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過去・煙草


今でも覚えている。

ずっと昔。
私がまだ小学生だった頃。

あの日、一人っ子の私に兄が出来た。


「紅涙、今日から一緒に暮らす十四郎君よ。」


ペコりと頭を下げる子は、新しいお父さんが連れて来た男の子で。
お母さんは微笑み、

「お兄ちゃんができて良かったわね、仲良くするのよ。」

そう言った。

それからずっと、
ずっと、私とトシは一緒に過ごした。

仲が良すぎるほどに。

親の都合で苗字が違うままだったせいもあり、
周囲からは、よく、からかわれていた。

でもいつも隣にはトシがいて、辛くなる度に私の手を握ってくれる。


「お前には俺がいる。」


いつだって、トシの言葉は優しい。

中学生になって、
好きな男の子が出来た時も、もちろんトシに相談して。

「…そうか。」

空を見ながら、静かに聞いてくれた。

それから少しして告白した私は、呆気なく失恋。
泣きながら報告すれば、

「そうか。」

短く返事をして、頭を撫でてくれた。


「お前には俺がいる。」


トシの表情があまりにも優しくて、私は声をあげて泣いたんだっけ。

そして、はじめて…

「紅涙…。」

少し低くなった声で、

「っ!」

トシは私を呼んで、抱きしめた。

初めてだった。
温かい体温と、
知らない男の子みたいに大きな身体を感じたのは。

はじめて、トシの存在に戸惑った。

「ト、トシ…?」
「…。」

耳元で聞こえる息遣い。
引っ付いた胸から、私の鼓動が伝わってしまいそうで。

「え、えっと…」

抱きしめてくれるその背に、私は腕を回せずにいた。

「…、…悪ィ。」

身体を離し、頭を撫でる。
ふっと微笑んだ表情は、

「あんま落ち込むなよ。」

いつもみたいに、優しいトシだった。


その先でトシがまた抱き締めてくるようなことはなくて。

「紅涙、帰るぞ。」
「うん、すぐ行くー!」

今、
私たちは高校生活を送っている。



優しい理由


「終礼が遅くなったのか?」
「ううん、ちょっと話が盛り上がっちゃっただけ。」

廊下の窓へ寄り掛かるトシに返事をしながら帰り支度を進める。
傍まで来ないのは、自分のクラスじゃないからだ。

トシは私よりも2つ年上の3年生。
鋭い目つきで整った顔立ちは、うちのクラスでもかなりの人気者だったりする。

「じゃあ私、帰るね。」

荷物をまとめて友達に手を振る。
すると決まって、友達が唇を尖らせて言うのだ。

「いいなー、紅涙にはカッコイイお兄ちゃんがいてー。」
「紅涙のお兄ちゃんの友達でいいからさ、紹介頼んでよ!」

「お願い!」と手を合わす友達に、

「また言っとくね。」
「よろしく〜!」

何度、この返事をしただろう。
私はその場しのぎの嘘なんかじゃなく、本当にちゃんと伝えてるんだけどなぁ…。

「お待たせ!」
「遅ェェ。」

教室の入り口に立ち、不機嫌な顔つきで睨む。
肩にカバンを担ぐと、早々に歩き出した。

「ごめんね?」
「はいはい。」

適当な返事でも怒ってはいない。
トシは不機嫌になることがあっても、私には怒らなかった。
今までだって、一度も本気の兄弟喧嘩をしたことがない。

確か、昔に理由を聞いたんだけど…
どうしても思い出せないんだよね。

「トシー、明日は部活ー?」

しばらく歩いた帰り道で、
私はあぜ道に咲く花をかわしながら、トシより少し前を歩く。

「部活。」
「そっか。じゃあ先に帰っとくね。」
「待っててもいいぞ。」
「そんな遅くまで?待たないよ、することないもん。」

私は帰宅部で、トシは野球部の主将。
だから、部活のない時にだけ一緒に帰る。

「怪我しないようにね。」
「ああ。」

短く返事する声と共に、ほんのり煙たい空気が鼻をかすめる。
振り返れば、案の定トシが煙草を咥えていた。

「あー!未成年がイケナイんだぁ〜。」
「うるせェ。俺は大人だからいいんだよ。」
「まだ18じゃん!」
「心が大人。」

煙草を指に挟み、灰を落とす。
何食わぬ顔で、また煙草を口に咥えた。

キツく煙草を吸って、深く吐く。
その姿が本当に知らない男の人みたいで。

「…ねぇトシ、」
「ん?」

中学生のあの日、
トシに感じた違和感と少し似ている。

「…おいしい?」
「あァ?」
「煙草、おいしいの?」

指をさして問うと、「あー…」と思案して、

「旨くはねェな。」

白い煙を吐いた。

「じゃあ何で吸うの?」
「癒しだ、癒し。煙草を吸うと落ち着くんだよ。」
「落ち着くって…オヤジくさいな。」
「うるせェバカ。」

口元に薄く笑みを浮かべ、煙草に唇をつける。

その姿を見て、
トシみたいな“大人”に近付きたかったせいか、
単に煙草に興味があったのかは自分でもよく分からないけど、

「…私にも、ちょうだい。」

気付けば、手を伸ばしていた。

「これをか?」
「うん。」

差し出す私の手を見て、片眉を上げる。

「ダーメーだ。」
「なっ…、トシは吸ってるのに!」
「俺はいいの。」
「ズルイ!」
「こんなもん、お前には必要ねェだろ?」

そう言って、私が差し出していた手を掴む。
驚いて顔を見れば、シレッとした様子で、

「帰んぞ。」

私の手を引いた。

「…、…うん。」

少しドキドキしながら足を踏み出す。
煙草への興味なんて瞬く間に消えて、
そこから10分もない家までの距離が、随分と長く感じた。


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