さん
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「失礼いたします」
ドアを閉め、訪れていた会社を出る櫻井と朝比奈。
車に乗り込むと、朝比奈が項垂れて長い息を吐き出した。
「怖かった……」
「ぶ」
「わ、笑わないでください」
「悪い、いや、正直俺も怖かった」
今日訪ねたのは新規の顧客で、なかなか珍しい女社長であった。恰幅の良い中年女性で、見るからに高級そうなアクセサリーをいくつも身に付け葉巻をふかすというさすがの貫禄。
そこは良いのだ、問題は全く別にある。
どうやら面食いらしいという情報は事前に入手してあり――だから櫻井と朝比奈が派遣されたのだ――ある程度絡まれる覚悟は二人ともしていたのだが、想像以上に。
「女性にセクハラされる日が来るなんて思ってませんでした……」
朝比奈の呟きが真実である。
営業所側の思惑通りすぐに気に入られた二人は、散々話し相手をさせられた上に女社長の両隣に侍らされ散々身体をまさぐられたのであった。常に穏やかな笑顔の朝比奈でさえ冷や汗を浮かべるほどである。契約があっさりと成功したのは良かったが、契約交渉の時間よりもセクハラに費やされた時間のほうが長かったというのが堪らない。ようやく解放された頃には、二人共心身共にクタクタとなっていた。
「いつもあんなことしてるのかな……よく訴えられないな」
「そうですね……訴えるかと聞かれたら悩むギリギリのラインですね」
「朝比奈、ボタン開いてるぞ」
「櫻井さんチャック開いてます……」
「げっ」
散々だ、とため息が被る。
「まあ……契約が取れただけよしとしよう。これで取れなかったなんて言ったらただの悪夢だ」
「そうですね、お疲れ様です」
「お疲れ様。それにしても、最後の同行がこれっていうのもインパクト強いな」
「本当に」
笑う朝比奈は、既にいつも通りの落ち着きと穏やかさを取り戻している。
そう、朝比奈が先輩に同行するのは今日が最後。明日からは晴れて一人前として、一人で営業回りをすることになるのである。
「明日から一人、なんですよね」
「お前なら大丈夫だ、一人でもしっかりやれるよ。皆言ってる」
「櫻井さんも?」
「俺は初日からそう思ってた」
「買い被りですよ。でも櫻井さんもそう思ってくれてるなら、大丈夫なのかな」
「自信持て。さっきのアレに耐えられたんだ、もう何も怖くないだろ」
「あはは」
可笑しそうに笑う朝比奈につられて櫻井も笑った。朝比奈の笑顔には周りを惹き込み自分のペースに巻き込むところがある。単純に人として魅力的である。
いい武器だなと感心しながら、櫻井は用意していた物を鞄から取り出した。
「朝比奈、良かったら使ってくれ」
「え?」
「同行よく頑張りましたで賞」
「え、え」
突然渡されたプレゼントと櫻井を交互に見て、朝比奈は目をぱちくりとさせる。
「あの、開けても」
「いいよ」
笑って許可を出せば、朝比奈が包みを丁寧に開けた。
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