交流会三日目の正午。競う種目は中休みとなった先日にくじ引きによって野球と決まり、交流会に参加する面子と監督役の歌姫がそれぞれ更衣室で野球のユニフォームに着替えていた。ナマエも備品の用意やグラウンド整備などをマネージャーとして手伝うこととなり、同じくユニフォームに着替えることになっていた。
ユニフォームは長袖のアンダーウェアに紺色の半袖のシャツ、女子はタイツの上にショートパンツを穿くことになっている。ナマエはプレイヤーではない為、アンダーシャツは着ずに直接ユニフォームを着て、下だけはタイツの上にショートパンツを穿いたが、やはり腿から下の脚のラインが出てしまう。
「ショートパンツなるものを穿くのは初めてです」
「そもそもナマエは選手じゃないんだから生脚でいいんじゃない?」
真依は"呪"と書かれた野球帽を被りつつ、ナマエの脚をちらと見やる。
「いえ、憲紀さま以外に肌はお見せしたくないですから」
ナマエも同じく野球帽を被り、マネージャー仕事の為に急いで更衣室を出た。グラウンドに行くと、京都側のベンチに座るユニフォーム姿の憲紀を見て、ナマエは言葉を失った。
「……憲紀さま、とてもよくお似合いです……とてもとてもかっこいいです……」
憲紀の方へふらふらと近づき、熱くなる頰を両手で押さえ、正直な感想を伝える。
一方の憲紀もナマエの格好が気になるようで、ベンチから立ち上がり、ナマエの半袖から覗く腕やタイツに覆われた脚を点検するように見つめる。
「……短すぎないか?それにアンダーシャツなしでは体が冷える」
「マネージャー仕事で動くと思うのでアンダーシャツはなくても大丈夫ですが、下はわたしも短いと思います……恥ずかしいです」
「いつも脱がせた状態で見ていたから新鮮な気もする。ナマエの見慣れない格好を見るのは好きだが、流石に短過ぎる」
憲紀にさらりと情交を意識してしまうような発言をされ、ナマエは羞恥に燃えるように顔を赤くさせ、内股気味に脚をもじつかせた。
「少しの間倉庫で二人きりになりませんか?」
「流石にそれはまずい」
ナマエは少しでも憲紀と抱き合いたくて提案したのだがあっさりと断られ、仕方なく憲紀との睦み合いは中断してマネージャー仕事に取り掛かることにした。
「とりあえず、東京の子たちに一式渡しておいて」
生き生きと場を仕切る歌姫にスポーツドリンクとタオルの入った籠を渡された。
少人数や怪我をしている生徒のことも考えて試合のルールは"その回で先により高い点数を獲ったチームの勝ち"になっており、あまり試合は長引かないと思っていた為に歌姫の用意の良さに驚いた。
「試合はすぐに終わると思いますが……」
「野球を舐めてるの?延長戦も視野に入れているわ」
瞳を熱く滾らせ、やる気満々の歌姫をナマエは苦笑で受け流し、籠を抱えて東京側のベンチに向かった。
ベンチには二年生の三人──正しくはパンダがいる為に二人と一匹であるが──がいて、遠目からも目立つパンダの存在が気になりつつ、ナマエは柔和な表情で緊張を隠して東京校のベンチに集まる三人組へスポドリとタオルを届けた。
「こんにちは、初めまして。京都校一年のミョウジナマエです。真希さんはお久しぶりですね」
真希の双子の妹である真依から、真希の悪口を何度か聞かされていた為に気まずく思っていたのだが、一応顔見知りではあるので真希への個人的な挨拶は欠かすことはできなかった。
「おう、ナマエか。久し振りだな」
「ツナ」
「ナマエの好きな動物はなんだ?」
「えーと……」
噂に聞いていたとはいえ、謎のおにぎり語を話す呪言師の狗巻棘と、いきなり動物の好みを聞いてくるパンダには流石に戸惑いを隠せなかった。
