【Lavie】
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煌めくステージ。
心を揺り動かす音楽。胸に届かせようと響く歌声。視線を奪おうとするダンス。
そこへ行きたいと思った。
そうしたら、何者かになれる気がした。
「夏って俺、とっても好き」
通りがかりの店でアイスを買った茉莉が無邪気に笑う。
「アイス美味しいし、太陽キレイだし、なんだか背が伸びそう」
「茉莉らしい理由だなあ」
「侑人くんは夏好き?」
「おう、好きだよ」
「なんで?」
茉莉は意外と、と言うと失礼だが、こういう話に理由を求める。
ただ理由はなんでもいいらしく、桂樹あたりが上手く受け流しているのをよく見かける。
「外が明るいと、なんか気持ちも明るくなる気がする」
「あ、わかる〜。明るいのいいよねぇ」
数ヵ月先には「秋ってとっても好き」と笑うであろう茉莉は、天真爛漫を形にしたような人物である。昔はこんなんじゃなかった、とは本人談だが、詳しくは話そうとしないので聞いていない。
明るく見えても、人生いろいろあるものだ。二十代半ばで何をと笑われるかもしれないが。
目に見えるものがすべてなら、世界はなんとわかりやすいことだろう。そうでないから面白いと思うこともあれば、そうであってくれたならと願うこともある。
「あっ、もうこんな時間。歯磨きしたら休憩終わっちゃう。ごめんね侑人くん」
「なんだよ、いいって。美味い店教えてくれてありがとな」
「もぉ、侑人くんはなんでそんなに優しいの?」
この問いかけも初めてではない。
「普通だよ」
「いいやぁ。スーゴく優しいよ。桂樹くんとかも優しいんだけどね、なんか侑人くんのはちょっとちがくて」
悶々とする茉莉を見守りながら、事務所ーー自社ビルの裏エントランスを顔パスで抜ける。このラグジュアリーな建物を事務所と呼ぶと味気ない感じがするが、他になんとも呼びようがないのだから仕方がない。
「あ、サービス精神? 侑人くんは優しくて、サービス精神がスゴい」
「ええ? そうか?」
「すっとぼけてもダメだよぉ。侑人くんはいつも俺を喜ばせようとして嬉しいこと言うんだもん。だからみんな侑人くんのこと好きになっちゃうんだよ」
エレベーターに乗りこみ、知らないの? とばかりに顔を覗き込んでくる茉莉に思わずたじろぐ。今は侑人のほうが嬉しいことを言われているわけだが、茉莉は少々侑人を買い被っているような気がする。
「茉莉が嬉しいならよかったけど、俺はそんな大した奴じゃねえよ」
「えぇ、ウソだぁ。侑人くんはスゴいんだよ。歌もダンスも上手で、カッコよくて優しくて、もう最高だよ」
「いや嬉しいけど、そりゃ褒めすぎだって」
笑って言うと、茉莉が急にむくれた。
「俺がそう思ってるんだからいいのっ。侑人くんはスゴいの」
「あ、えぇ、そうか……? ありがとな」
「うん、いーよ」
今度は満足そうににこにこしているのでほっとした。年齢も身体も立派に大人な茉莉だが、時折小さい子どもの相手をしている気持ちになる。なんとも表現しがたい不思議な魅力だ。
サービス精神か、と茉莉の言葉を反芻した。わざわざ喜ばせようと言葉を選んでいるつもりはない。どちらかといえば相手が傷つくのを避けているのだが、それが好転しているのかもしれなかった。
地球の裏側まで力が及べば言うことなしだが、それが容易でないことくらいわかっている。せめて関わる人々には、できる限り悲しい思いをしてほしくない。
しかし本当は茉莉が言うように、喜ばせようと動くのがショーマンなのだろう。どうしてマイナスの原動力で動いてしまうのだろうか。
予定していたレッスンを終えると、夏だからというのもあるが、まだ明るいうちに帰路についた。夏の夕方など昼間と相違ないような明るさだが、やはりそれらしい静けさはある。
事務所の近くに住んでいるおかげで、混雑というものに悩まされることはない。近くと言っても侑人の足で二十分はかかるが、散歩と思えば程よい距離だ。
実家とて、電車に乗って一時間も掛からない。今は月に一度帰るか帰らないかというところで、ふと妹にせっつかれていることを思い出す。顔を見せないとふて腐れるのだから可愛いものである。喧嘩らしい喧嘩をしたことはない。四つ歳が離れていることもあるかもしれない。
