夏の残暑が衰え始め、比較的過ごしやすい気候に落ち着きつつある九月中旬のこと。東京校にて開催される姉妹校交流会の為に京都校の二、三年生と二年生の担任教師である歌姫が出払っていた。

交流会に参加しない一年生のナマエと新はいつも通り授業を受けていたが、やはり交流会のことは気になっていた。

交流会では団体戦と個人戦があり、互いの学校の生徒たちが術師としての力量を競い合うことになっている。相手を殺したり、再起不能の怪我を負わせたりすることは禁止されているとはいえ、やはり多少の怪我はつきものだろう。

「先輩方は大丈夫でしょうか?東京校の方も一年生なのに参加するらしいですし、皆さん怪我をなさらないといいのですが……それに今朝になって今から京都へ行くと仰っている東京校のお友達がいて、開催場所すら生徒に周知していない準備不足さがとても心配です」

正午──ちょうど交流会が始まる時間、お昼の為に新と食堂へ移動しながらナマエは不安を口にする。

「その生徒が抜けているだけの可能性は?」

「しっかりしている印象でしたが……」

「俺も最初はナマエさんの印象はそうでしたけど」

「まぁ!それはどのような意味ですか?」

「いや、たまに抜けていたり世間知らずなところがあるんやな、と……あ、勿論悪口じゃなくて親しみやすいって意味ですよ!ともあれ、もう交流会始まってるみたいですし……向こうには家入さんがいてはるし大丈夫じゃないですかね」

「そうですよね。家入さんがいらっしゃるなら大丈夫ですよね」

ナマエが以前怪我をした時、治療を受けるまでに時間がかかってしまったが、傷痕一つ残すことなく治療してもらえたことを思い出した。呪霊による怪我であれ程の治療をしてもらえるなら、加減のできる術師同士の戦いでの負傷ならもっと簡単に治せるだろう。

ナマエはそう自分に言い聞かせたものの、やはり不安は拭いきれなかった。

そして、その不安は最悪な形で現実となった。午後の授業中、東京校が特級呪霊と呪詛師によって襲撃を受けたとの情報が入ってきたのだ。高専関係者十数名が死亡、生徒たちは無事であるが、何名かが特級呪霊に襲われて怪我を負ったらしい。

当然ナマエも新も驚いて暫く事態を受け入れないでいた。特に新は顔面蒼白で、冷や汗までかいていた。
ナマエも真っ先に憲紀、それから仲間たちのことを想って動揺していたが、新程ではなかった。怪我の程度はわからないというが、致命傷を負った生徒はいなかったという情報があったことを前向きに捉えていたからた。

緊急事態ということで授業は途中で中止になり、絶対に校外へ出るなとの注意を受けて部屋に戻ることになったのだが、憲紀たちの怪我の具合が心配なナマエはその注意に従うつもりはなく、頃合いを見計らって東京へ憲紀たちの様子を見に行く計画を頭の中で組み立てていた。

それとは別にナマエには一つ気になることがあり、一緒に寮へ戻る道中、隣を歩く新にちらと視線をやる。新は心此処にあらずと言った具合でずっと俯き加減に虚空を見つめている。

ナマエは声を掛けない方がいいと判断して黙っていたが、新がナマエに釣られてか、女子部屋のある廊下の方を一緒に曲がるので流石に指摘せずにはいられなかった。

「新くん、大丈夫ですか……?こちらは女子部屋です……」

「……あ、せや……」

新は放心したような様子のまま、くるりと背を向ける。
なんとなく、新が危うい気がしてナマエは「本当に大丈夫ですか?」と新の前に回って声を掛けるが、俯き気味で何か考え込んでいるのか、視線がなかなか合わない。

「大丈夫です……」

そういう新の声や瞼は震えていて、額に汗を滲ませている様子は明らかにおかしい。

「新くん、大丈夫そうではないですよ……わたしも憲紀さまたちが心配です。実は今からこっそり東京へ行こうと思っています。自分の目で皆さんが無事か確かめに行くつもりです。皆さんの怪我の具合を連絡しますのでどうか安心してください」

俯き気味だった新の顔が上がり、漸く視線が合う。悩まし気に伏し目がちだった新の瞳には不安そうな色が見えるが、顔色は心なしか、ほんの少しだけよくなったように見える。

「……実は正確な情報を待つか、東京行くか悩んでたんやけど、俺も行きます」

「わかりました。では、最小限の手荷物を用意しますので十分後に落ち合いましょう」

ナマエは部屋へ戻ると手早く東京へ行く支度を整えた。最小限の手荷物と言ったが、憲紀を見舞う為の荷物で小旅行用のボストンバッグはパンパンに膨れ上がってしまった。



 ◇



ナマエと新は正門を避けた場所から高専を抜け出し、京都駅へ向かった。そこから新幹線へ乗って東京までの移動中、西宮から生徒たちの怪我について情報がナマエと新のスマホに送られた。

