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一緒・先生


次の日の朝。

「あれ?お母さん、トシは?」

朝ご飯を食べながら部屋を見回すと、
いつも一緒に食べているトシの姿がない。

「十四郎君なら試合が近いからって、朝練に行ったわよ。」
「そっか…。」
「紅涙も早く食べて行きなさい。」
「は〜い。」

卵焼きを掴み、ふと手を止める。
この箸はトシとお揃いの箸だ。

「ほんと、なんでも一緒なんだな…。」
「何か言った?」
「ううん、なんでもない。」

私達は何をするのも一緒。

高校も、
トシから「同じ学校にすれば?」と言われて同じ学校にした。
特に行きたいところなんてなかったし、私もその方が良かったから。

同じ高校だから、当然お昼ご飯も一緒。
部活がない限り、登下校も一緒。

『紅涙って、ほんとお兄ちゃんと仲良いよねー。』

うん、仲良いよ。
だって私、すごくトシが好きだもん。

『絶対、彼女いるよねー。ねぇ何か聞かない?好きな人とかさ。』

トシの好きな人…、
いる…のかな。

あ…、
何か…食欲なくなってきた。

「ごちそうさま。」
「あら、もういいの?」
「うん、お腹いっぱい。ごめんね、お母さん。」

立ち上がり、テーブルに置いてあるお弁当を手に取る。
けれど私のお弁当の横に、もう1つお弁当があった。

「これ誰の?」
「何言ってるの、十四郎君よ。お母さん、どうしても朝練の時間までに作れないから。」
“いつもみたいに紅涙が届けてあげてね”

…そっか、そうだった。
お母さんは遅くまで仕事があったり不規則だから、お弁当、間に合わないんだよね。

「…わかった。じゃあ行ってきます。」
「はい、行ってらっしゃい。」

二人分のお弁当を持つ。

「はぁ…。……って、何の溜め息だろ。」

無意識に漏れる溜め息に自問する。

家を出た後も何度か溜め息はこぼれ、
よく分からない気だるさを引きずったまま、私は学校に到着した。


「ちょっと遅ェんじゃねーか?」

校門前に立っていたトシが、薄く笑って言う。
ユニフォーム姿じゃないけど、
首からぶら下げたタオルと濡れた髪が、朝練の後だと感じさせた。

「こんなところでどうしたの?」
「どうしたのって、弁当だよ弁当。紅涙に預けたって、母さんから連絡あった。」

…そうだった、もう忘れてた。

「は、はい。これがトシの分。」
「おう。悪ィな。」
「ロッカーまで一緒に行く?」
「いや、部室に荷物取りに行くから。」
「そっか。じゃあまたお昼にね。」
「ん。」

トシと別れ、ロッカーへ向かう。
靴を履き替え終えた時、後ろから声を掛けられた。

「お前ら、ほんとに仲良いね。」
「?」

振り返ると、白衣が目に入る。
だらしなく眼鏡をかけ、壁にもたれかかっていたその人は、

「坂田先生、おはようございます。」
「はい、おはよ。」

国語教師の坂田先生だった。
トシのクラス、3年Z組の担任でもある。

「早雨。1時間目お前んとこだからさ、ちょっと手伝って。」
「わかりました。」

先生は生徒がよく使う1階の階段を上がらず、
なぜかいつも職員室を通り過ぎたところにある人通りの少ない階段を使う。

ペタペタとスリッパの音を響かせ歩き、3階の国語準備室の扉を開けた。

「来て早々に手伝わせて悪いねー。」

机の上を整えながら、口先だけの詫びを入れる。

「気にしないでください。教室へ行くついでですし。」
「優しいなァお前は。先生惚れちゃいそう。」
「ふふっ、先生ったら。」
「もうっ、早雨ったら。」

冗談を交わし合いながらも、先生の手は忙しく動いている。
私は傍にある椅子に腰をかけて待つことにした。

…この部屋、煙草の匂いがするんだよね。

他の教師はあまり使わないせいか、部屋には先生の煙草の匂いが染み付い充いている。

吸わない私でも分かる、トシとは違う煙草の匂い。

「えーっと、授業で配るのはー…」
「ところで先生、」
「んー?」
「私は何を手伝うんですか?」
「とりあえず奥からイチゴ牛乳持ってきて。喉乾いた。」
「え!?そんなゆっくりしてる時間はないと思いますけど。」
「オカンみたいなこと言うなよ。ひと口だけだから、いつもみたいにコップに頼む。」
「もー…。」

トシという繋がりもあって、私は先生によくお世話になっていた。

“お腹が痛い”とか“フラフラする”とか、
悲壮さもなく言うと、保健室では追い返されそうなことも、
ここでは「休んどけ」とサボらせてくれる。

眠そうで、見るからにやる気ない雰囲気だけど、理解のある優しい先生。
それが坂田先生の印象だ。

「はい、イチゴ牛乳です。」

コップを手渡すと、嬉しそうに飲み干す。

「サンキュ。やっぱ早雨の注いだイチゴ牛乳は旨いわ。」
“じゃ、コレ持って行ってくれる?”

目の前に出されたのは、皆が提出していたノート。

「うわっ、重そ…。」
「大丈夫、お前なら持てる。」
「えー…。」
「今度アイス買っといてやるから。」
「ほんと!?」
「おう。つか、食いもんに釣られすぎじゃね?」

ぷっと先生が笑う。

「もしかして嘘ですか!?」
「嘘じゃねェよ。ちゃんと買っといてやるから、今度食べに来い。」
「やったー!!」

実は先生の手伝いをすると、毎回ご褒美が出る。

でも、これには約束があって。

「買っててやるけど、早雨、わかってんな?」
「うん、1人で来るよ。」
「よーし、偉いぞー。」

準備室に来る時は、必ず1人で来ること。

きっと先生のお金がなくて、
手伝った子の分しか買えないからだと思う。

「そんじゃあ早雨のクラスへ出発〜。」
「えっ、先生、手ぶら!?」
「違う違う。教科書持ってる。」
「それだけじゃないですか!」
「アイスが欲しいなら文句を言わずに働け。」
「もう!」

私はカバンを肩に掛け、
重いノートを持って、ヨタヨタと準備室を出た。


その放課後。
トシは部活だから、今日は1人で帰る日。

「ちょっと覗いて行こうかな。」

私は校門へ向かう足を、少し寄り道させた。

こっそり野球部を覗く。
グランドの隅でトシを見つけた。
手でも振ろうかなと思ったけど、

「あ…、」

マネージャーと親しげに話す姿がある。
私と同級生の、可愛い女の子だ。

「……、帰ろう。」

呟いた独り言は、
誰の耳にも届かず、風に乗って消えた。


1人きりの帰り道で頭を占めるのは、さっき見た光景ばかりで。

「トシの…好きな人…。」

意味もなく口にした言葉に自分で驚く。
振り払うように顔を上げると、私は黙々と家路を急いだ。


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