【Lavie】
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「おにーちゃん」

ーーはて。
それが自分のことかと気が付くのにややあって、もう一度同じ声が掛かってから、ようやく顔に乗せていたハンカチを取った。桜の隙間から溢れ落ちた春の陽射しに目を細める。

「あ、生きてる!」
「だいじょうぶ?」

死んだように眠っていたとでもいうのだろうか。見知らぬ子どもが心配して寄ってくるようではそうだったのかもしれない。確かに顔にハンカチを乗せてベンチで眠っていれば、勘違いされてもおかしくはない。

「ありがと。大丈夫」
「一緒におままごとする?」
「あら。知らない人と一緒におままごとしたらだめよって、オトナは言わなかったかなあ」
「ついてっちゃだめって言われた」
「それの応用編で、おままごともだめなのよ」
「でもおにーちゃん、優しそう」

曇りなき眼で見つめられ、思わず苦笑して目を逸らしかける。変な奴だと言われることのほうが多い身としてはくすぐったい。

「いいから、遊んどいで。お兄さんは引き続き、公園で眠る男の役を頑張るから」

ばいばい、と再びハンカチを顔に乗せると、子どもたちは素直に散ったようだった。しばらくすると、穏やかな風の音に混ざり、なるほどおままごとらしい楽しげな声が聴こえてくる。お店屋さんごっこか。花屋の隣に消防署と水族館。愉快そうな街だと口元が緩む。子どものごっこ遊びとは本来そんなものだろう。

子どもは自由だと言う人がいる。
しかし桂樹にしてみれば、大人になった今のほうが余程自由だ。

微睡んで、またふと気が付くと、もうはしゃぐ声は消えていた。
顔からハンカチを取った拍子に何かが胸に落ちる。シロツメクサの花冠だった。お供え物のつもりかプレゼントのつもりかわからないが、傍目から見ればさぞ薄気味悪い仕上がりとなっていたに違いない。通報されず何よりだ。
公園で眠る男の役はここで終わり。今度は通行人AーーBでもCでもなんでもいいが、目立たないに越したことはない。どうせ後で整えるのだからいいだろうと適当に髪を括り直し、ようやくベンチから立ち上がった。

【vivid gem】。
所属事務所が新進気鋭と呼ばれていたのは少し前のことで、今はその期待を裏切らず、老舗が多い業界の中で既に確固たる地位を築き上げている。ダンスパフォーマーとして活動する桂樹の仕事は当然踊ってみせることだが、この頃は求められることが多いようで、時には一切踊ることのない雑誌の撮影なども滑り込んできた。

「いいね、カッコいいよ」

シャッター音と賛辞が飛ぶ中、レンズの向こうに恋人を見る。そんな視線を求められているのだから、今はあのカメラマンの愛しい恋人になるのが相応しい。そしてそうとでも思わなければ、次から次に浴びせられる手放しの称賛は受け入れがたい。同じように平然としている他の三人が何を思って撮影に臨んでいるのかは知らないが、素でやっているなら大したものだ。
あまり時間を取られず撮影を終えて部屋を出ると、今度はダンス用のスタジオに向かうこととなる。音楽についてはもちろん、何か仕事をしようと思えば、事務所と呼ぶ自社ビルの中で大抵解決してしまうのは利点でもあった。ものぐさからすればありがたいことこの上ない。
各自でウォーミングアップを済ませたのを見計らい、侑人が声を上げる。

「じゃ、通しで行くか」

三日後にライブを控えているものの、漂う空気に嫌な痛みはない。かといってたるみがあるわけでもなく、適度にメリハリのきいた雰囲気作りは侑人ならではだと思っている。
例えば一慶を先頭に据えようものなら、今頃一瞬たりとも気の抜けない緊張感の中に立たされているだろう。完成度の高さは目を見張るだろうが、一ヶ月ごとに仲間が変わっていてもおかしくない。それならと茉莉のチームを想像すると、周りが尻を叩いてやらねば、気が付いたら未完成のまま当日を迎えていたということになりかねない。楽しいのは結構なことだが、それではやはりチームは長く続かない。そして桂樹を前に立たせるのは、二人を置くよりもっと現実的でない。仲間の個性を理解し、マメにコミュニケーションを取り、常にチームを鼓舞しながら、その行く末を考えるーー想像しただけでだめだった。帰って布団に潜りたくなる。リーダーを演じるなど苦行の極みだ。
それを地で行っている侑人を身近に見ているからこそ、大したものだと尊敬するし、こうはなれないと実感する。
しかし、自分がどう在りたいか問われると、黙って首を傾げる他にない。

