六月五日火曜日の朝。京都府立呪術高等専門学校の校門にて、ダークトーンのセーラー服を着た少女──ミョウジナマエが一人、端正な佇まいで峠の道を見下ろしていた。時折手首に巻いた腕時計で時間を確認しては短い息を吐き、時間経過と共に段々と落ち着きがなくなっていく様子である。

幾らかして一台のトラックが急勾配の坂を登ってくるのを認めると、少し驚いたような表情を整った顔立ちに滲ませて、小首を傾げた。

トラックは校門の前で停まると、中から二人の個人配送業の配送員が出てきてナマエを不思議そうに見て会釈をすると、淡々と台車にダンボールやら大きなスタンド花を乗せて開け放たれた校門を潜っていく。

一連の流れをナマエは呆気に取られた様子で見ていたが、遅れて可愛らしい装飾の軽トラが校門の前に到着すると、親しみのある笑みを満面に浮かべて配送員を出迎え、オレンジ色のフレンチマリーゴールドの花束を受け取った。
ナマエは仕事を終えた軽トラが来た道を戻るのを見送ると、表情を曇らせ、急いだ足取りで寮へ戻って行った。



 ◇



「以上ですので、素敵な一日をお過ごし下さい」

配送員が二人揃って、狩衣を模した制服を着た一人の青年──加茂憲紀に頭を下げて寮の一角にある部屋から出ていくと、憲紀はため息をついた。

「こんなもの……」

部屋の隅に積まれたダンボールや、机の上に置かれた冷蔵宅配便を見やり、憎々しげに呟く。

憲紀は本日十八回目の誕生日を迎え、加茂家からそのお祝いとして荷物が届いたわけなのだが、憲紀にとっては邪魔な物でしかなかった。

いつからか憲紀は自分の誕生日があまり好きではなかった。誕生日を迎える度に祝って欲しいと思う人からの祝福はなくて落胆し、願わない相手からご機嫌とりの見え透いた祝儀を与えられて苛立つからだ。これ程無駄に感情を浪費する日があるのだろうか。

例年の如く、憲紀はダンボールの荷物を解く気になれず、スタンド台のフラワーブーケに挟まっている手紙にだけは義務的に目を通した。
今年も手紙の内容が変わりないことに失望し、冷蔵便の白い箱──ホールケーキを手に取ると、部屋を出た。

真っ直ぐ食堂へ繋がる廊下を歩いていると、寮の玄関口からナマエが入ってきて、憲紀に気がつくと手に持っていた何かを背中へ隠す。

「憲紀さま……!お、おはようございます……!」

「おはよう。今何を隠したんだ?」

今朝のナマエは髪をカチューシャ状に編み込んでいていつも以上に可愛らしく見えたが、それよりもナマエが何かを隠したという事実が気になり聞いてみた。

「申し訳ありません。反射的に隠してしまいました……あの、お誕生日おめでとうございます……!」

ナマエは後ろ手に隠していた花束を両手で憲紀へ差し出した。オレンジ色の花は菊に似ているが、一枚一枚の花弁は菊よりも大きくて瑞々しく、今朝摘んできたばかりのように新鮮である。

まさかナマエから花束を贈られるとは思っていなかった憲紀は愛する女性から誕生日を祝って貰える喜びよりも先に驚きを感じ、瞳を大きく見開く。

「今買ってきたのか?」

花弁が朝露に濡れたような瑞々しさから、昨夜のうちに用意したものとは思えずに憲紀は聞いた。

「いえ、事前に注文していたものを先程届けていただきました。ですが、もっと豪華なものにすればよかったですね……配送員さんが大きなスタンドブーケを運んでいるところを見ました。とても立派なものでした」

「あれよりナマエがくれる花束の方がずっと嬉しいよ。ありがとう」

憲紀は片手に荷物を持ち替え、ナマエから花束を受け取った。

誕生日に花を貰って嬉しかったことなど一度もなかったが、今回ばかりは違った。初めてナマエから直接贈り物を貰ったこと、自分の為に手間を掛けて用意してくれたことが嬉しく、朝から配送員の訪問で苛立っていた憲紀の心を溶かしていくようであった。