西宮によると憲紀と東京校の一年生──伏黒が重傷を負ったが、家入の治療を受けたのでそのうち治るとのことだ。あとはメカ丸の体が壊れたから暫く会えないという。

「正確な怪我の具合が気になりますが……治るのであれば……よかったです……あとはメカ丸さんの体もちゃんと治るかですね……」

「……」

ナマエは少しだけ安心した様子で通路側に座る新に話しかけるが、新の表情は硬いままである。ここにきて漸く、新が心配しているのは仲間たちのことだけではないことにナマエは気がついた。

亡くなったという高専関係者に新の知り合いがいるのか、と気にはなるが、下手に質問をすると新を傷つけると考えたナマエは新から話すのを待つことにしようと黙っていた。

京都から新幹線で約二時間以上かけて東京へ着くと、そこからは電車で移動し、西宮たちが泊まっているという宿泊施設にたどり着いた。高専内にも泊まれる宿舎があるらしいが、東京、京都校間での喧嘩防止の為に高専の近くの宿泊施設に毎年泊まることになっているらしい。

新幹線で西宮とは連絡を取っていた為にすぐに出迎えられ、部屋へと案内された。

「ナマエちゃんたちの部屋は取ってあるから大丈夫。これが部屋のカードキーね。それで……歌姫先生がね、ナマエちゃんたちが高専を抜け出してきたことにすっごく怒ってるから覚悟はしといて」

「それについては申し訳ないとは思いますが……西宮さんは大丈夫ですか?」

「心配してくれてありがとう。私も家入さんの治療は受けたけど怪我は交流会でのものだったから完全に回復したよ」

「それは何よりです。あの、憲紀さまたちに会えないのですか……?」

「今警備が厳しくなってるし家入さんがいないと会えないと思うよ……でも、その家入さんは今亡くなった高専関係者の身元確認で忙しくしてて…… 」

「身元確認……?亡くなったのは高専に待機していた高専関係者とわかっているのでは……?」

「……又聞きだからよくわからないんだけど、特級呪霊が、術師を……その、元の姿が分からない程に体を作り変えることができるらしくて……だから……誰がどの人かって……」