帰り道はまったく同じだというのに一慶に置いていかれるのはいつものことで、構わずのんびり支度するのもいつものこと。身の回りのことについては意外とてきぱきしている茉莉も一慶と一緒に出ていった。シャワールームを出てすぐのリフレッシュスペースには、「そこにいるわ」とこちらの返事も待たずに声を掛けて出ていった侑人が座っている。

「侑人サン、待ってなくていいんだよ。いつもながら」
「ん?」

スケジュールの確認でもしていたのか、タブレットから顔を上げた侑人が仄かに寂しげな色を混ぜて笑う。

「迷惑か?」

わざとやっているならとんだ名優だが、素でやっているので反応に困る。

「迷惑というか、待ってても侑人にはいいことないじゃない」
「そんなことねえよ。桂樹と二人でいるの、すげえ落ち着くから好きなんだよな」

よくもまあ流暢に口から出てくるものだと感心する。ともすれば見え透いた世辞になるような言葉を、ここまで心に届かせるのはある種の才能ではないだろうか。

「日常でもファンサしてると疲れちゃうよ」
「待て待て、今の本心だからな」
「それはどうも」

侑人の好意が悪意に晒されないことを心の片隅で祈っておく。もっとも、晒されたところで受け入れてしまいそうなところが一番恐ろしいのだが。

「俺が言うのもなんですが、帰ろうか」

外は穏やかな昼の空気を引き継いで、緩い風が吹く春の夜だった。
どこからともなく桜の花びらが舞ってきて、侑人がなんとなくという風に捕まえる。

「器用ねえ」
「はは。みんなでゆっくり花見でもしてえけど、なかなか時間ねえよな」

桜の下にレジャーシートでも敷くつもりだろうか。メンバー四人で団らんするシーンを想像してみるが、いまいちピンとこない。思えば腐れ縁の一人はさておき、仕事以外でろくな交流もないのだった。特に気にしていないから今さら思い出すのだろう。

「侑人がいなかったらうちのチーム、仕事関係以外で会話らしい会話なさそう」
「え?」
「ジャスが一人で喋ってんの想像つくもの」
「なんか悲しくなるなそれは……というか応えてやってくれよ」
「まさか無視しないけど。ちっちゃい子と一緒で、相槌打ってると会話続いちゃうでしょ」
「ああまあ、それはそうかも」
「俺は助かるけどね」

とりとめのない茉莉との会話は言ってしまえば「へえ」の相槌ひとつで成立するのだが、まさか茉莉も会話の相手が四六時中それではつらかろう。真面目な話や気が向く時はちゃんと相手をしているし、一慶も同様と思われる。一慶は鬱陶しがっていることも多いが、桂樹としては勝手にいろいろな情報が入ってくる上暇潰しになるので、明るい茉莉の存在はありがたい。

「会話ないって言ったって、桂樹と一慶はよしみがあるだろ?」
「今よりろくに会話したことない同級生をよしみがあると言うかね」
「うーん。少なくとも、俺より付き合い方を心得てる感じはするな」
「……ああ」

ふと、侑人に対して一慶の当たりが強いのを少なからず気にしているのだろうかと思い当たる。反省するべきは一慶に違いないが、一慶の拗らせた心境もわからないわけではないのでなんとも言ってやれない。

「アヤ様のアレは気にしなくていいから。構われるのも優しくされるのも慣れてないだけ」

それだけではないだろうが、桂樹から話せるとしたらその程度だ。
侑人はさすがで詳しく聞こうとせず、「そっか」と話を切って礼を言う。
パフォーマンスについては散々話し合っているのに、プライベートをあまり知らないのは侑人についても同じだ。オープンそうに見えて意外と自分の話をしないあたり、侑人も何かしら抱えているものがあるのではないかと思っている。
駅に着いて、桂樹は改札に向かわなければならないが、徒歩圏内に住む侑人はそのまま高架下を抜けていくので別れることになる。

「帰り道襲われないでね」
「おー。まあ、こんなでかい男誰も襲わねえよ」
「そういうの、フラグって言うんだよ」
「真顔で言われるとなんか……わかった、気をつけるって。桂樹も気をつけてな」
「うん」

桂樹もでかい男なのだが、そこは追及せずに改札へ向かった。
少し混みあう電車に乗りながら、なんとなく広告を見上げる。大学案内、就職案内と並ぶのを、思わず見つめてしまった。
こんなものを見る度に思い出してしまう。

