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私を造るもの


誰にでも、人には見せられない部分がある。

それは暗くて、湿っぽくて、
きっと悪い部分だと分かっているから、誰にも見せられない。

隠し通して嘘を吐き続けるか、
さらけ出して理解を求めるか。

どちらを選んでも、
そこにはたぶん、また言えない部分が芽生えてくるんだと思う。

もし全てをさらけ出し、
何ひとつ包み隠さず生きている人がいるのなら、

その人はきっと――

化け物だ。


誰にも見えない


事の始まりは、肌寒い夜だった。
帰宅途中の女性が、トントンと優しく肩を叩かれる。
振り返ると見知らぬ人が静かに立っていて、

「…何ですか?」

問いかければ、おもむろにその人が腕を動かした。
女性は身構えようとしたが、スマートフォンを見せられていることに気付く。

「え…?」

闇夜に光るディスプレイ。
目を凝らしたそこにあるのは、一行の文だった。


『あなたの指を見せてもらえませんか』


「ギャーーッ!!」

ガタッと音を鳴らし、山崎さんが局長室の隅へと後ずさりした。

「どァっつ!」

近藤さんが慌てた様子で太股を叩く。
どうやら、揺れた湯呑みからお茶がこぼれ出たらしい。

「…おいコラ山崎。」

近藤さんの隣では、土方さんが眉間に皺を寄せている。

「お前…どうしてくれんだよ。」
「へ…?」
「俺の煙草……」

灰皿の中を覗き込む。
こめかみに筋を浮かばせ、ギッと部屋の隅を睨みつけた。

「最後の一本が落ちただろーがァァ!」
「えあ!?すすすすみません!」
「ったくよォ。まだ火ィ点けたばっかだったのに…。」

ブツブツ文句を言いながら、灰皿の中を指で探る。
しかし取れる様子はなく、悲しそうに汚れた指を拭いた。

「もったいねェ…。」

あ…これ、役に立てるチャンスかも。

「買ってきましょうか?」

僅かに腰を上げる。
土方さんの顔がパッと明るくなった。

「悪ィな、紅涙。助かる。」
「!い、いえ…。」

微笑まれるだけで、私の胸は急激に高鳴った。

「じゃあ…すぐに戻りますので。」
「えっ紅涙さん、今からですか!?もう夜だし、行くなら僕も一緒に――」
「大丈夫ですよ、すぐそこですから。」
「でも…」
「平気平気!」

よかった、今日も1つ土方さんの役に立てる。

心の中で喜びながら席を立った。
けれどすぐ、「ちょっと待て」と呼び留められる。

「悪ィ、あったわ煙草。」
「え…?」
「ほら。」

土方さんは懐から新しい箱を取り出し、嬉しそうに私へ見せた。

なんだ…残念。

「そうですか、良かったです。」
「おう。けどこれで最後だった気がするんだよな…。」
「じゃあ後で買ってきます。特に予定もありませんので――」
「いや、いい。俺が見廻りの時にでも買ってくるから。」
「そう…ですか。」

苦笑して、元の席へ座り直した。
土方さんの返答に、なんだか寂しくなる自分がいる。

原因は分かっていた。
私が土方さんを好きなせいだ。
好きだから、
些細なことで一喜一憂して、どんなことでも役に立ちたいと思い、頼られたいと思う。

もちろん、
私がそんな気持ちでいることを土方さんは知らないけど。

「あーあ。ひでェや土方さん。」

後ろから聞こえた声に振り返った。
壁際で退屈そうに座っていた沖田さんが、クツクツと笑っている。

「役に立てなくて、補佐がガッカリしてやすぜ。」

イヤミに口を歪ませ、私を見た。

…この人のことは、

「補佐じゃありませんから。」

好きじゃない。

「なら何ですかィ?」

何かにつけ、私の邪魔をする。
バカにするみたいに、

「真選組の隊士です。」
「何番隊の?」
「……。」

揚げ足を取るみたいに。

「やめろ総悟。」
「紅涙君、すまない。」

土方さんと近藤さんに、「いえ」と首を振った。

「私が隊に所属してないのは…事実ですから。」

真選組のおける私の存在は少し特殊だった。
沖田さんに言った通り“隊士”ではあるけど、肩書きは『真選組 部隊支援』。
隊に属せず、要請を受けた時のみ必要とする部隊に所属し、任務を遂行する立場。