「オイ、パンダ。ナマエを困らせるなっての」
真希が見兼ねてパンダに裏拳を喰らわせ、モフッと拳がパンダのフサフサの毛の中へ沈む。
ナマエは真希の助け舟をありがたく思ったが、真希の裏拳を受けて肩を縮ませるパンダを見ると、愛護欲が刺激されて敵わなかった。やはりその巨躯が少し怖いと思いつつも、動物の姿形をとられると可愛く思えてしまうのだ。
「いえ、困ってなどいません。動物は皆好きです。パンダも可愛いと思います。上野動物園に行きたくなりました」
パンダといえば上野動物園である浅い知識しかなかったのだが、ナマエの対応は間違っていなかったらしく、パンダは両手を顎の下に持っていきキャピキャピとした愛らしい様子を見せる。
「上野のパンダグッズいっぱい持ってるぞ。いるか?」
「バカ。ナマエの気遣い間に受けんなって」
「おかか」
「気遣いではなく、本当にパンダは可愛いと思いますよ」
「じゃあ、次から手土産にカルパスよろしくな。笹とか食えたもんじゃないからいらないぞ」
ナマエにはカルパスがなんであるかはわからなかったが、とりあえずパンダが可愛くて笑顔で頷いてみせた。
「そーいや、悟からナマエがくれたっていう京土産貰ってたな。ありがとな。結構美味かった」
「ツナツナ」
「お口にあったようで良かったです。今回は高専を抜け出して急いで参ったので、手ぶらですみません」
「手土産期待してたの野薔薇くらいだろ。と、噂をすればだな」
真希がナマエの後ろへ目をやるので、ナマエも釣られて振り返ると、釘崎がグローブを片手に怒り顔で向かってくるところであった。
「ナマエ、私の代わりにあの女を殴ってきて」
釘崎はナマエに言うと、京都校のベンチにいる真依の方を顎でしゃくる。
「真依さんがどうかされましたか?」
ナマエは先日の朝以来、虎杖襲撃事件のことで気まずく思い、意図的に釘崎と会っていなかったのだが、避ける訳にもいかずに平静を取り繕って聞き返す。
「私の全身を上から下に見て鼻で笑ったのよ!アイツ前にも私の脚が短いとか言っててマジで腹立つ!」
釘崎の脚は決して短い訳ではない。単に真依が釘崎を気に入らなくて揶揄っているだけなのはナマエもわかった。
しかし仲間でもあり先輩でもあり、個人的に慕ってもいる真依を責めることはできず、ナマエはできるだけ波風を立てないよう知恵を絞って最適な返答を探る。
「……きっとタイツが破けていて真依さんにはおかしく感じられたのかもしれません……」
「私のタイツ破けてないけど?」
流石に事実と異なることで誤魔化そうとしても無理があり、ナマエは最も効果的な手法でこの場をやり過ごすことに切り替えることにした。──つまり、逃げである。
「京都側のベンチに戻ります。二年生の皆さんとお知り合いになれてよかったです」
ナマエは真希たちに一礼すると、いそいそとその場から離れていく。
そんなナマエを不審に思ったのか、釘崎は焦ったような声音で「ちょっと、待ってよ」とナマエを呼び止める。
「どうしたの?」
先日の朝と同様、ナマエを心配そうな表情で見つめる釘崎。
同級生を殺されかけたというのに、こうして気にかけてくれる釘崎の優しさにナマエは胸を抉られるような気持ちになる。
優しい釘崎に気持ちを隠して中途半端な対応を取るのはあまりにも失礼なことだろう。
ナマエは釘崎を避けようとしたことを思い直し、正直に向き合うことにした。
「……憲紀さまから、わたしの先輩方が虎杖くんを襲撃したとお聞きしました」
「なんだそんなこと。どうせ上から命令されてやったんでしょ?」
「……憲紀さまは恐らく、ご自分の判断でもあったと思います。今は考えを改めたようですが襲撃した事実は変えられなくて……」