否、春だからだろうか。



『どういうつもりだ』

机の上に置かれた高校の入学案内を眺め、どうも何も見たままだと言ってやりたかった。ダンス専攻クラスという無機質な印字は、反抗の証という意味で輝いて見える。言ってしまえばそれだけだが。

『ダンスがやりたいなんぞ、お前の口から一度も聞いたことはなかったが』

実際思っていなかったし、言ったことがないので当たり前だった。ただ、本当に思っていたとして、言える環境でなかったことに変わりはない。
物心ついた時には天才と呼ばれ、いつも誰かを演じていた。
人の気持ちがわかるなどと簡単に口にするのはおこがましい。しかし昔から、人並み以上に感じ取れることは確かだった。表情、言葉選び、声のトーン、仕草一つから。
故に何を求められているかもわかる。その誰かを演じる上で、どんな振る舞いが最も適しているか。台本から、指示から、周囲の反応から。だから天才などという恥ずかしい枕詞がついたに違いないと、後から思った。
そしてそれだけではない。もはや大御所と言われる役者の祖父、そして父をもってして、道は決められていたようなものだった。天才子役はそのレールから降りられないようにするための異名だったようにも思える。
ダンスがやりたいわけではない。役者になりたくないだけだった。
魔が差すとはまさにあの時のことだと思い返す。中学生になる前、勉強のためと役者仕事から離れたが、それで抜け出せる環境ではない。
祖父から指定された高校にアクター専攻とダンス専攻があるのを知った時、これだと思った。素知らぬ顔でダンス専攻を志望した。受かるかどうかは別だが、ダンス経験はゼロではない。それにもしかすると祖父か父に確認の連絡が入るかと思ったが、それならそれでいい。初めて反抗というものをしたことだけで満足していた。
しかし案外上手くいくもので、結局ばれたのは合格通知が届いてからだった。
祖父の剣幕とは裏腹に、庭で美しく咲く梅の香りが、春の風に乗って穏やかに吹き込んでくる。それはまるで何かの妖しい薬のようで、急にどうでもよくなった。
役者になりたくなかった。
すんなりと口をついて、ああとうとう言ってしまったと思ったが、祖父の顔を見たらやはりどうでもよくなった。何も演じていない、心の底から失望している顔。役者として期待を背負い、役者として蝶よ花よと育てられた挙げ句、役者にならない孫に価値などないのだろうと悟った。

高校に入ると、祖父とは見事なまでに一切口を利かなくなった。結構なことだ。
父は息子の心根を知らなかったショックのほうが大きいようで、桂樹の振る舞いに何も言ってこなくなった。これも都合が良い。
振る舞いと言っても、不良じみたことをしていたわけでもない。ただ学校へ行き、ダンスを学び、ただ家に帰っていただけ。役者というものから距離を置いただけだ。それに距離を置いていても、身につけたノウハウはダンスに通じるものも多くあった。「あの築」と知れたのは少しばかり面倒もあったが、総じて可も不可もなくこなすにはちょうどよく、なんの縛りもない日々を桂樹なりに満喫した。
ただ一つ、ぽつんと小さな染みのように残る罪悪感だけは、早く消えてほしかった。

高校二年生にして、進路に迷うということを初めてした。
役者になるだけが人生ではないと改めて実感した。同時に、何も考えずに生きてきたことを突きつけられた気分だった。よっぽど厳しく育てられたと思っていたが、ある意味甘やかされてきたのだ。
役者にはなりたくない。でも他になりたいものもない。
言葉で聞けば、なんとまあわがままなことか。祖父が失望するのもわかる。桂樹がまっとうな希望を胸に舞台を降りたなら、祖父もあんな顔はしなかっただろう。
わかっても謝る気にはならないし、もう一度役者をやるという気にもならない。
結局何をしたいかわからず、何をやれと言われることもなかったので、進路が決まる前に高校を卒業することになった。公園のベンチに寝そべり、桜を眺めながら、これが俗に言うニートかとしみじみする。
このまま職につかずふらふらとしていても、祖父は無関心だろうし、父は何も言わないだろうし、母は喜んで甘やかすに違いない。強いて気になるとすれば妹に面目が立たないくらいだが、あれはあれでだめな兄と知っているので、やはり何も言わないだろう。
役者をやらないと決めただけで、こんなに期待されなくなるとは。
卒業式前に聞いたクラスメートの事故を思い出す。不謹慎とわかっていても、冗談でなく、代わってやれたらよかったのに。そのほうがよっぽど世のため人のためになるだろう。そう思ったが、聞けば見ず知らずの子どもを咄嗟に庇ったそうだ。同じシーンで同じように動く自信がない以上、代わることさえ許されない気がした。
せめて早く目が覚めればいいと思う。何者になろうとも期待されるような奴だった。

