セフレだと思い込んでいる彼女はストーカーのことを話せない 3/3

あれ?と気づいた最初の違和感。
私のマンションが……ない?いや、そうじゃない。私のマンションどころか周りの景色すらいつもと違うのだ。アルコールでぼぉっとした頭で事態の可笑しさを噛み砕くも、うまく考えがまとまらない。

「大丈夫?歩ける?」

「ねぇ……ここ、どこ?」

後ろを歩くなんとかくんの方を振り向こうとした瞬間、聞き覚えのある音に背筋がこわばった。

コツ、コツ……。響く、革靴の足音。思わず体を竦めて息を飲んだ私に、気づいたのか気づいていないのか。なんとか君はそのまま私の方へとやってきた。隣に彼が連れ添うようにたち、私の顔を覗き込んでくる。

「っ……!!!」

その顔を見て、愕然とした。

今まで話していた彼の顔はいまやどこにもなく、あるのは不自然なくらいに歪められた彼の顔。瞳孔が開いていて、息遣いが荒い。まるで犬のようだ。反射的に危険を感じてすぐさま後ろを振り返るも、そこには先程まであったタクシーの姿はない。やられた………!
未だに信じられない思いで彼を再度見る。脳が警笛を鳴らして、あたりに人ひとり見当たらないのが恐怖に拍車をかけた。

ここはどこ?見えるのは薄暗い路上……車一台横付けするのがやっとな道に、簡素な一軒家がひとつ。当たりには建物と思われるものが何件か並んでいるが、声を出したところで誰か駆けつけてくれそうな雰囲気はない。
心臓が嫌な音を立て始めた。

「ま、まさか」

「本当に気付かないから笑っちゃうよな、ねえ、本当にわかんなかったの?」

勝者の余裕だろうか。歪な笑を浮かべながらゆっくりと近づく彼。反射的に思わず後ずさる。

「わざとこの靴で来たっていうのに。気づかないんだもんねぇ。頭平和にも程があるでしょ!ははははは!」

「ねえ、まって…いつから、だってあなたは、」

考えがまとまらない。酔いなんてもうとっくに覚めているはずなのに、足元はやはりふらつく。私にゆっくりと近づく彼から距離を取ろうとさらに後ずされば、トン、と背中が塀当たった。……もうこれ以上は後ろにはいけない。
それを見た彼が猟奇的に笑う。開かれた、目がおかしい。私を見る目が、まるで狂ってる。人に対してこんなにも気持ち悪い、気味が悪いと感じたのは初めてのことだった。

「あの女はなー、クズなんだよ!!人を見下しやがって!クソ!クソ!クソ!!」

「きゃっ…!!」

突然乱暴に手首を掴まれて、力の限り握りしめられる。一般男性の思い切りの力で手首を握りしめられれば一般女性の、それも運動音痴と名高い私には逃げられるわけもなく。その痛みに思わず顔を顰め、ついで悲鳴をあげてしまった。

しかし悲鳴をあげたものの、彼にはまるで聞こえないかのようで叫ぶように彼女……婚約者の鬱憤を次々と口にしていった。

コンプレックスだとか、偉そうだとか、親にコネがあるから逆らえないだとか、最終的には彼女の目すらも気に入らないという理由で何故か代わりに私が、手首を開放された代わりに肩を強く掴まれた。やっぱりめちゃくちゃ痛い…!アルコールでふらつく体だ。抵抗しようにも一般男性を退けるほどの気力もなければ力もない。

「でもお前は違った!」

「は……?」

「お前みたいな純情でおとなしそうでいうことを聞くような女………俺はお前みたいなのがいいんだよ!!」

「っ…痛……ッ!」

一方的に暴論を投げかけられて、パッと肩を話されたかと思うと再度また手首を掴まれる。痛みで涙がじんわりと滲む。涙腺が弱いのはアルコールのせいだ。アルコールのせい。だけど痛いのは確かで、本当に痛い。痛みに耐えるのがやっとで反論するのもままならない。

しかし手首を握った彼がそのまま私を引きずるように歩こうとするのを見て、サッと血の気が引いた。目の前にある一軒家。ここが、彼の家だとするなら。もしや私は彼の家に連れていかれそうになっているのでは……?

