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異変への場
剣道場の真ん中には沖田さんが木刀を右手に佇んでいた。
それと同時に私の目に飛び込んだのは、
「遅いぜ副長ー!!」
「待ってましたァァァ!!」
多くの観衆。
私も驚いたけど、十四郎さんの方が驚いたようで。
顔を引き攣らせたままで口を開いた。
「おい、総悟。」
「なんですかィ?」
「そりゃァこっちのセリフだ、何だよコイツらは。」
十四郎さんが眉間に皺を寄せたまま顎で観衆の隊士たちを差せば、周囲は「ヒッ」と声を挙げて正座した。
「何ってギャラリーがいた方が燃えるもんですぜィ?」
「たかが稽古でどうしていちいち燃えなきゃなんねェんだよ!」
「"たかが"って土方さん、そんな言い方は良くありやせんねィ。」
沖田さんは大袈裟なほどの溜め息をついて、
「紅涙の今後を"たかが"なんて言葉でくくっちゃいけやせんよ。」
そう言った。
その言葉に十四郎さんは「あァ?」と眉間に皺を寄せ、私は首を傾げた。
沖田さんは鼻で笑って、
「俺が何もなく土方さんと稽古してやるとでも思ってるんですか、コノヤロー。」
「ンだとコラァァァァ!!」
「とっ十四郎さんっ。」
私は何度目かの十四郎さんの腕を引き、沖田さんに「どういうことですか?」と言った。
沖田さんは呆れたように首を横に振って、
「俺は紅涙が可哀想で仕方ありやせん。」
また大きく溜め息をついた。
「私が…、可哀想…ですか?」
「そうでさァ。毎日毎日、この敷地内でのみの生活。何かにつけ、野郎が傍にいる。」
先ほど引っ張った十四郎さんの腕が、ピクリと動いた。
だけど、
隣に立つ十四郎さんの顔を見上げても、眉一つ動かしていなかった。
ただ真っ直ぐに沖田さんを見ていた。
「紅涙だって街に出て普通の生活がしたいに決まってまさァ。」
"なァ?紅涙"
沖田さんが私を見た。
十四郎さんはそれでも沖田さんを見ていた。
私は沖田さんに顔を横に振った。
「私は…十四郎さんの傍に居たいですから…。」
少し俯いてそう口にすれば、
ようやく十四郎さんが私の方を見て「紅涙…」と呟くように口にした。
だけど。
「いーや。違いまさァ。」
沖田さんも顔を横に振る。
「日常の紅涙を見ていれば分かるってもんですぜィ?どこか寂しげで…そう、何か物足りないような顔をしてらァ。」
「そんなこと…、」
「野郎だって気付いてるから、何も言わねーんじゃねェんですかィ?」
"違いますかィ?土方さん"
沖田さんの問いかけに、
十四郎さんは返事をせず、
ただ一言、
「御託はいい。」
そう言った。
十四郎さんの空気が変わって、
「紅涙、離れてろ。」
掴んでいた私の腕を柔らかく退け、右の口角だけを僅かに上げた。
すぐに視線は沖田さんの方へ向けられて、
「特別な稽古、つけてやるよ。」
木刀を、
まるで血でも掃うかのよう縦に振り、ニヤリと笑う。
「十四郎さん…、」
ジリジリと沖田さんの方へ足を進める十四郎さん。
私が名前を呼びながら一歩近付けば、
「紅涙さん!危ないですよ!」
後ろから山崎さんが腕を掴んだ。
「でも」と私が言えば、「大丈夫ですよ」と山崎さんは笑う。
その隣で、近藤さんが静かに頷いた。
「男には戦わなきゃなんねェ時もあるんだよ、紅涙ちゃん。」
「近藤さん…、」
「トシだってあれだけやる気なんだ、アイツにも何かあるんだろうな。」
「…。」
近藤さんは腕を組みながら、微笑ましく笑った。
『今の生活に、…不満、あるか?』
十四郎さんは何を考えているんだろうか。
不満…、
ありませんよ。
「うぉりャァァァァ!!!」
剣道場に響き渡る声は、
とても稽古をしている者とは思えない声だった。
「木刀すらも刀に見えるな」と近藤さんが笑ったけど、本当にその通りで。
沸きだっている観衆も、
徐々に二人の緊迫感で息を詰まらせていく。
「副長…、本気ですね。」
「総悟も負けちゃいねェな、珍しいもんだ。」
山崎さんが肩を竦めて「二人の殺気が痛いですね」と苦笑いをした。
その時。
「おっ?!」
近藤さんが声を挙げて、
「ようやく決まりましたね。」
"さすが副長"
山崎さんがホッと溜め息をついた。
それはほんの一瞬の会話だったから、
私が二人の声を聞いて、また十四郎さんの方を見た時には、
既に、
―――カランッ
床に落ちる十四郎さんの木刀と、
「ギョェェェェェェッ!!!!!!」
けたたましく響く、ヒドイ叫び声。
頭を抱えるようにしゃがみ込む十四郎さんの背中。
それを見下すように立つ沖田さんは、口をポカンと開けたままでいた。
「え、…あの…何が起こったんですかね…。」
山崎さんは私の隣で顔を引きつらせて言った。
周囲も同じだけザワついている。
近藤さんは「…俺も分からんが…」と同じような顔をして、
「優勢だったトシが…、木刀を捨てたのは事実だな。」
そう、
あともう一振りの時、
木刀を放し、
叫び声を挙げ、
しゃがみ込んだのは十四郎さんで。
「十…四郎さん…?」
小刻みに震える肩が窺えた。
何かがおかしい。
十四郎さんがおかしい。
「っ、十四郎さんっ!!」
私はしゃがみ込む十四郎さんに駆け寄った。
沖田さんが「何ですかィ、こりゃァ」と呆れて言った。
十四郎さんの傍に寄っても、
頭を抱えたままギュッと目を瞑り、いつまでも「嫌だ」と呟いていた。
「十四郎さんっ…、どうしたんですか?!」
私が肩に触れ、顔を覗き込む。
何度目かの呼びかけをした時、
「っ…、…、紅涙…、」
ポツリと私の名前を呼び、ゆっくりと目を開けて。
自分を守るように抱えていた腕を下ろした。
「十四郎さんっ、」
「…、紅涙…、…、」
「痛いところは?!大丈夫なんですか?!」
「…紅涙…、俺は…ただ…」
十四郎さんが虚ろな目で私を見る。
どこか穏やかで、
どこか詫びるような。
そんな目で。
「ただ…お前が…、」
まだ震える十四郎さんの腕が、
ゆっくりと私に伸びて。
頬にそっと触れて。
「ずっと…、笑ってられるように…」
十四郎さんの額に滲んだ汗が、スッと顎に落ちて。
「十四郎さんっ!!」
そのまま十四郎さんは、
意識を失った。
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