3話

ありがとうございました、という声を聞きながらお店をあとにする。あの後何かと話しかけてくれた安室さんとお話ししていれば、気づけばもう閉店ギリギリの時間になっていた。流石にもうでなくては、と思い彼にお会計をお願いしたのだが、その際「また来てくださいね」というお決まりワードを言われ、思わず曖昧な笑みを浮かべることしか出来なかった。また来るも何も、今から死ぬのだからもう会うことはないだろう。最後にいい夢見させてもらって満足です。しかもいっぱい話しかけて貰えたしもう最高すぎかな???リップサービスがすぎる。なるほどこれはモテるわ〜〜〜。むしろモテないわけがない。あんなに気さくで話上手なのだ。閉店間際に駆け込んできたぱっとしない女にですらあの対応。神対応すぎる。ほんとモテないはずがない(二回目)お礼課金ってできないのだろうか。あの顔面にお金を振込みたい。振り込ませてくれ……。

電車に揺られながら見知らぬ土地を移動する。電車乗り換えサイトを目にしながらいちばん手近で、それなりに距離がある海場へ向かう。
夜の海で命を絶てるなんてロマンがあるなぁと思う。かの有名な太宰治は自殺願望が強かったらしいが、なるほど、なんとなくわかる気がする。何せ月が綺麗ですねと書いて愛していると読んだ人だ。綺麗に死にたかったのかもしれない。完璧な死、というのはちょっと違うかもしれないが物語のある死………綺麗な死……ロマンのある死に方をしたかったのかもしれない。例えば、悲劇の結末…ロミオとジュリエットのような美しい死に方をしたかったのかもしれない。偉大な文豪が考えることだ。一般人であまり頭の良くない私が考えても仕方ないとはいえ、電車に揺られている間考えることがなくてずっとその事を考えていた。あ、安室さんの顔はやっぱりよかった。

海の最寄り駅についた。ホームを降りて改札に向かえば潮の香りが薄らとした。海に来たんだなぁ。海なんてもう久しく来ていなかったので少し懐かしい気持ちになる。そう言えば元彼と来たことも会ったような気がする。……元カレ?いや、私は元彼と海に来たことなんてあっただろうか。流石にこの年なので恋愛経験は多いとは言わないがそれなりにあるが、それでも彼氏と海に来たことなんてなかった気がする。記憶が曖昧になっているのかなぁ。なにかの本で読んだのを自分の記憶と履き違えただけ、とか。私は首をかしげながら改札を出るとそのまま案内板に従って海へ向かった。

「……………静かだなぁ」

夜の海は予想通り、誰もいなくてひっそりとしていた。歩いているのも私だけで、夜だからか海の色も黒く見える。正直、ちょっと怖い。真っ黒な海に食べられてしまいそうでその広さに少し足を止まらせた。……今から、本当に死ぬのかぁ。なんだか現実味がない。もし前みたいに助かったとしても、前回のように後遺症なしというのは難しいだろう。もし助かった場合。その時は後遺症も覚悟しなきゃな、と思いながら、しかし、もし失敗した時はそれよりも絶望感が半端なさそうだなと思った。頼むから失敗してくれるなよ……そう願いながら足を進める。もう失敗してあんな思いするのは御免だ。波の音がザザン、と静かに響いた。本当に穏やかな夜だった。

岩場を登り、立ち入り禁止のロープをくぐって崖の上に立つ。思ったよりもあっさり着いてしまった。そのことに困惑しながら崖の上に立った。あたりの海一面が一望出来るとはいえ、夜なので海は真っ暗だ。真っ暗な海はどこまでもどこまでも続いていて、やはり少し怖かった。だけどこんなことで怯えている場合ではない。もう少し…もうちょっと…あとすこしだけ………なんて足を進めるのを嫌がる自分を押さえつけて気合で足を踏み出した。心臓が嫌な音を立てる。あの時の気持ちを思い出して少し笑いが出た。本能が死にたくない、生きたい、と言っているのだろうか。生命の危機に直面した体は思うように動かない。まるで鉛のようになってしまった体を無理矢理動かしながらもう一歩、足を進めた。あといっぽ、あと一歩踏み出せば私は………崖から落ちる。

「………さよなら」

在り来りな言葉を口にして更に足を進めようとした時、後ろから誰かの怒声が飛んできた。瞬間的に体がこわばり、やってしまったと感じる。誰だか知らないが、この声から察するに誰かに見つかったのは間違いないだろう。なぜ見つかったのだろうか、ここは、立ち入り禁止の区域なのに!ロープを掻い潜って崖を登っていく姿を見られたのだろうか。混乱する頭で考えながらも慌てて振り向こうとすれば、だけどその拍子に足を滑らせた。あ、と思う間もなく傾く体。私はそのままあっさりと、崖から落ちた。悲鳴をあげるまもなく体が宙に浮き、かなり高さがある崖から吸い込まれるように海に落ちていく。最後に見たのは………

「あ、安室さん……!?」

何故か最推しの顔であり、さっきまで私に笑いかけてきた人物だった。