憲紀が加茂家次代当主としての振る舞いを求められていること、また憲紀自身も望んで行動を律していることはナマエも承知している。だから憲紀が虎杖を呪いとして認識し、呪術規定に基づいて祓うべきだと考えていたことも理解はできる。
だが、それは虎杖サイドからしたら受け入れられないことだろう。ナマエは常に憲紀の味方でいたいが、釘崎の気持ちを考えると申し訳がたたない。
「だから?」
「申し訳なくて……」
「ナマエの彼氏とナマエは別よ。ナマエの彼氏が虎杖を殺そうとしたことにはまだ腹が立ってるけど、それとナマエは関係ないし」
「……もし、わたしが命令されていたらどうしていたか気になりませんか?」
「実際命令されてないじゃない。仮定の話したって仕方ないでしょ?それに虎杖だって自分を襲ってきた連中のこと悪く思ってないみたいだし、当の本人がそれじゃあ、外野の私も忘れるしかないでしょ」
「野薔薇さん……ありがとうございます」
「ナマエが京都に帰っちゃう前に一緒にショッピング行きたいんだけど時間ある?秋の新作コスメとか洋服欲しいし」
「お誘いありがとうございます。ですが、今日は憲紀さまに付き添いたいのでごめんなさい」
「ナマエの意外とドライではっきり言うところ結構好きよ。じゃ、また機会がある時にショッピング行こ」
「はい、是非」
快活な笑顔を浮かべる釘崎に朗らかな笑顔で返すナマエ──二人の間には和やかな空気が漂う。
ナマエの中で釘崎が優しい女の子として確固たる地位を築いたこの数十分後に釘崎と真依の間で乱闘未遂騒ぎが起こることなど、この時のナマエは知るよしもなかった。
◇
予想以上の盛り上がりを見せた試合は二対〇の結果に終わり、波乱だらけの交流会は東京校の勝利にて幕を閉じた。
ホテルは既に引き払っていた為に後は東京駅まで直行のミニバスに乗って帰るだけであり、ナマエが憲紀に続いてバスに乗ろうとしたところ、後ろから「ミョウジさん、ちょっと来て!」と、慌てたような虎杖の声がするとともに腕を引っ張られた。
「はい?」
あまりにも突然で、強引な虎杖に驚き、ナマエは抵抗することもできずにグイグイと校舎の方へ引っ張られていく。
「あ、彼女さん借ります!すぐに返すんで!」
「おい!」
何事かとミニバスから降りてきた憲紀へ虎杖はナマエの借り出しを一方的に取り付けるが、当然目の前で許嫁を拐おうとする男を憲紀が見過ごせるはずもなく、普段は大人しい彼の口から怒号が飛ぶ。
そんな憲紀の声を気にする余裕もないのか虎杖は焦ったように走りつつ、脚をもつれさせながら自分に引っ張られて付いてくるナマエを振り返る。
「釘崎が早く連れてこいって言うからさ。ごめん、ちょっと触っても大丈夫?」
「えっ?きゃっ」
ナマエは返事をする前にひょい、と虎杖に体を持ち上げられ肩に担ぎ込まれた。進行方向に対して背を向ける形で、胸が虎杖の肩に押し潰され、背中と臀部に男性らしく筋張った硬い手が添えられる。押し潰される胸はともかく、普段憲紀以外に触れられることのない場所へ手を添えられたナマエは悲鳴を上げたが、次の瞬間には凄まじい速さで体を運ばれ、舌を噛むことを危惧して悲鳴は飲み込まざるを得なかった。
周りの景色は目まぐるしく変わっていき、あっという間に宿舎にある釘崎の部屋へと運ばれた。
「ミョウジさん連れてきたよ!」
「誰がそんな連れてき方しろっつったよ!虎杖ィッ!」
とん、と虎杖がナマエを丁寧に床に下した瞬間、釘崎の足が虎杖の腹へとめり込む。
「グォッ……!だって早く連れてこないと蹴るって言うから!つか早く連れてきたのに蹴られるとか蹴られ損じゃねぇかよ!」
