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彼の傍


『明日…お前を、身請けしたい。』

そう彼に告げられて出た遊郭の世界。

『これから…よろしく、な。』

恥ずかしそうにそう言って、
手を繋いで彼の住む屯所へ向かった。

あれから、一ヶ月。

「あの…、片付けましょうか?」
「いや、いい。」

開け放たれた部屋の障子。
縁側近くで座り込み、彼の背中を見る日々。

十四郎さんが書類整理らしきことをしていたので声を掛ければ、私の方をチラリと向いて「必要ねェよ」と小さく微笑む。

「それなら少し掃除を…、」
「女中にやらせるから構わねェ。」
「そう、ですか。」

上げかけた腰を、私はまた下ろして。
随分と気持ち良い風が吹く秋を感じた。

十四郎さんの筆を走らせる音。
たまに捲る紙の音。

何の不満もないはずなのに。

どこか秋風が冷たく感じる。


「のどかですねィ。」
「っお、沖田さん、いらっしゃってたんですか?」
「今通りがかったとこでさァ。」

声に気付けば、
沖田さんが私の隣に寝転がっていた。
相変わらずのアイマスクをして「あー眠てェ。」と欠伸をした。

「紅涙も眠ィだろ?こんな野郎の背中ばっかり見る日々で。」
「…ふふ、そんなことありませんよ。」
「どーだか。野郎はこのまま紅涙を閉じ込める気ですかねィ。」

沖田さんが小さくはない声でそう言った時、
十四郎さんの「おい」という声とともに私たちに影が出来た。

「ンなとこで寝てんじゃねェよ。持ち場に戻りやがれ。」
「テメェが戻りやがれ、土方コノヤロー。」
「ンだとコラ!」
「と、十四郎さんっ。」

私が袖を掴めば、
十四郎さんは眉間にキュッと皺を寄せて溜め息をついた。

「総悟、出て行け。」
「何でですかィ?」
「いいから。そもそもテメェは仕事中だろォが。」
「嫌でさァ。俺ァここで昼寝がしてェもんで。」
「出て行けっつってんだろォが!!」
「と、十四郎さんっ。」

私がまたギュッと袖を引っ張れば、
十四郎さんは「ここに居ろ」と私の手を自分の袖から放した。

そしてそのまま沖田さんを引っ張り上げて、
沖田さんの「痛ェ!」という声とともに姿を消した。

私一人になった十四郎さんの部屋。

「…。」

ここに来て一ヵ月。
私はこの敷地内から出たことはなかった。

でもそれが不自由だと思ったことはない。

私が気付いたことも、
気付かないことも。

何から何まで、女中さんがしてくれる。

私が出来ることも、
もちろん出来ないことも。

「…いいのかな…。」

このままで。

お世話にばかりなって。
お荷物が一つ増えるだけで。


『頼むから、俺の目が届く範囲に居てくれ。』

まだ来て間もない頃、
女中さんの買い物を請け負って。
街へ行って帰ってきた矢先に言われた言葉。

十四郎さんは私を見るなり、
吸っていた煙草を投げ捨てて私を抱き締めた。

屯所では絶対にそういうことをしない十四郎さんだったから、

「ごめんなさい…。」

大そう心配してくれたであろう十四郎さんを抱き締めて謝った。

私の過去が過去なだけに。

いつ誰が私の前に現れるか、
いつ誰が私を前の世界に引っ張り込むか。

いつ、高杉が私の前に来るか。

きっとその心配を十四郎さんはしてくれているんだと思う。

だからと言って、
そればかりに甘えているわけでもなく。

むしろ十四郎さんや、この屯所のために何かしたい。

恩を仇で返したくはないから。

その切欠を、
十四郎さんの背中を見ては考え、
見つけられずに居た。

「紅涙、」
「っ、はい、どうしました?」

考え込んでいた私の後ろから、十四郎さんの声がした。

十四郎さんは桐箪笥を開けて、稽古用の服を取り出して、

「稽古、つけてくる。」

そう言った。
「急ですね」と私が言えば、
「総悟が仕掛けてきた」と言った。

「紅涙も来い。」

十四郎さんは私に手を差し出して、私は彼の手を取って立ち上がった。

剣道場までの廊下。

「…、紅涙。」
「どうしました?」

十四郎さんは私より少し先に歩いていて、


「今の生活に、…不満、あるか?」


そう言った。
私が「…え?」と聞き返せば、
十四郎さんは「…いや、いい」と言う。

彼にそう考えさせたものは何だったのか、

それの答えは、
剣道場にあった。


「遅いですぜィ、土方コノヤロー。」


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