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闇夜に動く


参謀に抜擢してもらった後、局長室を出ると「長ェ話」と呟く声が聞こえた。

誰かと誰かの話し声じゃない。
待っていたかのように、私に話し掛けている。

「…何か御用ですか、沖田さん。」

腕を組み、壁へ背中を預ける姿に溜め息がこぼれた。
沖田さんはツンとした顔で私を見て、「…内容」と言う。

「え?」
「こんな長い時間、何を話してたんですかィ。」

何って…。

「事件のことです。夜間に出る不審者の。」
「…他には?」
「参謀のこと…ですかね。それについては沖田さんもご存知のはずですが。」
「その他。」

え…、

「他?」
「それ以外に何を話したんだって聞いてるんでさァ。」

沖田さんがいつも以上に苛立った様子で問いかけてくる。
私は首を傾げながらも、話したことを思い返した。

参謀のこと、事件のこと…
それくらいしかないよね。

「以上です。」
「余計なことを聞いてやせんか?」

余計なこと?

「どんなことですか?」
「俺が…、…その……、…。」
「?」

沖田さんはチラッと私を見て、視線を戻す。

「俺がアンタを好…そんなに嫌いじゃない、かもとかいう土方さん達の勝手な妄想話とか。」
「……、ああ…、」

そう言えば、そんな話もあったっけ。
確か、“沖田さんは嫌いな人を無視するタイプ”…なんだよね。

「『ああ』って何でさァ。」
「い…いえ。そのことについては何も話してませんよ。」
「何も?あの後、俺の話にならなかったんですかィ?」
「はい。」
「マジかよ…あの人達どんな神経してんだ…。」

話してほしかったのかな…。
でもまぁ、

「安心しました。」

邪魔されてるわけじゃなかったんだね。
ああいう態度が、沖田さんなりのコミュニケーションなんだ。

「何の話でさァ。」
「私、そこまで嫌われてなかったんですね。」
“てっきり嫌われてるんだと思ってました”

何も知らないまま『好きじゃない』とか思って、ちょっと申し訳なかったかも。

「は、はァ!?何勝手な解釈してんですかィ。」
「え?だって近藤さんと土方さんが…」
「だからあれが間違い!別にアンタのこと、す、好きとかじゃねーし!」

好きとまでは言ってないんだけど…。

「嫌いだからな!紅涙のことなんか大嫌いだから!」

分かり易い…。

「ありがとうございます。」
「何が!?」
「じゃあ私はこれで。」
「まっ待ちなせェ!人の話を勝手に切り上げやがって…!」
「まだ何か?」
「っ……、」
「?」
「し…市中見回り…、…さっき、増やすって話してやしたが、」
「あ、はい。」

いつからここに立ってたんだろ…。

「今日は…一番隊が出れやすんで。」
「えっ…、」
「いつでも言いなせェ。…じゃ。」

照れくさそうに告げると、沖田さんは早々と立ち去った。

「市中見回り、明日からのつもりだったんだけど……まぁいっか。」

…なんだか沖田さん、

「ちょっとイメージ変わったかも…。」
「昔からああいうヤツだぞ。」
「!?」

真後ろから聞こえた声に、ビクりと身体が震えた。

「ひっ土方さん!?」
「アイツ、お前の前だとほんとよく喋るな。」

自分の肩を揉みながら、土方さんが廊下の先を見る。

「おかげで、なかなか局長室を出れなかった。」
「遠慮なく出てきてもらって良かったのに…。」
「いくら何でもそれは気まずいだろ。告白してる最中だっつーのによ。」

……ん?

「告白?」
「小憎たらしい総悟でも、悪い人間じゃねェから。」
“よろしくしてやってくれ”

ポンと肩に手を置かれた。

…いや、

「え?」

待って待って。
今何を頼まれたの?

「あああの、告白なんてされてません…けど?」
「何言ってんだ、あれは総悟なりの告白だ。」
「っま、まさか〜。」
「……。」
「……、…ほんとに?」
「ああ。」

沖田さんが…私を?