「だからってナマエを担ぐな!ナマエ、うちのバカがゴメンね。これ、ナマエにあげようと思ってたコスメよ」
虎杖への暴力を驚いて見ていたナマエへ、釘崎は笑顔でコスメグッズの入った紙袋を手渡す。
「買っても使ってないやつとか発色が思ったのと違うやつとかの中からナマエに合いそうなの厳選しといたからよかったら使ってね」
「あ、ありがとうございます……とても嬉しいです」
「何顔赤くしてんのよ?」
「……いえ」
否定したものの、ナマエは釘崎の指摘通り、虎杖に担ぎ上げられ、臀部を触られた時からずっと羞恥に頰を赤く染め上げていた。
ナマエはちらと一度伏せた睫毛を持ち上げて虎杖の方を見つめ、また釘崎に視線を戻す。
虎杖が自分の尻を触っていたことに気づいていたのか、と気になって虎杖を見たのだが、虎杖は首を傾げるだけで何もわかってなさそうな様子であった。
「虎杖、アンタナマエに変なことした?」
「ええっ!担いだだけなんだけど」
「虎杖くんは何もしていないですよ。お気になさらないでください」
ナマエは虎杖の善性を信じているが故に庇いつつ、見過ごせない点が一つあり、「虎杖くん、ちょっとお耳を貸してください」と、虎杖の制服の袖を軽く摘んで少し引っ張る。
「なになに?」
背を屈める虎杖の耳へナマエは唇を寄せる。
「次から女性を持ち上げる時は手の位置に気をつけるか横抱きにするといいですよ?」
ナマエは小声で虎杖に助言をすると、すぐに離れた。
一方虎杖は自分の手を持ち上げ、手の平とナマエの顔を交互に見て頰を赤く染め上げていく。
「なんかフワフワしてて柔らかいと思ったけど、アレってまさか──」
「それ以上は仰らないでください。野薔薇さん、こんなにいっぱいありがとうございます。次回お会いする時にわたしも何か持って参ります。虎杖くん、次会う時までにはよろしくお願いしますね」
ナマエは挨拶を済ませて部屋を出ると、宿舎の玄関口には伏黒と憲紀がおり、二人で何か話している様子であった。
釘崎の部屋から出てくるナマエにいち早く気がついた憲紀は心配そうにナマエに近寄り、顔を覗き込む。
「無事か?」
「はい。どうやら虎杖くんは野薔薇さんに言われて急いでわたしを部屋に運んでくださったようです。野薔薇さんからコスメグッズを沢山いただきました」
「悲鳴が聞こえたが?」
「突然体を持ち上げられてびっくりしただけです」
「うちの虎杖が悪かったな」
伏黒は虎杖の身内として申し訳なくなったのか会話に割って入って謝罪するが、虎杖の純粋さに理解のあるナマエとしては本当に驚いただけのことであり、気にしてはいなかった。
「いえ、お気になさらないでください。伏黒くん、こうしてまたお会いできてよかったです。今度また黒ちゃんと渾ちゃんに会わせてください」
「その組み合わせでは同時には無理だが、ミョウジが必要な時はいつでも好きな方を呼び寄せる」
「ありがとうございます。では失礼します」
腰を折り、ナマエは深々と頭を下げる。
その隣で憲紀も伏黒に軽く会釈を済ませ、珍しくナマエの手を取る。
人前ではナマエと接触を持ちたがらない憲紀が伏黒の前で手を握ることにナマエは嬉しさ半分、不思議半分の複雑な表情で憲紀を見上げる。
「憲紀さま……?」
「……今は何も言わないでくれるか?」
「はい……」
憲紀からはいつもとは異なる異様な空気を感じ取り、ナマエは大人しく憲紀の手を握り返した。
◇
高専へ戻った後も憲紀の様子はおかしく、ナマエとできるだけ行動を共にしたがり、夜はナマエとの団欒よりも肌を重ねたがった。
そんな憲紀にナマエは体の隅々まで愛され、骨がクタクタになる程に身体を蕩かされ、幾度となく快楽の際に追い込まれ、ナマエは限界を迎えかけていた。