良く言えば、救世主。
悪く言えば、補欠。

「あ〜そうでしたねィ。つい、土方さんに付きまとってるから補佐のイメージが付いちまってやして。」
「っ、付きまとってなんて…」
「俺が付き合わせてんだよ。」

土方さんはそう言ってくれたけど、本当は全然そんなことなかった。
書類整理を手伝う機会も稀だし、何かを頼まれたことも数えるくらいしかない。

だから沖田さんがそう見えているのなら…事実なんだと思う。

ただこの人が私を見る目は、曇りガラスを通している。
何をやっても、どんな時でも、私のことを『補欠』としか見ない。
たとえ一番隊の要請を受けて任務に就いた時でも、私を邪魔もの扱いする。

たぶん、沖田さんも私を好きじゃないんだ。

「…紅涙、」

土方さんの声に顔を上げる。

「これはあとで話すつもりだったんだが、…実はお前の役職を変えようと思っててな。」
「えっ、変えるって…何に…?」
「「……。」」

土方さんと近藤さんが顔を見合わせ、小さく頷く。
今度は近藤さんが口を開いた。

「キミを参謀にするつもりだ。」
「!!さ、参謀って…」
「任務遂行時の計画をしたり、必要とあれば部隊を指揮することもある。」
「そんな重要な役を……」
「やりましたね、紅涙さん!」

山崎さんが自分のことのように喜んでくれる。

確かに…嬉しい。
自分が認められた証拠でもある。
けど…嬉しいけど……

「どうして私に参謀なんて…」

いきなり過ぎるようにも思う。

「嫌か?」

土方さんの声に首を振った。

「嫌じゃありません。ただ…いいのかなって…。」
「いいも何も、お前のしてきたことの結果だ。」
「キミにはこれまで様々な部隊で支援行動に就いてもらったからね。人間関係の円滑さを含め、他の隊士よりどんな状況にも対応できる存在だと思っている。」
「近藤さん…。」
「円滑ですかィ?俺みたいなのがいるのに。」

鼻で笑うその声を背中越しに聞いた。
土方さんは「十分に円滑だろ」と応える。

「紅涙のこととなると、うるせェくらいに口挟みやがって。」
「それのどこが円滑なんでさァ。」
「気付いてねェのか?お前、本気で嫌いなヤツに対しては無視だぞ。」
「……。」
「総悟は素直じゃないからな。」

近藤さんがニヤニヤした顔で沖田さんを見る。
沖田さんは口をギュッと閉じ、私を見てから「違う!」と言った。

「変な勘違いすんじゃねェ!」
「ガキかよ…。」
「沖田隊長はバリバリのツンデレですからね。」
「山崎ィィィ!!」
「ギャァァ!ちょ、待っ…ギャアァァァ!!!」

抜刀した沖田さんが山崎さんに迫る。
部屋の中を逃げ回ると、「外でやれ!」と土方さんが怒鳴った。

「え、ふ、副長!?ここは沖田隊長を叱るところじゃ――」
「山崎殺す!」
「ヤダ本気!?この人、目が本気なんですけどォォ!!」

山崎さんが叫びながら廊下へ出た。
後に続く沖田さんとドタドタ足音を響かせ、遠ざかっていく。

「アイツら…ちっとは静かに出来ねェのか?」
「ああいうのも必要だろ。」
「必要ねェよ。」

呆れた様子で溜め息を吐き、「とりあえず」と私を見た。

「紅涙の役職が変わるのは1週間後の月初からだ。」
「来月から…」
「どうかな、紅涙君。それでいいかい?」
「……。」

昇進だ。
断る理由はない。

「…はい。今まで以上に精一杯頑張ります。」

頭を下げる。

「頼んだぞ。」
「期待してるよ。」

二人の声に顔を上げる。
優しく穏やかに、それでいて力強い二人の眼差しに、私も頷き返した。

「じゃあ早速お前の意見を聞かせてくれないか、参謀。」
「まっまだ来月からなのに…。」
「構やしないよ。役職の変更は来月だが、この件からキミには参謀として関わってもらいたい。いいかな?」
「は…はい、わかりました。」

