【Lavie】
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いいなぁ。
口に出してしまってから、こちらを向いた一慶の顔を見て、急いで言い訳を考えた。

「一慶くんの、新しいウェア! やっぱカッコいいね」
「お前、見てなかったんじゃないだろうな」

見ていなかったなどとんでもないと首を横に振る。実際、流麗に動く一慶の身体から目が離せなかったのだから嘘ではない。
いかにも怜悧な面差しは、見事なパーツの配置と居丈高な振る舞いのおかげで恐怖さえ感じさせる。腰に手を当て、じろりと見据えられれば自然と背筋が伸びた。

「ちゃんとわかったよ。こうきて、こうでしょ?」
「さっきよりマシだな。腰はもう十センチ落とす気持ちで行け」
「こっ、こうぅ?」
「トレーニングサボってるだろ」

踊っている時はどこにそんな感情を隠し持っていたのかと思う程豊かな表情を魅せるのに、普段ときたらおおよそ無表情、もしくはこのしかめっ面だ。そして茉莉の新しい服にも、靴にも、ネイルにもまったく触れてこないくせ、トレーニングを怠ろうものならすぐに見咎められる。項垂れると、一慶はやっぱりなと呆れた息をついた。

「えっとぉ……ちょっと、三日くらいお休みしたかも……」
「三日ぁ?」
「い、一週間かも」
「メニューがキツいなら早く言え。サボるくらいなら軽くして続けたほうがまだいい」

突き放すような物言いは相変わらずだが、出会ったばかりの頃を思えば、まだ柔らかくなったほうだ。一慶なりの優しさが滲んでいるのであろう言葉に笑顔で答える。

「うん」
「何笑ってんだ。反省しろ」
「ゴメンナサイ」

それからまた三十分、一慶の指南を受けながら、理想の動きを身体に叩き込んだ。トレーニングをサボっておきながら理想は手に入れたいというのだから、呆れられるのも無理はない。
でもどうしたって、気が乗らない時もある。面倒だったり、疲れていたり、飽きてしまったり。

「一慶くんはスゴいよね」

夜は秋の訪れをより近く感じる。ビルが建ち並んでいても、人工的な香りが混ざっていても、季節の移り変わりは肌で感じられる。
駅まで十分で歩いてしまう一慶が、一緒になった時の帰り道は十五分かかる茉莉に合わせてくれるのだから、やはり優しくなくはないのだと思う。

「何が」
「何って、なんというか、ダンスに一途なところが」

隣で怪訝な顔をしているのが見なくともわかる。しかし他に上手い表現が見つからなかった。
ダンスに傾ける情熱。執念さえ感じる程のそれを、常々羨ましく思っていた。なんのために生きているか問われたら、迷うことなくそれと答えられるようなものが欲しい。
一慶はくだらないと思ったのか、特に何も答えなかった。それはそうだ。そもそも中途半端が嫌いな一慶に、茉莉がよく思われているはずがないのだ。
空を見上げるとまさしく、満月に至らない月が浮かんでいた。



故郷かどこか聞かれる度、答えに迷う。

『ごめんね、茉莉』

生まれた地を答えるにはあまりに愛着がなく、育った地を答えるにはあまりに選択肢が多すぎた。両親の転勤が多く、記憶の限り三年住んだ場所はない。そういう家庭に生まれたのだから仕方のないことだった。
両親は謝ったが、人間は慣れる生き物だ。友達らしい友達ができる前に新しい場所に引っ越すので、ある意味寂しさも感じづらかった。茉莉がわがままを言わなかったからか、言ったとしても変わらなかったのかはわからないが、両親が忙しない仕事から離れることはなかった。
故郷には迷うが、一番印象に残っているとしたら、小学生の頃に二年間だけ住んだアメリカだった。父親の影響で日常会話程度には英語も嗜んでいたが、現地校に送り出された時、元々引っ込み思案だった茉莉としては異世界に放り出されたような心地がしたものだ。イエスもノーもはっきり言えず、いじめられるというよりは、あまり相手にされなかった。しかしそれは日本に帰っても同じことなので、特に気に病むことでもない。
友達はいなくとも、両親がいる。帰ってくるのはいつも夜遅く、朝だって少しの時間しか会えないけれど、二人とも茉莉を愛してくれている。週に一度はどちらかとほとんど一日を一緒に過ごせる。それで十分だった。
そんな中、初めてできた友達は、ジェームズという転入生だった。