「……っ!」

隣で口を閉ざしていた新が、部屋を飛び出して出て行ってしまった。

「新くん……!」

ナマエは新を呼ぶが、追いかけることまではできなかった。今の新の反応で、ナマエは確信を持ったからだ。──高専関係者に新の大事な人がいるのだろう、と。

「新田君はどうしたの?」

「……恐らく、亡くなった高専関係者の中に知り合いがいるかもしれないようです。本人からは聞いていないので詳しくはわかりませんが」

「そっか……」

「新くんを安心させる為に今から高専へ行って参ります」

「特級呪霊と呪詛師に襲われた後だから警備はかなり厳しくなってると思うけど、制服着てれば大丈夫かな。私も行くよ」

「西宮さんはおつかれでしょうからゆっくり休んでいてください。わたしは一人でも大丈夫です」

「ううん。カワイイ後輩ちゃんたちの為に一肌脱がせてよ」

西宮はナマエに気を遣わせないようにする為か、冗談っぽく片目を閉じて見せたが、やはり声にはどこか疲れが滲んでいた。



 ◇



西宮と東京校へ向かったナマエは真っ先に家入を探したのだが、校内を彷徨いているところを歌姫に見つかり、説教を喰らった。

「ったくもう!この子は本当に無鉄砲なんだから!それで、新田は一緒じゃないの?」

「ホテルの部屋にいます。亡くなった高専関係者に新くんの知り合いがいたもしれないと思うのですが……」

「お姉さんが補助監督をやっているそうよ。私も確認したけど今外で任務中で連絡取れないのよ」

「ということは、お姉さんはご無事なんですね。新くんに早く知らせてあげないといけません」

「それなら、さっき電話で知らせたから大丈夫よ。それでミョウジは加茂に会いに来たのよね?言っておくけど、安静にしなくちゃいけないんだから今日は会わずに帰りなさい」

「ですが──」

「駄目」

「一目だけでも──」

「駄目」

「ご様子を見たいです!」

「駄目ったら駄目よ。ただでさえ、ミョウジと新田が命令を破って高専を抜け出したことが問題になっているんだから、これ以上の勝手は許さないわよ」

「……わかりました。今日はもう帰ります」

「と、見せかけて医務室に行くのは目に見えてるから私がアナタと西宮を連れてホテルに戻るわ。……そんなに可愛くむくれても私には効かないわよ」

怒ったように固く唇を結び、頬を膨らませるナマエを歌姫は慣れたようにあしらう。
結局ナマエは歌姫に連れられてホテルへ戻ることになった。



 ◇



ホテルに戻った後もナマエはどう歌姫の目をかいくぐって憲紀に会いに行くか思案していたが、よくよく考えれば、今回の事件で対処に追われている関係者たちは憔悴しているはずだ。しかも安全であるはずの高専内で仲間を失ったのだ。彼らの精神的疲労は計り知れない。
それなのに、こちらの勝手な感情で高専に忍びこんで迷惑をかける訳にはいかない。思えば、忙しくしていた歌姫には手間をとらせてしまった。西宮も怪我から回復したばかりだというのに動かせてしまった。

歌姫と西宮に謝りに行こう、とナマエは部屋の扉を開けると、新が外に立っていて驚きに肩を跳ねさせた。

「新くん……!」

「び、びっくりした……!」

「驚いたのはこちらですが、どうなされました?」

「いや、その……すみませんでした!」

腰を折り、勢いよく頭を下げる新にナマエは動揺した。新に謝られるようなことをされた覚えがなく、「謝らなくていいですよ。わたしは何もされておりません」と、戸惑うように手の平を新に向けて宙を彷徨わせる。

「俺、補助監督やってる姉が死んだと思って、変な態度取ってたと思います。不快な思いをさせてすみません」

「別に不快ではありませんでしたし、身内が亡くなったかもしれないと思えば仕方のないことです。亡くなった方がいるのでよかったとは言えませんが、新くんのお姉さんが巻き込まれていなくてわたしも安心しました」

「歌姫先生に聞かはったんですね」

「はい。一度お姉さんがいるとは聞いた気がするのですが、補助監督をしていらっしゃるのは初耳で驚きました。東京を拠点に皆さんのサポートをしていらっしゃるのですね」

「そうです。これがまたうるさい姉で……まぁ、そんな姉でも生きていたことがわかって安心したので明日朝一で戻る予定です。先輩方が京都を空けている今、俺の力が必要な人がいると思うので一応待機はしておかないと」

「とても良い心がけです。わたしは明日憲紀さまのご様子をうかがう予定です」

「あ、そういえば、どこかに行くつもりでした?」

「歌姫先生と西宮さんに勝手なことをしたと、謝るつもりでした。新くんも一緒に謝りにいきましょう」

「せやな……ただでさえ忙しい時に俺らのことで気を回させたのは謝らんと」

こうしてナマエと新は先に歌姫の方へ謝りに行ったのだが、余程歌姫からの信頼を得られていなかったのか、歌姫の部屋に入った瞬間、まだ一言も発する前に、「だから、駄目って言ったでしょうが!」と怒られた。



 ◇



翌朝、ナマエは早くに起きて医務室を訪ねようと高専の校舎内を歩いていると、以前五条に"よしお"と呼ばれていた茶髪の少年に偶然出会した。

「ミョウジさん、久し振り!なんでこんなとこいんの?交流会には不参加じゃ……」

少年の左頰に貼られた大きな絆創膏が痛々しいが、表情は明るく元気そうである。
まさか地下室に隠れていたらしい彼が表を歩いていること、昨日の襲撃事件に巻き込まれたかのような怪我を負っていることにナマエは驚き、心配した。

「お久しぶりです。わたしは憲紀さまのご様子をうかがいに参りましたが……お怪我は大丈夫ですか?呪詛師や特級呪霊にやられたのですか?」

「あ、これ?この傷は思い当たる相手が二人いんだけど……ま、どっちにしろへーきへーき。俺の怪我は大したことないよ」

「それなら安心です。あの、触れて良いのかわかりませんが、よしおくんは存在を隠されているのでは……?」

「えっ!?聞いてないの?……あ、てか気まずっ!なんか騙してたみたいで悪いんだけど、いや、騙してたんだけど!俺、虎杖悠仁って言って……実は生きてました!」

「……はい?」

「ホントに騙しててごめん!でも、死んでたのはマジだから許して!えーと、お詫びにその重そうな荷物持つよ!」

虎杖はナマエの手からボストンバッグを取り上げて、軽々と持ち上げた。

「虎杖、悠仁……宿儺の器……!」

呪術界で知らぬ者はいない、伝承でもなんでもない、本当に実在した"呪いの王"の器が、まさか地下室で一緒に映画を観た、あの子供のような無邪気さを持つ少年だったとは思わず、ナマエは混乱しつつも、本能的な恐怖から虎杖と距離を取った。