なんか照れくさいな…。

「あの例の事件について、相手はどういう人物だと思う?」
「例の事件?」
「さっき話しただろ。『帰りに不審者からスマホ見せられた』って。」

えっ。

「あれって事件だったんですか?てっきり怪談かと…。」
「なんで局長室で怪談話なんかするんだよ。つか『指見せてくれ』なんてオチ、怖くねェだろ。」
「そうか?あれはあれで不気味だろ〜。『見せてくれ』って頼むだけなんだぞ?」
「その先はないんですか?何かされたとか。」
「ねェんだってよ。中には見せた奴もいるが、特に何もせず黙って帰ったらしい。」

同じ内容で相談へ来ているのは3人。
全員が女性。
被害らしい被害もないため、現状では防犯意識を高める程度の対応しかできていないとのこと。

「ここからの帰り道はトシが送ったんだが、二人で歩いてても『背後が気になって落ち着かない』って言ってたんだよなァ?」
「ああ。『まだ肩に叩かれた感覚が残ってる』って。」
「そうですよね。呼び掛けられただけとは言え、あとの行動が気持ちが悪いですし。もしかすると相談に来てない人もいるのかも…。」
「大して何もされてねェからな。変なヤツ程度で終わってることも有り得る。」
「犯人の情報は?」
「顔は上手い具合に隠してて、全員見えなかったんだとよ。分かってるのは――」

黒っぽい笠を目深にかぶった、黒っぽい着物の人。
背丈はそれほど高くなく、体型は細身。

「黒いっぽい、ですか。」
「暗くて色が定かじゃねェんだ。男か女かすらも分かんねェ。」
「女性にしか声を掛けてないってことは、女性の指に興味があるってことでしょうけど…男だとは限りませんよね。」
「ああ。もうちょっと分かりやすい特徴があれば良かったんだが…。」

唸りと溜め息が混じる。
そんな空気に、あっけらかんとした近藤さんの声が響いた。

「俺は指フェチだと思ってるんだけどな〜。」
「ゆっ指フェチ…?」
「近藤さん、ちょっと黙っててくれ…。」
「え、トシは興味ない?女の人の指。」
「ねェよ。アンタも特定の女の指にだけ興味があるんだろ?」
「おう!お妙さんの指だけだ!でも見たらそれだけじゃ済まなくなっちゃうかも〜!」

近藤さんがキャッキャと楽しそうにする。
その隣で、土方さんは神妙な様子のまま「そこなんだよ」と頷いた。

「普通、変質者なら見るだけで終わんねェはずだよな。」
「あ…そうですよね、確かに。」
「ちょ、お二人さん?その言い方だと俺も変質者扱いされてるように聞こえちゃったりなんかして…」
「違うのか?」
「違いませんでした!」

近藤さんがビシッと敬礼する。
私はそれに小さく笑い、「でもありえますね」と頷いた。

「今のところ、近藤さんの見解が有力かもしれませんよ。」
「本気か?見るだけで満足するような変質者なんていねェだろ。」
「好みの指じゃなかったってことですよ。探してる…ってことかもしれませんけど。」
「そりゃ良くねェな…。エスカレートし兼ねねェ。」
「市中見回りの回数を増やしましょう。夜間に限らず、昼間も物色している人物がいないか注視するよう心掛けて。」
「「了解。」」
「あ……、…。」
「どうした?」
「いえ…、なんか…私が二人に指示したみたいな感じになって…すみません。」
「「……。」」

近藤さんと土方さんが顔を見合わせる。
二人でフッと笑うと、土方さんが「ばか、」と私に言った。

「いいんだよ、それで。」
「これから紅涙君の指示を仰ぎ、真選組は行動していくんだから。」
“もちろん一人で策を練らせるわけじゃないから安心してくれ”

二人の視線に、照れくさくなりながらも「よろしくお願いします」と頭を下げた。

「こちらこそよろしく、参謀。」
「よろしくな、真選組参謀 早雨 紅涙君。」
「はい!」


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