クラスメートの悲劇に対する罪悪感は祖父に感じたものより強く、桂樹はそれに動かされてアルバイトをした。関係を作るのも面倒で、もっぱら短期のアルバイトを選んだが、何もしていないより余程ましだった。
【vivid gem】の事務スタッフアルバイトに応募したのは、そんな生活が一年以上過ぎた時だった。一人暮らしを決め、そろそろ長期的な働き口を探そうと思ったこと、芸能事務所だが、俳優色のないところや、アルバイトにしては待遇が良いのもあって、ひとまず応募してみた次第だった。ここもすんなりと通り、自分はもしややろうと思えばなんでもできるのではと錯覚しそうになる。
仕事はなかなか上手くやっていた。可も不可もなく。事務は向かないかと思ったが、休みの日に身体を動かせればフラストレーションもない。

『きみは踊らないの?』

どこで目をつけられたのか、ある人からそんな風に声を掛けられた。売れっ子が一般人になんの用かと思ったが、目立たないように過ごしていても、見ている人は見ているものだった。ぱっと見て同業とわかるような察しがいい人間など世の中に有り余っている。
一応働いているので後ろめたさもなく、やりたいことがないと素直に話した。

『なんでもいいなら、ステージに立ちなよ。きみを待ってる人がたくさんいるんだから』

僕もね。

そんな一言でオーディションを受けてみるのだから、流されやすいにも程がある。
そして受かってしまうのだから、もしかすると本当に、やろうと思えばなんでもできるのかもしれなかった。



「おい。桂樹」

背中を軽く叩かれ、不穏な声の主を見やる。
これからライブだというのにこの仏頂面。無用と知っていても心配になる。

「どしたの」
「は? お前がボーッとしてるから声掛けてやったんだろ」
「ああ。それはそれは」
「まさか緊張してるんじゃないだろうな」
「普通は緊張するのよ。してないけど」
「当然だ。してるなら練習不足だからな」

まさかこの男とチームメイトになる日が来るとは思わなかった。一慶がダンスをする上で、桂樹は一番傍にいてはいけない人物なのではないだろうか。友人のことは思い出すわ、志は低いわと、今も地雷を抱えて隣に立っているようなものだ。

「桂樹くん眠たいの?」
「眠くないよ。バキバキよ」
「桂樹くんがバキバキなの見たことないよぉ」
「見たい?」
「ううん、いつもの桂樹くんがいい」

はて、いつもの自分とは何者か。
誰よりも桂樹のことを知らないのは、実は桂樹自身なのではないかとこの頃思うことがある。とても人に安らぎを与えられるような人間だとは思っていないが、安心しきりの顔でぴっとりと寄り添ってくる茉莉にとって、いつもの桂樹というのはそういう存在らしい。

「桂樹」

侑人の声に振り返る。
何も持たないまま、小さな罪悪感だけを引きずってここに来てしまった。
ただここに来て、思い知ったことがある。

「頼りにしてるからな」

期待に殺されるも生かされるも、つまるところ自分次第であるということ。

「いかだくらいにはなれるかと」
「ははっ。大船じゃねえのか」
「大船はほら、そこにいるから」
「じゃあもし一慶くんが壊れたら、その残骸を集めて桂樹くんを作るってこと? 俺大工さんする〜」
「は?」
「ジャス余計なこと言わなくていいからね」
「えぇ。でも侑人くんがLavieの船長さんでしょ? そしたら壊れるようなことしないもん、大丈夫だよぉ」
「そりゃ大役だな」

笑って言った侑人がふと両手を広げる。
時間か。
茉莉が侑人の隣に飛び込み、桂樹はその隣を埋め、一慶が仕方なしという顔で侑人と桂樹の間に入る。いつの間にか円陣も定位置が決まってきた。

「最高のステージにしよう」

観る者すべてに、そして自分自身にとって。

当然のように交わされるそれは、なんと重たい合言葉かと思う。
そしてやはり、自分は役者にはなれないとも。
少なくとも今、立つべき舞台はここに在るのだ。

割れるような歓声。
その轟きはさながら春の雷鳴のように。

願わくは、人生こそが最高のステージであらんことを。



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