『くっ……とにかく、いっさい開かずにノート持ってこい。ミョウジの分もだ』

「いや、もう俺開いてもうてます……」

『な、なにもなかったのか?』

「別に何もなかったですよ」

『じゃあ、ミョウジのノート盗んで来い』

「ええ……一体どういうことなんですか?」

『大事な封筒が見つからねーんだよ。見られるとやばいやつで、多分オマエたちどっちかのノートに紛れちまった』

「一体なんの封筒ですか?給与明細とかじゃないですよね?」

『……………………ちげぇよ』

「別に担任がなんぼもろてはるかなんて自分ら気にしませんよ。ゆーても、貸しを作ると思うて今からナマエさんとこ行って来ます」

新は面倒であったが、遊んでばかりいる酒臭い担任がナマエの部屋に忍び込んでまで目当てのものを回収しようとする恐れもあるので、渋々担任からの頼みを承諾し、部屋を出た。

確か一時間程前にナマエは憲紀と話していたが、憲紀が「ナマエと少し話をしたい」と言っていたからもう憲紀はいないだろう、と呑気に考えているうちにナマエの部屋の前にたどり着く。

新が戸を叩こうと手を伸ばしたその瞬間、部屋の中から、ベッドの軋む音と共に、何やら悲鳴のような声が聞こえてきて、心臓が凍り付いた。

まるで全力疾走した時のように心臓が早鐘を打ち、新は「駄目だ」という理性を残しながらも好奇心に流されるようにして、震える手を戸につき、耳を近づけた。

「あぁぁっ、もう、だめっ、ですっ……ぁんっ、はぁぁ、憲紀さまぁっ……!」

──ナマエの高らかな喘ぎ声であった。しかも、憲紀の名を愛おしげに呼んでいる。

「あっ、あっ、憲紀、さまぁっ、もうっ……やぁ、ぁぁぁっ!」

か細くも、激しく、淫らな嬌声が続いたかと思いきや、突然ぴたりと止んだ。

新は暫くその場に凍り付いて動けずにいた。
どっと冷や汗が噴き出し、片頭痛のようにこめかみがずきずきと鋭く痛む。
「あり得へん」と言う言葉が頭の中を埋め尽くし、今しがた聞こえたものを否定しようと「レスリングをしてはるんやな」と思い込もうとしたが、どう考えてもレスリングで出る声色ではない。間違いなく、ナマエと憲紀は男女の交わりをしている。

あの清楚で何も知らなそうなナマエが、あの真面目を絵に描いたような憲紀が──信じられない。

ギシリ、と廊下の向こうで誰かの足音がして、新は我に返った。
ここにいるところを誰にも見られるわけにはいかず、そっとその場を離れ、自分の部屋へ戻った。

ベッドに倒れ込むように転がり、今しがた聞いたものを忘れようとしたが、ナマエの艶やかな嬌声が耳について離れず、思わずナマエが裸で四つん這いになる姿を想像してしまい生理的反応まで催した。

「痛い……」

仕方のないことだし、頭の中で知人の女性の裸や、その人を犯す想像をすることは、男性にとっては何も特別なことではないとはわかってはいるが、罪悪感が凄まじい。

何か他のことを考えようと、家から持ってきた録画機に残っている『オールザッツ漫才』を再生して一旦落ち着くことにした。
もう何十回と観た内容でネタの殆どを覚えていた故か、それとも先程の衝撃が大きすぎた故か、あまりテレビに集中できなかった。悶々とした時間が過ぎていき、他のものを観ようか迷っているところに担任からの電話がスマホに掛かってきた。
催促だろうと思って暫く無視していたが、直接来られても面倒だから仕方なく電話を受けた。

「なんですか……?」

『お、やっとでたか新田ぁ!やっぱ、机の引き出しの奥にあったわ。すまん』

担任はそれだけの言葉を残して、すぐに電話を切った──新の人生で一番負の感情が生まれた瞬間だった。



 ◇



翌日、新は憂鬱な気分で教室に行き、机に置いた腕を枕に顔を伏せていた。昨日は殆ど眠れず、体調が頗る悪い。

普段は虫が入ってくるから、とナマエに気を遣ってあまり窓を開けていなかったが、今日ばかりは全ての窓を開け放っていた。採光の為に大きく取られた窓からは朝の暖かな日差しと、陽気のいい五月の風が初夏の緑の香りを纏って舞い込んでくる。気分は最悪だが、気持ちのいい朝だ。

授業開始の数分前。ガタガタと、立てつけの悪い音を響かせて教室の戸が開かれた。

「新くん、おはようございます。あれ?寝ていますか?」

鈴を振るような澄みきった綺麗な声。離れていても香ってくる甘い匂い──嗚呼、どうやって彼女の美しい顔を見たらいいかわからない。

「先生がいらしてしまいますよー?」

ナマエの気配が一段と近づき、甘い匂いがより濃密になる。優しげに少し潜められた声も艶やかに聞こえて仕方がない。

「新くん、起こすのは可哀想ですが、先生がいらしてしまうので……失礼します」

そっと、二の腕にナマエの手が触れようと瞬間、それを気取った新が顔を上げてナマエの手首を掴んで止めた。
新の手の中に収まるナマエの手首は折れそうな程細く、こんな華奢な女の子が、こんな純粋そうな子が、相手が許婿とはいえ、男に抱かれ、あんな風に喘いでいるという事実に未だに驚きを隠せない。信じたくもない。

「新、くん……?」

動揺したようなナマエの声。顔を直視できないから、一体どんな顔をしているのかはわからないが、可愛らしくクルンと持ち上がった長い睫毛を瞬かせているのだろう。

「あ、すんません……でも、俺もう少し寝たくて……あの先生いつも遅刻しはりますし……」

ナマエの手を離し、再び机に腕を置く。

「いえ……起こしてごめんなさい」

「全然かまへんですよ……じゃあ、おやすみなさい」

「はい。おやすみなさい」

そういうナマエの声は残酷な程優しく、甘ったるく聞こえた。ベッドの上で許婿と話す時は、更に甘い声を出すのだろうか。その声で甘えたことを言うのだろうか。想像するだけで窒息して死にそうだ。

俺って自分が思ってたよりもナマエさんのこと好きやったんや、と新は締め付けられる胸の痛みを冷静に分析する。

顔を窓側に向けるようにして腕の上に片頬を乗せて瞳を閉じる。

初夏の風が窓から吹き込んできて、緑が強く香る。朝の日差しが氷のように冷たくなった身体を温める。

おやすみなさい、おやすみなさい──

その一語を呪詛のように心に繰り返した。



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