『ジャシー』

名前の由来が茉莉花であることを知ると、彼は茉莉をそう呼んだ。
黒い肌で、白い歯が綺麗だったのを覚えている。最初に仲良くなったきっかけは忘れてしまったが、ジェームズから話しかけてくれたことは間違いなかった。そしてもったいないと言われた。

『ジャシーは綺麗な声をしてるんだ。もっと自信を持って、大きな声で話してごらんよ』

そう言われて急に変われるなら苦労はない。
人一倍明るいジェームズが自分の傍にいる理由がわからなかった。他にもジェームズと一緒に過ごしたいクラスメートはたくさんいるのに、何故か茉莉によく構う。そして茉莉が他のクラスメートと交わらないものだから、ジェームズも自然と茉莉とばかり一緒にいることになる。
どうして俺の友達になってくれたの?
思いきってそう尋ねたことがある。ジェームズは目を丸くして、何がそんなにというくらい笑っていた。

『理由がいるの? 面白いね』

ああ、いいなぁ。
こんな風に生きられたなら、なんて素敵なんだろう。

そしてある時、ジェームズの家に招かれた。彼の父親も笑顔で待っていて、部屋にはピアノが置いてあった。

『父さんのピアノ、僕大好きなんだ』

ジェームズの父がピアノの前に座り、愛しげに鍵盤に触れる。流れるジャズのメロディーに、自然と高揚感を覚えた。音楽は不思議だ。言葉がなくとも感情が伝わる。そこに言葉を乗せてもいい。身体を動かしたっていい。
洒落たジャズからキャッチーなメロディーに変わると、ジェームズが歌い出した。茉莉も知っている曲だ。なんとなくウズウズする。ジェームズの父も指を動かしながら声を重ねる。
いつでもどうぞと言われている気がして、恐る恐る口を開いた。しかし楽しそうな歌声に掻き消えてしまう。
羨ましい。混ざりたい。でも怖い。
どうせ、あと何年もここにいることはないのに。これ以上大切な居場所になったら、離れたくなくなってしまうーー。

『ジャシー、おいで』

何度も押し込めた感情は、気持ち良く、ただ楽しく歌って誘う二人の姿に、いつの間にか消え去ってしまった。
口を開く。声を出す。音楽に乗せて、言葉を添えて、身体の中で響かせる。喉を広げる。
どのくらい経ったのか、気がつけば二人よりも夢中になって歌っていた。
ただただ楽しい、夢のような時間。

『キミの歌声、最高に素敵だよ』

二人に力強く抱きしめられた時、初めてずっとここにいたいと思った。

そしてそれから半年も経たないうち、案の定アメリカを離れることになる。

『ジャシーがシンガーになるのを楽しみにしてる』

最後に会った時、ジェームズはそう言った。まっすぐできらきらとして、希望に満ちた瞳で。
転々と住まいを移すうち、アメリカでの記憶は薄れていったが、ジェームズとはたまに手紙でやり取りをしていた。それがなくとも、ジェームズのことも、彼の父を交えて歌った日々も忘れることはできなかっただろう。
そしてその日々は、不思議なくらいに茉莉を変えていた。
言いたいことを言えるようになったし、一期一会を楽しむようになった。幼い頃から茉莉を知る者が見れば、人違いする程に明るくなったことだろう。

周囲が進路について悩む頃、茉莉も人並みに悩んだ。明日何をして遊ぶか考えるのと、三年後、五年後、十年後、何者になっていたいか考えるのとでは話が違う。
シンガー。大好きな友はそう言った。果たして自分の歌声には、そんな価値があるのだろうか。
軽い気持ちで受けたオーディションに通って驚いたのは、誰よりも茉莉本人だ。