「確認するか?なんなら今から俺が聞きに――」
「けっ結構です!告白していただいても困りますし…」
「タイプじゃねェのか。」
「そっ…そういう問題じゃ…なくて……」

私が好きなのは土方さんですから、
…とは口が裂けても言えない。

言って振られたら仕事がしづらくなるし、普通に話すことも難しくなる。
私はそれほど器用じゃないし、おそらく土方さんも…器用じゃない。

だから沖田さんとのことも同じだ。
“今”を失うくらいなら…このままでいる方がいいに決まってる。

特に、“今”は。

「私は参謀になったばかりですし、しばらくの間は仕事のことだけを考えたいんです。」
「…そうだな。茶化して悪かった。」
「いえ…。」

土方さんは申し訳なさそうに自分の髪を触って、

「じゃあまぁアレだ、今後の市中見回りの編成でもするか。」

副長室の方をクイッと親指で示した。

「はい!」

よかった。

そう思ったのに、
ほんの少し、胸にザワザワしたものが残る。

「……、」

何が原因だろう。
私が“今”を優先したこと?
沖田さんの気持ちを知ったこと?

それとも、

「紅涙?」
「あ…えっと…、筆記用具を取ってきますね。」
「ああ。…?」

それとも土方さんが、
平然とした様子で、私と沖田さんをくっつけようとしたこと…?

だってそれってつまり…
土方さんは私をなんとも思ってないってことで……

……、
……ああもう!

「分かってたのに、…なんか悲しい。」

告白する前に振られた気分だ。
こんな余計な気持ち、考えたくなかったのに。

「違う…考えないようにしないと。」

私に必要なのは前向きな思考。
目の前にある事案を事件化しないためだけの思考だ。



「じゃあ市中見回りを増やす策だが、具体的なお前の案は?」

副長室で地図を広げる。
地図を挟むように二人で座り、
煙草に火を点ける土方さんの向かいで、私は筆を取った。

「今考えている方法としては、夜間に限り、江戸を4つのエリアに分ける一斉巡回です。」
「ほう?」
「2人組みを1班にして各エリアに配置。同位置から巡回を開始せず、反対側から巡回を始め、いくつかの場所で班が交差するようにするんです。」

メモ用紙に、網目のような図を書きながら説明する。
土方さんは眉間に皺を作り、灰皿を寄せた。

「かなり複雑な順路になりそうだな。」
「その方が不審者にも想定しづらくて良いかと。」
「そりゃそうだ。なら昼間はどうする?夜間より人を確保しづらいぞ。」

昼間は一般市民からの通報もあって出動件数が多く、時間を余している隊士自体が少ない。
どうにか人を集めて4班を構成したとしても、緊急出動できる隊士がゼロというのは問題だ。

「昼間は通常通り2班の巡回で現状維持を考えています。都度、積極的に出てもらうくらいしか出来なくて…。」
「いいんじゃないか?屯所にいる人数を制限して、それ以上いる時は巡回へ回せばいい。」
「みんなには少し忙しくさせてしまいますね…。」
「気にすんな。退屈させるよりは何倍もいい。」

「よし、」と煙草の煙を吐き出す。

「明日の夜間見廻りから始めるか。初回は一番隊から3班、三番隊から1班の4班で編成する。」
「そんなに一番隊から出してもらって平気でしょうか?」
「総悟が出せるっつーんだから大丈夫だろ。」

煙草を揉み消しながら笑う。

「いざとなりゃ俺も出るし、どうにかなる。」
「よろしくお願いします。」
「おいおい、お前も出るんだぞ?他人事になってねェだろうな。」
「なってませんよ。私が職務質問する気満々です。」
「くくっ、そりゃ頼もしい話だ。」