「そのお荷物はわたしがお持ちいたします」

「いや、大丈夫だよ。このまま食堂へ持っていく」

冷蔵品も花束も嵩張るだけでそれ程重いものでもない。
憲紀は一旦止めていた足を動かし、食堂へ向かう。

「ご一緒します。中身は食べ物なのですか?」

ナマエは憲紀の隣を歩きながら不思議そうに憲紀が抱える白い箱を見つめる。

「ホールケーキだよ。毎年西宮たちに渡している。ナマエはあまり甘いものを食べないがケーキは食べられるのか?」

ナマエが時折ラムネや飴を「糖分補給です」と、摂取しているところを見ることはあったが、積極的に他の菓子類やジュースを飲食する姿を見たことがなかった。

「甘いものは制限しているだけで、本当は大好きです。憲紀さまは召し上がられないのですか?」

「甘いもの以前に、誕生日はあまり好きではないからね。何も特別なことをしたくないからケーキには手をつけない」

「そうなんですね……」

しゅんとナマエは肩を落とし、目線を木目の床に下げる。
何故ナマエが落ち込むのかはわからないが、明らかに自分の発言を受けての反応であると推測した憲紀が「ナマエから受ける特別なら嬉しいが」と補足すると、ナマエは顔を綻ばせた。

「本当ですか?特別に憲紀さまをお祝いしてもよろしいですか?」

「勿論だよ」

「でしたら、今日のご予定をお聞きしてもよろしいでしょうか?」

「いつも通りだ。授業を受けて、訓練をして、任務があればそれに応じる」

「任務がなければ、わたしと過ごす時間を作ってくださいませんか?」

「構わないが、何かしたいことがあるのか?」

「ささやかな贈り物がございます。夜にわたしの部屋に来てくださいますか?」

「花束の他にも用意してくれていたのか?」

「はい。憲紀さまに受け取っていただきたくてご用意しました」

「楽しみにしているよ」

「あまり期待はなさらないください……!気持ちだけのものなので……」

「その気持ちが嬉しいのだが?」

「その気持ちが問題だったり、問題ではなかったり──」

ナマエは自信のなさそうに段々と語気を弱め、最後の方は殆ど聞き取れなくなった。
憲紀は何て言ったのか聞き返そうとしたが、ちょうど食堂に着いたところでケーキを待っていたらしい西宮が高く結い上げた金色の髪を揺らしながら走ってきた為に会話は中断された。

「加茂君、ケーキ、おめでとう!」

西宮の輝く青色の瞳は憲紀本人ではなく、憲紀の持つホールケーキの箱に注がれている。

誕生日という単語をケーキと取り違えているのか、と憲紀は呆れつつ、そのまま西宮にホールケーキの箱を手渡した。

西宮は機嫌良く礼を言うと早速「生クリーム、生クリーム」と、呪詛のように呟きながらテーブルの上にケーキを広げ始めた。

「西宮さんに喜んで貰えてよかったですね」

「別に喜ばせたくて渡したわけではないが、嫌な気はしないのは確かだな」

ケーキに手を付ける気がないとはいえ、捨てるのは憚れる。それを好んで本来あるべき形で処理してくれる者がいるなら助かるというだけだ。

「チッ。フルーツのタルトか。でも、この白イチゴカワイイ〜!」

西宮の言う「白イチゴが可愛い」という概念を憲紀は理解できなかったが、隣にいるナマエも遠目でテーブルの上で開けられたケーキを見て「可愛い」と呟いたので、恐らく女子の間でアレは可愛いという認識なのだろう。

あとから来た真依や三輪もケーキに群がり、女子グループがケーキのことで盛り上がっている横で、憲紀は寮母へ花束を花瓶に差し替えるように頼むと、ナマエと一緒に食事を摂り、あとはいつも通りの生活を送った。

特に任務が入ることもなく半日が過ぎ、夜になるとささやかながらも豪華な夕食が振る舞われ、その小一時間後にはナマエの部屋に招かれていた。

最近のナマエの部屋は白と赤系統で家具やインテリアをまとめていて洋風のシックな内装であったが、今日は特別に装飾をしたのかメタリックカラーのカラフルな風船が壁に貼り付けられ、机やテーブルの上はキャンドルで埋め尽くされていた。
恐らくキャンドルから漂う薔薇の匂いが部屋に充満していて、それ以外の匂いが一切感知できない程に匂う。

「窓を開けないか?火を使っているなら換気をしないと……もう開いていたね」

窓の方を見ると、窓全体を覆うカーテンの端が風で揺れていた。

「窓をもっと開けますか?ですが、声や音が漏れてしまうかもしれません」

ナマエは伏せ目がちに憲紀から視線を外し、耳を赤く染め上げる。

照れているような反応から、歌でも歌ってくれるということだろうか、と憲紀は考えたがどうやら違うらしく、ナマエはスマートフォンから何やらティン・ホイッスルの笛の音色から始まる、歌付きの壮大な曲を流し始めた。