『本当にシンガーになるの? スゴいよジャシー』

手紙のやり取りはすっかりSNSに変わっていた。
これからレッスン漬けの毎日であることを話すと、キミなら大丈夫だと笑われた。そんなジェームズは教師になるための勉強に勤しんでいる。彼の生徒になる未来の子どもたちが羨ましい。
一年のレッスンを経て【Lavie】のメインボーカルに抜擢されたが、あまり現実味がなかった。ボーカルといえどダンスもこなすスタイルのチームであるが故に、ついていくのに必死で噛み締めるどころではなかったことも手伝っている。
歌うことは大好きだ。
ダンスだって楽しい。
でも三年後、五年後、十年後。
果たして同じ気持ちでいるのだろうか? 同じ場所にいられるだろうか?
侑人と一慶がステージに注ぐ心血は、プロと呼ぶに相応しかった。一歩引いて見せている桂樹にも、ステージから引けない理由がある。

じゃあ、俺は?



覚悟を持って臨んだ世界ではない。むしろそんな人たちを押し退けて、うっかり飛び込んでしまったくらいの心地なのだ。
才能に甘えていることくらい自分でわかっている。
これは驕りではない。天賦の才を抱きながら息をするように努力する人々を目の当たりにしている今、むしろ情けなさで押し潰されそうになる。
どうしてそんなに本気でやれるのだろう。
ふとそう思っては、自分の横面を張りたくなる。張りたくなるだけだから前に進まないのだろうが、一生続けるかわからないものにすべてを差し出してしまうのは恐ろしかった。
もう親の後ろをずっとついていかなければならない子どもではない。生きる場所は自分で選べる。
小さい頃、喉から手が出るほど欲しかったその力は、いざ手に入れてしまうともて余した。
居場所が変わっても生きていけると知っている。ずっと同じ場所にいる想像がつかない。苦しいことがあると、どこか遠くへ行ってしまおうかとさえ思う。

いっそ世界中、旅でもしてみようかな。
それもいいかもしれないなぁ。バックパッカーとか楽しそう。あんまよくわかってないけど。

ああ、でも。そうか。
そうだなぁ。

どこにいたとしても、たとえステージじゃなかったとしても。
やっぱり歌は、歌いたい。


「なんだ、ニヤニヤして。気持ち悪いな」

ダンススタジオに入るなり、出会い頭にそう言われた。優しくなくはないのだが、口は悪い。
でもまあ良い。この後、茉莉の変化を目の当たりにすれば、稀少な一慶の笑顔が飛び出すはずだ。

「今日の俺、なんだか違うと思わない?」

あからさまに渋々といった顔で茉莉を一瞥する。

「別に」
「なんでぇっ。よく見てよぉ、ほらこのへんとかね……主にこの腹筋とか」
「なんだ。要はちゃんとトレーニングしたってことか」
「うん! 昨日の俺はスゴい頑張ったよ。ご飯もちゃんと作って食べたし、トレーニングもしたし、夜更かししないで早めに寝たもん」

どうだと胸を張ると、一慶は「へえ」とどうでもよさげにウォーミングアップを始めた。
なぜだ。思っていたのと違うではないか。

「褒めないの?」
「は? お前は俺が飯食ってたら褒めるのか?」
「一慶くんが褒めてって言ったら褒めるよ」
「俺はそんなこと言わん」

確かに言わないだろうが、これではなんだか頑張った甲斐がない。しかしずっと突っ立っているわけにもいかず、いそいそと一慶の隣でウォーミングアップを始める。
と、傍で肩を落としているのが鬱陶しかったのか、一慶がぽつりと尋ねた。

「なんでやる気になったんだ」
「……やっぱり歌が好きだなぁって思ったから」

いきなり核心を突かれて惑ったが、正直にそう答えた。今さらかと思われていそうで恥ずかしい。
しかし、ふと一慶の笑う気配がした。

「上等だ」


ーーああ。

いいなぁ。

頑張ることが当たり前な世界は苦しい。
苦しいけれど、心地好い。

もう手放すことを考えて手に入れる必要はない。他の誰でもない、茉莉の人生だ。
愛する歌と、愛する人々と、もっと深く繋がってみたい。
ならば今は、この身すべてで人生を謳歌しよう。

願わくはこの想いを、苦難の前で絶やすことなきように。

理由なき愛を歌に捧ぐ、その日まで。



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