推測は三秒後には確信に変わり、私は痛みにこらえながらもじたばたと抵抗した。叫んでも誰も来てくれないのはわかっている。

だけど抵抗しないわけにはいかない。大人しくこのまま家に連れていかれるなんてそれなら死んだ方がマシだ。私は安室さんが好きで、安室さん以外の人間に触られるなら死んでもいいと本当に思っていた。

「いや!はなして!いや!!!」

「なんでだよ!?!?なんでお前まで……!?ああ!?」

「っ、離して!離して!!!」

怒声に威圧され萎縮しそうになりながらも必死に声を上げる。丁度、そのタイミングだった。
パッパー、と私とそいつしかいない路地に、クラクションが鳴り響いた。ついで、私と彼がパッとカーライトに照らし出される。なんとか君……いやもうストーカー犯でいい。ストーカー犯が眩しそうにして手を緩めた隙をついて、私はその場から駆け出した。誰がこんな辺鄙な地に来たのかは知らないが絶好のタイミングだ。私はふらつく足を叱咤して地面をかけると、そのまま車の横を通り過ぎようとした。そして………

「ぅわっ……!えっ、えっ………!?」

白い車の横を走って通り過ぎようとしたものの、その時に車のドアが空いて少したたらをふむ。この車右ハンドルか……!いや普通はそうだな!そうか!しかしこんなことに時間を取られている暇はない。一刻も早くストーカー犯から逃げださなきゃいけないというのに。軽く舌打ちして、左側からの道路から抜ければよかったと思う。しかし言ってももう遅い。車一台をギリギリ止められる路地裏で、扉が開いてしまえばもう空いてる道は片方しかなくなる。しかしそんな時間ロスを食らっていたら間違いなく捕まる。ここは申し訳ないが強行突破させてもらうことに………と、思った時。

するりと誰かに腕を取られた。驚いたのもつかの間、誰かの胸元に頭を押し付けられてる。もちろんパニックになった私は抵抗するも、そこでやっとその車体に目がいった。……何度も見なれた車。白の、RX-7………。

「あ、安室さ………」

「これは、どういうことかな」

驚いて安室さんの方を見ようとするも、まるでそれは許さないとばかりに顔を胸板に押し付けられた。苦しいけど、それよりも安心する匂いを感じて一気に涙腺が緩んだ。やっぱりアルコールはダメだ。涙腺を馬鹿にする。ぽろぽろと溢れ出す涙は安室さんの白いニットにじんわりと染み込んでいて、この分だと多分安室さんにも気づかれてしまうだろう。

だけどそんなことよりも私は助かったという安堵感でそれどころでは無かった。まじで強姦されるかと思った。ほんとにマジで。

「なっ、なんだよお前!?」

ストーカー犯の慌てる声がする。

安室さんは私の背中をポンポン、と優しく叩くと運転席の扉を閉めて、後頭部席の扉を開いた。そして優しい手つきで私の腰を押すと、

「少し待ってて」

と声をかけた。怖いくらい優しい声なのに、一瞬見た瞳は驚くほど冷たくてその温度差に驚いた。私は何も言えずにこくり、と頷くだけにとどめて、彼の帰りを待つ。

涙で滲む視界で、フロントガラス越しにストーカー犯が安室さんに殴りかかるのが見える。一瞬ひやりとしたが、安室さんはなんてことなくそれをひらりと交わした。そして素早い動きでストーカー犯に強い一撃をお見舞する。確かあれは………朧気ながら、安室さんがボクシングを趣味でしている、と聞いた時に調べて名前だけ知っている技名。確か、アッパーカット。
下から突き上げて顎を狙う技らしいが、めちゃくちゃ痛そうである。しかし犯人に同情する気は微塵もない。もっと言えばそのまま永遠に痛みに悶絶していて欲しい。