が、虎杖の表情に戸惑いの色が浮かぶのを、ナマエは無視できなかった。虎杖が術師として非術師を助ける任務で亡くなったこと、実際に会って話した時のあの天真爛漫な笑顔、今目の前にいる虎杖の困ったような顔を見ると、やはり警戒を解かない訳にはいかなかった。

「虎杖くん、失礼な態度を取ってしまい申し訳ありませんでした。鞄を持ってくださりありがとうございます。その、虎杖くんはどうして存在を隠していたのですか?死から復活したのは宿儺の力によるものですか?」

「案外あっさり受け入れてくれた!えーと、話せば長くなるんだけど──」

「ごめんなさい。虎杖くんのことも気になるのですが、長くなるならば早く憲紀さまにお会いしたいので、話しながらでも構わないですか?」

「どうぞどうぞ!憲紀って加茂さんのことだよね!怪我良くなってるといいんだけど」

二人は止めていた脚を動かし、医務室のある建物へと向かう。

「今朝漸く連絡が取れたのですが、お声は元気そうでした。会いに来なくていいと嫌がられてしまったのが気に掛かりますが……」

「俺もこの後伏黒の様子見に行く予定だけど、あいつも『来んな』って言うだろうなって思ってるよ。でもさ、そんなの関係ねぇじゃん?こっちが心配して見にいくだけだし、別にあっちが寂しがってるとか思って見舞うわけじゃないしさ」

「……わたしは寂しく思っていて欲しいです。憲紀さまには常に必要とされたいので」

「おお……なんか彼女いたことない癖に知った風なこと言ってごめん」

「いえ。わたしも後で伏黒くんと野薔薇さんのご様子をうかがいたいので後程会いに参りますとお伝えください」

「わかった。って、伏黒と釘崎とは知り合い?」

「はい。特に野薔薇さんとは連絡を取り合っていて、最近呼び方も変わる程仲良くなりました」

「マジ?なんかイメージわかねぇ……釘崎とミョウジさんかぁ……うーん」

腕を組んで首を捻る虎杖をナマエは不思議そうに見つめ、一番重要な話を中断していたことを思い出す。

「話を戻しますが、虎杖くんはどうして存在を隠されていたのですか?」

「ああ、それは──」

医務室に着くまでの間、虎杖が匿われていた理由や宿儺の力によって死から復活したことの説明を受け、ナマエはそれを興味深く聞いていた。

「虎杖くんも悟さんに随分と守られているのですね」

五条がいなければ、秘匿処刑されていた虎杖。それを五条がいなければ、高専へ入学できなかった自分と重ね合わせてナマエは虎杖に親近感を持った。──処刑と入学拒否には明確な重みの差があるわけだが。

「俺も?と、着いたけど、お邪魔になりそうだから俺は伏黒んとこ行ってくるよ。はい、荷物」

医務室の前で虎杖は明るい笑顔をナマエに向け、ボストンバッグを手渡す。
先日の襲撃事件のことを思わせない朗らかな笑みだが、内心では彼なりに抱えているものがあるのだろう。──なにせ、宿儺の器であり、いつか宿儺ごと屠られることの定められた"呪術師"であるにも関わらず、それを他人に感じさせないのだ。
不幸な境遇にありながら、純真さを思わせる雰囲気を纏う虎杖を、ナマエは不思議に思い、彼の顔を穴の開く程見つめる。

「あのー、俺の顔の怪我がそんなに気になる……?」

虎杖は照れたように右頬をぽりぽりと指先で掻き、ナマエから視線を逸らす。

「すみません。虎杖くんのことが興味深くて、思わず見つめてしまいました。鞄を持ってくださった上にここまで付いてきてくださってありがとうございます。虎杖くんはとても良くできた優しい方ですね」

「ミョウジさんにそんなに褒められると嬉しさより照れが勝つんだけど……まぁ、素直に受け取っておくよ!」

「そういうところも、虎杖くんの良いところなのでしょう。では、伏黒くんと野薔薇さんに後程ご挨拶に伺うとお伝えください」

「うん。ご挨拶ね。任せて!」

笑顔でサムズアップする虎杖へナマエは軽く頭を下げる。

虎杖が踵を返すとナマエは頭を上げ、真っ直ぐに伸びる彼の背を見つめる。

虎杖悠仁──彼の肉体にはもう一つの魂である宿儺が宿っている。恐ろしい魂を有しているはずであるのに彼からはその影すら感じない。それは少し話しただけでも、彼の人柄の良さが伝わってくるからなのだろうか。

ナマエにとって虎杖は、最初は"呪いの王の器"として恐怖の対象、訃報を聞いた時は非術師の為に一度命を失った呪術師として憐れみの対象であったのだが、今は不幸な境遇にも汚れない善良な人間として興味の対象となっていた。



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