「人は五感のうち、聴覚から忘れてしまうそうです」

ナマエはそう言って近づいてきて、上目で見つめてくる。いつも濡れたように光る瞳は相も変わらず美しく、睫毛は頬に影を落とす程に長く、ナマエの顔立ちの良さを引き立たせている。
ナマエを見るとその華やかな容姿に囚われがちだが、鈴を振るような清らかな声も魅力的だ。

「確かに耳に入ったものをいちいち覚えていられないが、ナマエの声は耳に残りやすいよ」

「でしたら、嬉しいのですが──次に忘れてしまうのは視覚らしいです」

「……一年に一度、それも遠目でしかナマエの姿を見られなかった時はぼんやりとしか覚えられなかった気がする。だが、今は毎日こんなに近くで顔を見ることができている。忘れはしないよ」

意図は読めないが、話しの流れ的に「自分を忘れないで欲しい」という、ナマエからのメッセージだと思い、憲紀は安心させよう優しい言葉を送る。

「わたしも憲紀さまのお顔は忘れません──次に覚えづらいのは触覚らしいです。どこでもお好きなところを触ってください」

ナマエはそっと静かに憲紀の肩に手を伸ばす。

ナマエから積極的に触れられることは滅多にない為に、いつも取り澄ました顔をしている憲紀に動揺の色が浮かぶ。
憲紀は戸惑いつつ、ナマエの細腰に手をやり、体のラインをなぞるように撫でる。服の上から撫でるだけでも、裸のナマエに触れた時の感覚は簡単に手に蘇る。

「ナマエをこの腕に抱いた感触をたまに思い出すことがある。柔く、滑らかで瑞々しく、手に吸いついてくるような──」

「仔細に言語化されるのは恥ずかしいです……あの、次の説明をしてもよろしいですか?」

調子を崩されたようにナマエは早口になり、憲紀を見つめたまま首を傾げる。

「ああ。次はなにかな?味覚か?」

「その通りです。味覚は覚えやすいようです」

ナマエは取り直したようにゆっくりと憲紀に顔を近づけ、瞳を閉じる。
憲紀はそれに合わせるように背を少し屈め、顔を傾けてナマエの唇へ自分のを重ねた。表面を押し付け合うような接合はそこそこに互いの舌を絡め合わせる。

味覚といえば、ナマエの口内はいつも清潔に保たれていて、ミント味や直前まで舐めていたらしい飴玉の味がすることがあるのを思い出した。今日はレモンの甘酸っぱい味がする。

唇の接合を解くと、ナマエは「最後に──」と、頬を紅潮させ、何事もなかったかのような口調で説明を続けようとする。

「臭覚が最も記憶に残りやすいようです」

「確かに外でナマエと似たような匂いを感じると、ナマエを思い出す。だが、今はキャンドルの匂いでナマエの匂いがよくわからないな」

「今日はわたし自身の匂いは感じなくていいのです。この薔薇の匂いを覚えていて欲しいです」

「先程からまるでナマエがいなくなってしまうような口ぶりだが」

「そのようなことはございません。少し待っていてください」

ナマエは憲紀から離れると、勉強机の引き出しから分厚いファイルを持ってきた。
受け取ると、ファイルはアルバムのようでずっしりと重い。中を開けてみると、ナマエと何度か出かけた先の風景の写真や、ナマエにせがまれて一緒に撮った写真、他にも高専の仲間や教師たちの写真が沢山貼り付けてあった。それにいつ撮られたか覚えのない、ナマエと校内の庭園を歩いているところの写真がある。恐らく、西宮が悪戯かなにかで撮ったものだろう。

「大したものではありませんが、憲紀さまとの思い出を記録として残したくて……先輩方のスマートフォンから写真をいただきました。押しつけがましい贈物で申し訳ありません」

「いや……ナマエが私を想って作ってくれたという事実だけで嬉しいよ」

嬉しいのは事実だ。事実だが、今までにない贈物を貰ったことで戸惑っている。憲紀にとって誕生日といえば、無駄に悪感情を刺激される碌な日ではなかった。形だけの品に、形だけの祝言を与えられ、不愉快極まりない。そんな印象しかなかった日に、自分の為にここまで心と労力を注いだ贈物を与えられたことで、感情が大きく揺さぶられているのだ。