「のりとしさまっ、しんじゃいますっ……!」
体を押さえ込まれ、幾度目かもわからない絶頂を憲紀の腕の中で迎えた後、休む暇もなくコロンと体を反転させられたナマエは流石に命の危機を感じて強く抵抗の声を上げた。
「……すまない」
憲紀はナマエの上から退いたものの、ナマエを手放す気はないらしく、向かい合わせに抱きしめる。
「もう三時か……」
憲紀は置き時計の時間を見て呟く。彼自身は「もうこんな時間だ」という具合で、とりとめもないことのような反応を見せるが、ナマエにとってはこんなにも長時間交わり続けたことが驚きで、よく意識を保てていられたと思った。
「こんなに長い時間動かれてお怪我は大丈夫ですか?包帯を変えた方がいいのでは?」
「発汗しないよう体温を調整した。問題ない」
「わたしだけ汗だくなのは恥ずかしいです……」
ナマエは憲紀の腕の中でもぞもぞと動き、首筋に張り付いた髪を払いのける。何故か動いていない方のナマエばかりがいつもしっとりと汗に濡れている。
「恥ずかしがることはない。こうして額に髪が張り付いた姿もナマエは綺麗だよ」
「……ありがとうございます」
額に貼りついた髪を指の背で優しく払われ、そこへ口づけられる。
憲紀が唇以外にも沢山口づけてくれることがナマエは好きで、その度に愛されていると実感できるのだが、今日はなんだかそれが過剰に感じられる。
恐らく虎杖に拐われた自分を東京校の宿舎まで追ってきてくれた時から、憲紀の様子がいつもと違うのだが、その原因はナマエにはわからない。憲紀から話してくれる様子もなく、そろそろ朝からある授業の為に睡眠をとりに自室へ戻りたく、「もう戻りますね」と憲紀の腕の中から出ようとすると、腕に力を込められて抱き竦められてしまう。
「……どうかなされました?」
「朝まで一緒にいて欲しい」
滅多にない憲紀からの懇願にナマエは驚いたが、嬉しくもあった。普段はナマエから一方的に甘えることが多い為にこうして憲紀から甘えられるのは新鮮に思える。
「憲紀さまがお望みになるならそういたします。ですが、早朝にはこっそりお部屋を出ますね」
「それで構わない」
ナマエは疲れ果てていたが、今は眠るよりも憲紀のことが気にかかり重たい瞼を持ち上げて黙々と憲紀の顔を見つめた。
顔の半分を包帯に包まれた憲紀の姿には未だ慣れない。今日の野球の試合ではなんとか守備をこなしていたが、攻撃ではバットを振れずにいた──かと思えば、東堂の顔面に死球を喰らわせた真希にナイッピーコールを投げかけるという余裕も見せていた。そして、京都に戻って少し休んで元気が出たのか、数時間もの間ナマエを組み伏せて行為に及んだ。
どこからその気力が湧いてでてくるのかナマエには不思議であった。様子がおかしいことと何か関連があるのか、と思案するが、思い当たる節がない。
ふと、憲紀も自分のことを見つめていることに気がつき、ナマエは首を傾げる。
「ナマエの百面相はいつまでも見ていられる」
「百面相しておりました?」
「ああ。思うことがあるなら聞いてもいい」
「憲紀さまのご様子がいつもと違う気がしまして……」
「そうだな……ナマエには正直に言おうか。私はナマエを信じると言った。実際信じてはいるし、ナマエの気持ちが私へ向いているのはわかっている。だが、他の者の気持ちがナマエへ向いていると思うと、不安になる」
「他の方が?誰のことを仰っています……?」
「男については挙げたらきりがない。釘崎もナマエのことを好きでもおかしくはない」
釘崎がナマエへ向ける感情は友情以外なにものでもないが、憲紀から見るとそうは見えないらしい。これは別におかしなことではなく、ナマエが女学校で同性から告白されたことがあるのを知っていたからこその発想であろう。