昔から家族仲は良いほうだ。記憶の限り、花見も毎年していたし、夏休みには祖父母の家がある田舎に遊びに行って、ほとんどの時間をそこで過ごしていた。運動会やらの行事には両親揃って参加が当たり前、クリスマスも正月も、誕生日も、世間が特別とするような日は、いつも家族で楽しむものだった。
『侑人くんは本当に優しくっていい子ねえ』
小さい頃からいろいろな人によく言われた。
誰かが泣いていれば慰めに行き、誰かがいじめられていれば間に入り、誰かが頑張っていたらたくさん褒める。特に何か考えていたわけでもなく、そうせずにはいられないからそうしていただけだったが、そんなところもまた「優しくていい子」だと思われていたらしい。
『侑人は本当にいい子』
両親もよくそう言った。
愛しげに言われるのがくすぐったくも嬉しかったし、例えそんな風に言われなくとも、悪いことをしようなどという気持ちはまったく起こらなかった。優しい両親を悲しませるようなことはしたくないし、生まれたばかりの可愛い妹に胸を張れないようなこともしたくない。
家族が大好きだった。
でも何故か、時折ふと妙な心地になるのだ。
違和感と呼ぶにも値しない、微かな感情の陰り。
それは例えば、何気なく家族の顔を見つめてみた時。
そして例えば、なんでもない日常の瞬間まで写し、大切にしまってある写真の中に、生まれた時の写真がないことに気がついた時。
お母さん、と何気なく呼び、その先を尋ねようとしてやめた。
『どうしたの?』
この優しい笑顔が、悲しみに歪むところを見たくなかった。
なんでもなかったことにした。
しっかりして見えて、たまにうっかりしているところがある母のことだ。なくしたのかもしれないし、そもそも自分の知らない場所にしまってあるだけかもしれない。
ただの気のせいだ。
『よく来たねぇ』
小学生最後の夏休みは、やはり母方の祖父母の家で過ごした。
車から降りて顔を見せると、喜びいっぱいに迎えてくれる祖父母のことも大好きだった。
見渡す限り、緑と青が広がる美しい景色も。
見慣れているのに、初めて食べた心地がした取れたての野菜も。
蝉の声の合間に響く涼やかな風鈴の音色も。
夏の風に乗って甘く香る草花、そこに混ざる蚊取り線香の匂いも。
澄んだ小川の冷たさも。
五感が覚えている。夏は生命が輝く季節だと知っている。
開けた窓から抜ける夜風。ふと誘われるように目を覚ました。
妹を寝かしつけながら一緒に眠ってしまったらしく、身体にはタオルケットが掛けられていた。妹を起こさないよう身体を捩ると、障子越しに明かりが漏れている。
『侑人は本当にいい子だねぇ』
祖母の優しい声。
そうよ、と母の嬉しそうな声。
たまに心配になるくらい、と父が柔らかく笑う声。
自分が本当にいい子なのだとしたら、それはこの両親の間に生まれたからに違いない。
こんなにも優しくて、温かくて、幸せな家族。
絶対に、
『血ぃが繋がってなくても、あんたらの子だねぇ』
祖母の優しい声は、その時ばかりはまるで呪いのようだった。
急にすべての感覚が遠退く気がした。でもどこかで納得していた。
信じたくなかっただけだ。
いつも笑顔でいる大好きな両親も、隣で眠っている大切な妹も、本当の家族じゃないーー。
身体に穴が空くような喪失感。
積み上げてきた幸せと信頼が、ゆっくりと崩れ落ちていく絶望感。
やがて感情の底へと辿り着き、初めて虚無というものを味わった。
眠れなかった。やがて障子が開き、小さな笑声を漏らした母のタオルケットを直す手に、不意に涙が出そうになったが我慢した。みんなの寝息が聞こえるまで、ずっと眠ったふりをした。
誰もが寝静まった頃。ようやく瞼を持ち上げて、窓の向こうで夜が深まっていくのを、ただぼんやりと眺めていた。
胸が空っぽだ。
ふと思う。このまま朝になったら、どうなるのだろう。
朝日が昇って、すべてが晒されて、どこの誰かもわからないこの身は、焼かれて消えてしまうのではないだろうか。
それでもよかった。
『おはよう、侑人』
しかし朝になっても、世界は何も変わっていなかった。
今起きたふりをして出てきた侑人に、両親は変わらず笑いかけた。妹は変わらず傍を離れようとしなかった。祖父母は変わらず、畑に侑人と妹を呼んで、二人に一番美味しいとうもろこしをくれた。
幸せな日々に偽りはなかった。
この上ない愛情を注いで育ててくれた両親も、甘えたな可愛い妹も、本当の家族に違いなかった。
消えてしまわなくてよかった。侑人が消えてしまったら、きっと両親も妹も悲しむだろう。