この巡回内容は今夜中に土方さんの手でまとめられる。
皆へ説明するのは明日の朝だ。

取り急ぎ、一番隊と三番隊の隊長にだけは伝えた。
三番隊隊長は「わかりました!」と快諾しとくれたものの、

一番隊隊長こと沖田さんからは、

「用意できるか分かりやせんが、聞くだけ聞いといてやりまさァ。」

と、あまり期待できない返事を貰った。
でも土方さんが、

「面倒くせェやつだな。『頼られてスゲェ嬉しい』ってよ。」

と通訳してくれたおかげで快諾と知る。
もちろん沖田さんは「勝手な解釈だ!」と文句を言ったけど、そこは「おやすみなさい」と襖を閉めてきた。

「ひとまず明日の巡回は大丈夫そうですね。」

副長室に広げていた地図を畳む。
土方さんは湯呑みを持ちながら、「そうだな」と言った。

「デカイ事件になる前に、不審者から話を聞かねェと。」
「ですね。ただの指フェチならいいんですけど…」
「いや、人に声かけてる時点で若干アウトだから。」
「そうですか?」
「考えてもみろ、尻フェチが『尻見せてください』って言ってるようなもんだぞ?」
「尻!?土方さん、お尻が好きなんですか…?」
「ばっ、例えばの話だ!ったく…危うく落とすところだったじゃねーか。」

湯呑みを慎重に置き、息をつく。
その時、バタバタと廊下を駆ける足音が聞こえた。

「副長!!」

勢いよく襖が開く。
開けたのは山崎さんだった。
息を切らす様子に、ピリッと空気が張り詰める。

「…何事だ。」

険しい表情の土方さんに、山崎さんは頷き「不審者です」と言った。

「えっ…また?」
「はい、それも今度は被害者が切りつけられて…」
「「!」」
「現場は。」
「すぐ近くです。」
「ナメやがって…」

土方さんが煙草の箱を握り潰す。

「ただ、一件だけじゃないんです。」
「一件じゃないって…」
「どういうことだ。」
「一人の聴取を終えると、また新たな被害報告が来まして…。」
「そんな…、やっぱり犯罪の前兆だったんだ…。」
「いや、まだ同一犯とは限らねェだろ。」

そう言われてハッとした。
先入観は参謀に最も不必要なもの。
気をつけないと…。

「被害は全部で何件だ。」
「把握してるのは2件です。今も最後の現場で被害者に聴取してますが、向かわれますか?」
「当たり前だろ。行くぞ、紅涙。」
「はい!」

「俺も行きまさァ。」

山崎さんの後ろにスッと沖田さんが現れた。
既に帯刀している姿に、少し驚く。

「なんだ総悟、盗み聞きか?」
「あんな足音を聞けば犬でも何かあったと思いやすぜ。」
「…まァいい。行くぞ。」


山崎さんの案内で私達は現場へ向かった。
場所は屯所から近いとは言え、閑静な住宅街。

「人通りが限られますね。」
「住居しかありやせんからねィ。」
「暗過ぎるってわけじゃねェが、明るいわけでもねェな…。」

同じような道は江戸のどこにでもありそうだった。

こんな場所、私達はどう警戒すればいい?
江戸の街全てに目を行き届かせることなんて――

「あそこです。」

山崎さんが指をさした。
街頭の下に、原田さんと二人の女性が立っている。

「被害者が二人いますぜ。」
「一件目の被害者にも立ち合ってもらったんです。何か共通点があるんじゃないかと思いまして。」
「…おい山崎。」

土方さんが眉間に皺を作る。
先程よりも一層険しい顔つきだった。

「どうしました?」
「あの二人が…今回の事件の被害者なんだな?」
「そうですけど…」
「……。」
「土方さん?」
「被害者と知り合いですかィ?昔、最低な振り方をした相手とか。」
「違ェよ。ただ…その方がまだマシかもしれねェな。」

はぁ、と溜め息を吐く。
そして「あの被害者は、」と続けた。


「あの被害者は、二人とも不審者に声を掛けられてた相談者だ。」


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