ただこれには確かに否定できる根拠がナマエにはあった。
「野薔薇さんは男性が好きかと思います……好きなタイプは織田信長と仰っておりました」
「織田信長?それならナマエとは無縁だな」
「はい……それにわたしは男性の方から告白を受けたことがないのでモテません。ご安心ください」
猪野のような先輩術師に連絡先を聞かれたり、街中で知らない男から連絡先の書かれた紙を受け取ったりしたことはあるが、告白というものを受けたことは一度もなかった。それでも男性からは女性として見られていることはなんとなくわかるし、それがなくとも憲紀に愛されていることは十分に伝わっているのでモテないことを気にすることはなかった。
「男なら全員ナマエを好きになる」
何をこじらせているのか、憲紀らしかぬ突飛な思考にナマエは心配になりつつ、どうにか憲紀の不安を払拭しようと考えを巡らせる。──やはり、真っ先に頭に浮かぶのは校内の恋愛事情だ。
「そんなことはございませんし、恐らくですが……メカ丸さんは三輪さんが好きです」
「そうなのか?」
「はい。メカ丸さんは隠しているようですが、見ていればわかります。それに東堂さんは高田ちゃんと本気で結婚したいそうですし」
「その二人が特異なだけだろう。新田には好きな女性はいないのか?虎杖や伏黒君はどうなんだ?」
「新くんとはそういう話はいたしませんのでわかりません。虎杖くんには異性としての興味を持たれていない自信はありますし、伏黒君は……気遣われている感じしかしないです」
「……逆にナマエを好きにならない意味がわからない」
ナマエが他の男に好かれることについて、憲紀がこれ程の信頼を寄せることにナマエは面食らう。一体憲紀にこんな思いをさせる原因がなんであるのか気になって仕方がない。
「憲紀さまに心配されるのは愛されている証拠だと思うととても嬉しいのですが、ご心配の必要はないと思います。わたしが憲紀さまを慕うだけでは不十分ですか?」
「そんなことはないが……目の前でナマエを他の男に拐われた時、長年ナマエと会えなかった時のことを思い出して血が凍る思いをした。ナマエや私の意志が無視されるようなことが今後もあるかもしれないという考えまで頭を過った」
「憲紀さま……」
ナマエにも憲紀の気持ちが痛い程わかった。家の都合で結ばれた縁が、今度は勢力争いの都合で引き離され、どんなに辛い思いをしたことか。
「……我ながら我儘が過ぎたな。こんなに弱いところを見せるつもりはなかった」
「いえ……憲紀さまの思っていらっしゃることをお聞きできてわたしは嬉しいです。いつもわたしばかりが甘えていた気がしたので、こうして憲紀さまから甘えられて新鮮な気持ちになりました」
「……甘えているとは聞こえが悪い。私はただ我儘であっただけだ」
ナマエからしたらどちらも同じなのだが、体裁を気にする憲紀にとっては両者には大きな差があるらしい。
屁理屈をこねる憲紀が可愛らしいと思いつつ、ナマエは憲紀の気持ちを汲むことにした。
「そうですね。憲紀さまが我儘を仰るのは嬉しいです。いつでも気兼ねなく仰ってください」
「正直なところ、私が自分を律せずに我儘を言うとナマエを困らせることになるだろうからこれ以上は控える」
「一体どんな我儘ですか?興味があります……ぁっ」
いつもと違う面を見せる憲紀を可愛らしく思って無邪気に追及したのだが、入口に押し当てられた可愛らしさとは無縁の熱によりナマエは調子に乗った自分を呪った。
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