「生まれた時の家族」のことも、知らなくていい。気にならないと言えば嘘になる。でも両親は、侑人が本当のことを知っているとわかったら、苦しい思いをするだろう。
いつか話そうと決めているのかもしれないし、一生話すつもりはないのかもしれない。どうするべきか迷っているのかもしれない。
どちらでもいい。
本当の子どもでない侑人を、こんなにも愛して育ててくれている。それだけで十分だった。尊敬も感謝も、どれだけしても足りないくらいだ。
中学生になっても、自分なりになんでも一生懸命取り組んだ。
周囲の期待に応えたい気持ちは強くなっていた。望まれることを望まれる以上に。そしてその度に何故か、いつか感じた空虚が訪れるようになる。
本当の自分とは何者か。
誰から、いつ、どこで、何故生まれたのだろうか。
高校に入る前、両親から養子であることを打ち明けられた。
両親をもっと尊敬した。話してくれたことに感謝して、詳しいことは何も聞かなかった。
聞けばよかったのだろうか。でも、これ以上つらい思いをさせたくなかった。
『兄ちゃん』
両親の前で気を張っていたぶん、妹の前では緩んでいたのだろう。珍しく元気がないと心配したらしい妹は、自分なりの元気の源を観せてくれた。妹がアイドル好きなことは知っているが、そうと思われるのが恥ずかしいのか、普段は堂々と観るようなことも共有するようなこともしなかった。
『これがね、一番元気でるんだよ』
そしてテレビ画面に映し出された、煌めくステージ。
観たことがないわけではない。
ちょっとしたニュースだったり、テレビ番組だったり、触れる瞬間はあったはずなのに。
心を揺り動かす音楽は。
胸に届かせようと響く歌声は、視線を奪おうとするダンスは。
こんなにも魅力的だったろうか。
『元気なくなったら、貸してあげる』
妹はそう言ったが、また借りようとは思わなかった。
その代わり、無性にそこへ行きたいと思った。
他の誰の意思でもない、自分の意思で、自分自身のために。
そうしたら、何者かになれる気がした。
あの時感じた何者かへの憧れというのは、自分で自分の存在を認めてやりたい気持ちだったのだろうと思う。
あれから、二つだけ両親に聞いたことがある。
誕生日は、乳児院の敷地で見つかった日であること。
そして名前は、今の両親が付けてくれたこと。
不思議と足が地についたような心地になった。だからそれ以上はもう聞いていない。
「侑人くんはやっぱり、根っこがアイドルだよね」
見事な晴天と向日葵畑を背景にMVを撮影する中、茉莉がしみじみとして言った。
昔の話かと思い至る。高校生の頃、【vivid gem】の前身となる事務所でアイドルグループに所属していた。レッスン期間も含めて三年ほど活動したが、事務所の改変やメンバーの脱退などがあり散り散りになってしまった。しかし得られた経験は確実に今に生きている。
「歌ってる時も、踊ってる時も、そうじゃない時だって、スゴくキラキラしてるもん」
「茉莉は褒め上手だなあ。でも俺にとっちゃ、お前らのほうがキラッキラして見えてるよ」
「うぅん」
その顔にいつもの子どもっぽさはなかった。
茉莉の瞳が慈しむように細められ、侑人を見つめる。
「一慶くんも桂樹くんもホントにスゴいよ。でも侑人くんには、侑人くんにしかないキラキラがあるんだよ。だから俺、侑人くんの大ファンなの」
一度空っぽになった胸も、気がつけば宝物でいっぱいになっていた。
こんな風に自分を見てくれている人がいる。支えて応援してくれる人がいる。待ってくれている人がいる。
「ありがと。俺も大ファンだ」
「侑人くんの?」
「あっはは、ちげぇって。茉莉の、そんでLavieの……でも、そうだな」
自分が『千鶴侑人』である証が欲しかった。
そして今、これまでに触れてきた何もかもが、確かに自分自身を形作っているのだと思える。
「今の俺なら、ちょっとくらいは好きになってもいいかもな」
夏風に揺れる向日葵が生命の輝きを囁いている。
たとえ望まれて生まれた身ではなかったとしても、侑人の人生が輝くことを望んでくれる人がいる。
家族。友人。仲間たち。ファンと言ってくれる人々。そして誰よりも、自分自身がそう望んでいる。
ステージで輝くことが恩返しになるのなら、この上ない幸せだった。望むまま、求められるまま、最高のパフォーマンスを届けよう。
願わくは、まだ見ぬ誰かにも、人生を輝かせる契機を与えられるように。
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