動揺
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その日のオリエンテーションを無事に終え、退社時間になった。事務の一条さんは、合コンがあるからと時計の針が天辺をさすのを待ちわびていたように席を立ち「お疲れ様でーす!」とトーンの高い声で退社して行った。
パソコンに再び目を移すと新着メール1件。開いてみると送信元は" t.okura"と書かれていて、クリックして開くと"仕事終わる?"と短い文章で書かれていた。"もう少しで終わるよ"と返した。席を立って喉の渇きを潤す為にと廊下に出た。廊下の一番奥は落ち着けるウッディーな色合いの空間に、喫煙室とコーヒーマシンと自販機、テーブル、ソファーが幾つか並ぶ休憩所になっている。コーヒーマシンのボタンを押すと、コーヒーのいい香りが休憩室に広がった。喫煙所の椅子に腰掛けタバコに火をつけると、ふと「お先に」と帰っていった彼の事が頭に浮かんだ。
『はぁ...』
大きなため息が出るとガチャリと扉が開いた。顔を上げると、ビシッと決まった黒のスーツに、お気に入りだというダークグリーンのネクタイをした忠義が扉から顔を出した。
「あー、居った」
『終わったの?』
「おん、なんてったって今日はノー残業デーやで。クリエイティブに居らんからここかなと思って来たらビンゴ」
隣に座った忠義もタバコに火をつけた。仕事が終わった後、ここでゆっくりタバコを吸いながらコーヒーを飲むのが好きで習慣になっている。
「そろそろお腹空いた?」
『うん、空いた』
「食べに行こか」
『うん』
タバコの火を消して会社を出た。やっぱり忠義とは働く場所が一緒のせいもあってプライベートでも仕事の話になることが多い。出来るだけしないようにとは思っているけど、何だかんだ行き着くところは仕事の話なのだ。
「今日から来た大阪の人どんな人やった?」
『...えっ?』
「異動、してきたんやろ?」
『あぁ...うん』
忠義の質問に分かりやすくフォークからトマトを落とすなんていう動揺をしてしまった。慌てて刺し直して口に運ぶと、酸味が強い気がした。
「俺今日外回りやったからまだ会うてへんねん。マルがやり手言うてたけどどうなん?」
『えっ、あぁうん、向こうでは大きい企画もやってた人みたい』
「へー、イケメン?」
『一条さんはかっこいいって騒いでたよ』
「あの子面喰いやからイケメンなんやろな」
『忠義もよく言い寄られてたよね』
「俺は最初から名前しか見てへんよ?」
新しい人が来たらどんな人?なんて聞くのは当たり前というか、そんなの普通なのに。元カレだよ、なんて当然言えるわけもなくて「明日は会えるかなー」なんてハンバーグを頬張る忠義にぎこちない笑顔を送った。