その憲紀の反応をナマエは敏感に感じ取ったのか、悲しそうに眉を八の字にする。

「憲紀さまをこのように祝うことを真依さんたちに伝えたら、『重い』とか『怖い』と言われてしまいました。わたしの気持ちは重くて怖いでしょうか……?」

「そんなことはないよ。むしろ、好ましい」

憲紀からすれば真っすぐに自分へ尽してくれる許嫁の気持ちをそんな風には全く感じないどころか、ナマエが自分を想う気持ちよりも、自分がナマエを想う気持ちの方が勝っているとまで考えている。

「本当ですか?でしたら、憲紀さまとの思い出を沢山作ってまた来年の誕生日にアルバムにしたいと思います。それでキャンドルの薔薇の匂いやレモンの味を感じる度に今日という日にわたしと過ごしたことを思い出して欲しいです」

「それと延々と流れ続けているこの曲もだな。聞き覚えがある。何の曲だ?」

「確か『タイタニック』という映画のものらしいです。映画を観たことはないのですが、歌詞がとっても素敵なのです」

タイタニックは言わずと知れた、船が沈没する話の映画だ。恐らくナマエもそのくらいは知っているだろう。

憲紀もその映画を観たことがなかったが、あらすじだけは知っていた。婚約者のいるヒロインがヒーローに心変わりする話だ。──あまりにも縁起が悪い。

「……一緒に思い出に残る曲を探さないか?」

「それは良いお考えですね!憲紀さまの曲の好みを知ることができますし、一緒に探すという行為それ自体が思い出になりそうです!」

「……そうだな」

いずれにせよ、思い出の曲を変えたことと『タイタニック』のテーマ曲が記憶として互いに結びついてしまうだろうが、いつか笑い話にできる日が来るかもしれない。これもまた思い出として記憶しておくのも悪くないだろう。

憲紀はそう前向きに捉えることにして、ソファにナマエと並んで座り、顔を寄せ合って一つのスマートフォンで一緒に思い出に残したい曲を視聴しながら探していく。

「これはどうですか?海外のバースデーソングです」

「歌詞が下品だ。誕生日に使う言葉ではないよ」

「日本語訳が書いていないのに耳だけでわかるのですか……?流石憲紀さまです!」

男心をくすぐるような言葉と共に向けられたナマエの笑顔は眩しい程に輝いていて、目を奪われる。
この瞬間の視覚の記憶が徐々に失われ、いつか消えてしまうと思うと残念でならない。
とすると、アルバムという手段で思い出を視覚情報で記録するのは賢い方法だろう。

愛しさのあまり、手の甲でナマエの頬を撫で、肩にかかる長い髪を背へと払いのける。

「憲紀さま……?」

戸惑うナマエの様子も愛らしく、記憶に残しておきたいという感情が一層強くなる。

「ナマエを動画に残しておきたい。撮っても構わないか?」

愛おしさを込めて、ゆったりとナマエの白い首筋を上下に撫でながら聞く。

「ご、ごめんなさい……!それには応じられないです……ああ、でも憲紀さまになら……いえ、やはりそのような変態行為は……憲紀さま、どうか今の発言を撤回なさってください……!」

急に態度を豹変させ、涙目になるナマエに憲紀は状況が読めずに混乱した。

「待て。何の話だ?」

「動画をお撮りになられたいのですよね……?」

ナマエは両手で胸元を隠す仕草をする。
憲紀はそれで漸く状況がわかった。自分が紛らわしい態度で聞いた為にナマエが勘違いしたのだろう。

「いや、違う。そういう意味ではない。ただ今日のナマエを思い出に残したかっただけなのだが……」

「そう、でしたか……とっても驚きました。心臓が凄いことになっております」

「驚いたのはこっちだよ。まさか私がそのような行為をする男に見えたのか?」

「そのようなことはないのですが、先程の雰囲気がなんだか妖艶に思えてしまいまして……わたしの勘違いです……とても恥ずかしいです……」

「恥ずかしいのもこっちなのだが……」

まるで変態のように扱われたことが憲紀にとっては衝撃的で、ナマエのあまりの引きようには少し傷ついた。
一連の出来事は五感云々関係なく、一生記憶に残る気がする。

だが、これもまたいつか悪くない思い出になるのだろう。
毎年のように悪感情の降り積もる誕生日は、今年は確実に良いもので埋められているのだから。



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